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長野の温泉ライダーハウス

 ちょうど1年前、生まれて初めて、バイクにまたがった。相棒のバイクは、教習所のスーフォアから、ブラックのタイカブになった。

 そして、先月、生まれて初めて、ライダーハウスに泊まった。

 店の種類にかかわらず、「常連客のみなさん」というのは恐ろしい。ライダーハウスといえば常連がはびこる巣窟だ。個人的ルール。閉鎖的空間。つかの間の共同生活。排他的な雰囲気。そういうイメージ、偏見。宿に到着するまでびくびくしていた。

 だけどこのライダーハウスに集まった常連さんたちはみんな優しかった。宴会のテーブルに快く受け入れ、ご飯とお酒を勧めてくれた。

五一わいん、好き

 みんなが程よく酩酊したころ、みんなのバイクが泊まったガレージにぞろぞろと降り立った。でっかいツアラーたちが並んでいる。跨ってみたら?と勧められた。

 ビーエム、ドゥカティ、トライアンフ。かっけーっすね、と興奮してみせた。みんな、「いいですねえ」と呟き合い、バイクの周りをニヤニヤウロウロしていた。ちょっと、ライダーハウスの光景すぎるな。

 リッター超えたバイク6台に取り囲まれた110ccのスーパーカブにも、ツアラーライダーが次々と跨っていった。

 人が私のバイクに跨っていると訳もなく興奮するというこの心理は、一体なんなのだろう。

 「かわいい」「やっぱりカブってロマンがあるんだよな」と誉めそやされて得意気になった。カブのエンジンがギアチェンジで加速していくときの声帯模写に笑った。

おいしい広場

 とにかく、とてもよくしてもらった。

 山間の温泉街の片隅に、日本列島津々浦々、いろんな場所に住んでいる人が集まる。共同体が形成されている。あの人たちのしゃべるアルファベットの羅列やら、メーカーごとのエンジンのつくりなんかはいっさい理解ができない私の同伴を許してくれる、このテーブルが好きだ。

桜前線

 朝。村営の共同温泉に浸かり、オーナーに挨拶をし、旅立つ。

 気温が12度くらいしかなくて、ガクガク震えながら貼るカイロを購入した。風の冷たさはいただけないが、それでもやっぱり、ここいら辺の山道は、雪が溶けて春めいてきた頃に走るのが一番楽しい。

 紅梅みたいな桜並木、澄んだ空気、そして遠望に悠々と佇む大きな大きな白い山たち。
 100度のアールをもつ急カーブの途中に、視線を奪われて死にそうになる。

 尖った山頂をツンとすました山。ごつごつした雄々しい山。遠くの方でアルカイックスマイルで私を見守る山。

 かっこいい。先日旅行した九州の山々も格好がよかった、とは思う。だけど、車窓からちらちら盗み見ただけの山々とは、どこか違う。空間とひとつながりの場所に私がいる、という強烈な自認。当事者意識。

 九州のあの山々ーー枯れ草で金色に輝いていたあの山々も、それはそれで趣があった。けれど、下界では一面が緑色になっているだけだというのに、かたくなに白色を貫き通すこの気高い神山の近寄りがたさはなんだろう。こうべを垂れることしかできない、圧倒的な神性。

 そういえば前日訪ねた富山の『水墨画美術館』では、「山のある風景」の特集をしていた。
 山登りもしないし、高山植物にも関心がないし、正直言ってあまりピンとこなか
った。「もっと、蒸気がけぶるような、湿度の高い水墨画が見たかった。山の風景は趣味ではないな」と拗ねていた、あのときは。

 山の形のかっこよさ、すこしだけわかったかも。今年の夏は白山に登りたい。

 『戦没学生慰霊美術館 無言館』に行った。

 夢半ばで戦争に巻き込まれて、日本から遠く離れた戦地で命を落とした若者たちが描いていた絵が飾られていた。
 悔しかった。私が、のうのうとぼさっと呑気に生きているということを意識せざるを得ず、悔しかった。

 静粛で寒々しい館内に、握りつぶされた情熱が渦巻いていた。炎がいちばん大きく燃え上がって、煤をいっぱいに出していた。
 決して整ってはいないし、決して何かを成し遂げてはいないのだけれども、ただ燃えることに愉悦を抱いていた時期ーーただ、その芯を、燃やすことでしか収まることのない情欲ーーが、冷凍保存されて飾られていた。

 あの場所は、できれば27歳までに行くのを薦める。なにもやることがわからなくて、苦しくて、現代人めいている27歳たちよ、無言館に行け。

 行ってもどうしようもないことはある。それは仕方ない。なにかを作りあげるという熱量が沸かないことも、ある。才能がなくて悔しい。だけど、諦めがつく。

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