孑孑日記㉕ 文章の終わりの難しさ

 Twitter(現X)でまれに見るが、みんな文章の書き出しが難しいという。話題に上りやすいのは文章の冒頭部分が多いから、終わり方に意識が行かない人が多いのかと思うが、実際にははじめ方より、終わり方のほうが数倍難しい。僕はそう感じている。
 個人的には、はっきり言って書き出しなんぞわりあい楽なもんである。もし書きたいことがあるなら、そこに向かっていくための助走をつけてやればいいので、その書きたいことを抽象化して、わかるようでわからない感じに仕立てれば済む。なくても、書き出しが決まればその後に続く文章の雰囲気は決まってくれるから、なんとなくカッコいい1文が思いつけばそれをストックして、書き出しに使えばよい。
 しかし終わりは、それまでを総括し、きちんと閉じなければならない。閉じる、というのが曲者で、なかなかぴったりはまってくれないのである。イメージとしては、本文で広げたイメージを最後の一文の中にぎゅっと凝集させる感じだ。まとめのひとことでもいいし、小説ならたとえば天気とか、岩にとまる蛙とかでもいい。具体例で言えば後藤明生『首塚の上のアドバルーン』では、ある首塚のある山を調べた末、最後はその首塚の上にアドバルーンが浮かんでいる場面で小説が終わる。こんな感じで、読者の視線を一点に集めさせるのだ。だがこれが難しい。要点とか肝とかを掴むのは結構な高等技能であって、案外できる人はすくないのだが、世間はそう感じていないらしい。それゆえに何も言及されないならいささか残念には感じるところである。

(2023.8.19)

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