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富山駅前いるかホステル

 4月某日、スーパーカブに乗って、富山→新潟→長野→岐阜を回ってきた。

糸魚川付近にて

 富山の素敵なゲストハウスに泊まった。ぼんやりとBookingを眺めていたところ、その屋号の既視感に惹かれた。名は体を表す。その名の通り、オーナーが熱心なハルキストなのだ。

いるかホステル

 ゲストハウスでは珍しく、かなりパワーの込められた図書室を併設している。飲食不可というこだわりっぷりだ。くつろぐ、チルするための部屋ではなく、あくまでも本を読むためだけに作られた部屋なのだ。
 「春樹部屋」という名前がつけられたその図書室は、文庫とハードカバーそれぞれの全著はもちろん、村上春樹関連本が大量に並んでいた。片隅のショー・ケースには、オーナーに宛てた村上春樹のサインが飾られている。外国からのハルキストも多く訪れるのだろう、英語版や中国語版、その他いろいろな言語で書かれた著書が蔵書されている。

 そんな「春樹部屋」には、このビジネスホテルができるまでの経緯を記した絵日記がディスプレイされていた。どれ食前酒がわりに、と、ぺらぺらめくっておしまいくらいの、軽い気持ちで手に取った。2、3ページとめくっていくうちに、「東京奇譚」をそっちのけに、夢中になっていた。

 その日記によると、このゲストハウスは、数人の親しい仲間たちの尽力によって誕生したようだ。
 何人かのブレーンを中心として、さまざまな経歴をもつ人たちが、かわるがわる富山を訪れたという記録が残されている。家具を作る人、絵を描く人、デザインをする人、造形をする人。

 何より羨ましく思ったことは、この人たちのモードが、日中問わずに「仕事」ではないということだ。夜になれば、彼らは「仕事仲間」から「気のおけない友人」に関係性を変化させる。決して定時退勤、ではまた明日の朝、もしよかったらここらへんでうまい店でも教えてくれませんか?ビジネスホテルに直帰するのもアレなんで、ちょっと街ブラしてきますわ……ということが、ない。

 料理のうまい人がうまそうなご飯を作ってくれたり、みんなで美味しいお酒を開けたり、たぶん夜がとっぷり更けるまで、個人的なテーマで話し合ったのではないか、と想像させる行間がある。とはいえ、大人びているわけではなく、おちゃめで、遊び心がある。ある晩はチーズケーキ・ドラフト(詳細はぜひ絵日記で)を開催したりしていた。ほほえましい。
 「ワイワイと真剣の間を行ったり来たりする、仲間たち」で作ったプロジェクトに、お金を払っておじゃまさせてもらっている、と感じた。安価な宿泊施設であるゲストハウス、という部分に、もうひとつ魅力が乗っかっている。

 なにかを作り上げるのが、楽しくて仕方なかった、という感じだ、客観的に鑑みて。ドミトリーベッド周りの造形に、職人的基質を感じる。空間が広く、パーソナルスペースが担保されており、同居人の存在感が遠く、居心地がいい。ウォールデザインが反イオンモール的で嬉しい。とはいえ洗練されている。そして、あらゆる棚に手作りの痕跡がある。この空間は植物のようだ。環境に応じて成長していく。たとえば新婚のおりに建てた新居では、こうはいかない。
 村上春樹以外の蔵書も個人的に極めて好ましい。この漫画棚が友人の家にあったら何時間でも漫画の話ができる。この文庫本たちが友人の家にあったら、一生涯友人でいたい。

 いろんな人が協力して、自分の得意なことを活かして、ひとつのプロジェクトを完遂させていることが、感動的なまでにクリエイティブだった。

くらげ

 ここ数年で「なんか面白いことしたいっすね」って何回聞いただろう。何度そんなことを言わせっぱなしになってしまったのだろう。この言葉が実を結ばないのは、私にどうにも意気地が足りないせいだ。ごめん。

 今もHPのデザインと作詞作曲を目に見えて後回しにしてしまっている。英語の勉強をしなくてはいけない、ということが脳のリソースを奪っている、という言い訳をしておこう。なにかをする元気が捻出できない時期だ。こういうことの繰り返しだ、人生が。

 元同期が「やっぱり芸大を出ている人が羨ましい、そういう人たちのクリエイティブを応援したい」と言っていた。でも、そう言いながらも、瞳のおくは爛々と輝き、自分で何か作りたいんだ、という闘志が完全に消えたわけではなさそうだった。

 オモコロ編集長の原宿さんが「自分が何者にもなれていないと思い悩むときは【狂い歩き】をするといい」というニュアンスのことを、どこかで言っていた。【狂い歩く】とは、狂ったように街中を歩くということらしい。アンテナを立てながら街を狂い歩いて、道すがら、気になるものがあったら、カジュアルに関わっていくことが現状を打破する、と言っていた。
 現実感に即した、凡人むけの優れたライフハックだと感心した。狂人になれないくせに自己顕示欲を手放せない私たちにとって、ぴったりと身の丈に合った素晴らしいアドバイスだ。

 だから、街を狂い歩いた。潤沢な資本を持たない代わりに時間をたっぷり持て余した私は、旅先の街で狂い歩く。
 富山駅前でフィリピン人のグループが、ギターとカホンを演奏していた。ギターを貸りて「さよなら人類」を歌ったら、一緒にカホンを叩いてくれた。なにかのタイミングで職業を聞かれたので「仕事をしていない」と告げたら、アミンくんが「それはダメだね」とはっきり言ってくれたので、笑ってしまった。それはダメだよね。ハイタッチして、みんなで記念写真を撮って別れた。

 楽しかった。楽しいだけだが。やっぱり少し落ち込んだ。でもまだ、すごい人たちのことを見て、少し落ち込めるだけの余力がある。なにかを諦めていないということだ。私の心の中にしかいないカウンセラー役の私が「頑張り屋さんだね」と甘い言葉をかけてくれた。これが他者なら「他人事だと思って呑気だな」と憤るところだけど、あいにく深く、安堵のため息をついた。

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