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【小説】アネシカルリサーチ シークレットクラブと倶利伽羅のカルマ 14

 学生支援センターとはその名の通り、学生向けに様々な支援を行うための施設のはずだが、倶利伽羅の場合は趣が異なった。支援というよりは『管理』という言葉の方が適切であった。
 学生生活や就職活動によって、メンタルのバランスが崩れる大学生は案外多いらしい。だがこと倶利伽羅において、そのような学生は、自然淘汰の結果とみなされてしまうようだ。倶利伽羅の支援センターは、三万人もの学生が通う大学の施設とは思えないほど、小さな建物だった。スタッフも数人しか常駐しておらず、どうみても全学生を支援できる体制とは言い難い現場だった。
 おれと瀬戸熊は建物の一番奥にある、貨物用のエレベーターに向かった。瀬戸熊がセンサーに手をかざすと、あるはずのないBの文字が浮かんできた。
「百合沢から話は聞いていたんだが……まさか支援センターの地下にあるとはな。皮肉が効いている」
「なあ瀬戸熊。そろそろ教えてくれよ。エクレシアが、いったいどんな情報を握っているっていうんだ」
「すべてさ……。和馬は入学歓迎のパーティーで、宇田川理事長の話を聞いたかい?」
「ああ。無茶苦茶な演説を、ありがたく拝聴したよ」
「ぼくも高等部に編入した時に聞いた。そこで恐らく、宇田川は新入生に釘を刺していただろう?余計なことをするなと」
「天才の為の歯車になれと言い放ったな」
「フフッ。面白い人だよな。他にもこうは言っていなかったか?倶利伽羅はすべてを見ていると」
「うーん。そんなことを言っていたような気もするが……」
「あれは真実なんだ。倶利伽羅はすべてを監視している。文字通りな」
 エレベーターが停まり、大きな扉がゆっくりと開いた。目の前に広がっていたのは、無数のモニターと、地上にある支援センターとは比べ物にならない数のスタッフだった。モニターの一つ一つを見てみると、それらは全て、パソコンとスマートフォンの画面だった。
「これは……どういうことだ?」
「言っただろう?すべてを監視していると。ここには倶利伽羅の学生に支給されたパソコン、タブレット、スマートフォンのデータが集められている」
 あまりのショックで、頭がぐらぐらと揺れた。瀬戸熊が静かに話を続けた。
「ぼくがこの大規模な監視システムの存在を知ったのは、大麻で捕まりそうになった時だった。なぜか警察よりも先に、エクレシアからぼくに連絡が入ったのさ。もうすぐ警察に任意同行を求められるだろうとね。奴らはぼくのデバイスのデータも見ていた。売人との連絡をチェックしていたのさ」
 瀬戸熊の声は聞こえているが、おれの頭は理解したくないと拒否していた。
「最新の電子機器を学生に無償で提供する理由は?もちろんただの善意じゃない。そこで蓄積されたデータを、倶利伽羅で管理して研究に利用するためだ。文字通りだろう?倶利伽羅はすべてを見ている」
 おれは倒れそうになって、近くにあったベンチに座った。大きく深呼吸をしたが、心臓の鼓動は早くなるばかりだった。あってはならない事態だった。こんなことは、道徳や倫理に完全に反している研究――アネシカルリサーチだ。
「和馬。おかしいとは思わなかったか?パソコンやタブレットも、それに大学の学費も、すべて無償だなんて。物事には表と裏がある。そんなにうまい話はないんだよ。倶利伽羅は最高の環境を提供するかわりに、ぼくらをモルモットとして扱っているんだ。全てを監視して、管理して、時には操作して、データを取り続けている。全人類にシステムを適用する前の巨大な実験室――それが倶利伽羅の正体さ」

「センター長が、お二人をお待ちしております」
 若いスタッフに案内され、おれと瀬戸熊は責任者の待つ部屋へ向かった。心のざわめきを、おれはまだ引きずっていた。部屋の中には、初老の小柄な男がいた。センター長は鈴木直樹と名乗った。親子以上に年の離れたおれたちにも敬語を使う、腰の低い男だった。昔は倶利伽羅の研究員だったそうだが、そのレベルの高さについていけず、このセンターに流されたらしい。
「ありがたい話です。わたしなんぞを雇ってくれるなんて。本当に倶利伽羅は懐が深い」
 あまりに卑屈な態度はおれを苛立たせた。お前たちは間違ったことをしている、とフロア中に聞こえる声で叫びたかった。だがそんなことをしても無駄だった。鈴木をはじめ、ここにいる連中は全員、倶利伽羅という文化に染まりきっているからだ。何が善で何が悪か。そんなことも考えずに、ひたすら歯車として動いているのだ。
 鈴木はこのセンターの秘密を一から十まで丁寧に教えてくれた。倶利伽羅のあらゆるデータが集められていた。メールの送受信履歴、通話記録、インターネットの閲覧履歴、SNSの利用状況――。倶利伽羅において、プライバシーという概念は存在しなかった。
 淡々と説明を進める小男を見て、おれは玲香と一緒に見た映画を思い出した。アドルフ・アイヒマンという、ナチスドイツの親衛隊の中佐を描いた映画だ。アイヒマンは、かの有名なアウシュヴィッツ強制収容所への、ユダヤ人大量移送の指揮的役割を担った男だ。
 アイヒマンはその卓越した話術と交渉術で各組織と折衝し、あるシステムを構築した。大量の人間を計画的かつ効率的にさばく運搬システムだ。収容所の犠牲者は、百五十万人とも言われている。戦時中の限られたリソースを考えれば、驚異的な数字だ。
 アイヒマンは元々サラリーマンだったが、五年半で会社を解雇されている。違う場所で自分のもてる力を発揮するケースは多いが――アイヒマンの場合は最低最悪の適材適所となった。
 ナチス崩壊後、アルゼンチンで逃亡生活を送っていたアイヒマンは、イスラエルの秘密警察によって捕らえられた。裁判に出廷したアイヒマンを見て、関係者は言葉を失った。そこにいたのは屈強な軍の将校ではなく、小柄で気の弱い普通の男だった。
 閉鎖的な状況において、ごく普通の凡人は、絶対的な権威者に逆らえない。それがどんな命令であっても。社会的心理学を代表する有名な実験――アイヒマンテストによってそれは証明された。
 鈴木は虐殺に加担しているわけではないが、その構造はアイヒマンと何ら変わらないものだった。圧倒的な力を誇る倶利伽羅という組織の下では、道徳も倫理も二の次になってしまう。

 おれは試されていた。幽玄とエクレシアは、おれにこのシステムを利用することを許可した。つまりそれは、おれがこのシステムの存在を世間に告発するとは、微塵も考えていないということだ。
 おれは倶利伽羅において平凡以下の人間だ。それは認める。ただ少なくとも、何の葛藤もなくこのシステムを利用しようとは思わなかった。おれにだって、けちなプライドはある。倫理や道徳観も持ち合わせている。鈴木の説明は、ほとんど頭に入ってこなかった。考えているのは、この先にある究極の選択のことだけだった。
 会社や組織の不正を告発する。周りの圧力にも負けず、正義を貫く。そんな小説や映画を見たことがある。ただおれは、あくまでそれをエンターテインメントとだと認識していた。まさか自分がその立場に置かれるなど、想像もしていなかった。
 正解とされる選択肢は明らかだった。不正を告発することだ。白日の下に全てをさらし、倶利伽羅はしかるべき処罰を受けるべきだ。ただそれは、おれという個人で見た場合、正しいといえるのだろうか。
 エクレシアは警察や司法の場に強力なコネクションがある。それがどの程度なのかは分からない。幽玄はどうだろうか?おれの告発を防ぎ、揉み消すような力を持っているのだろうか?倶利伽羅の世界への影響力を考えれば、全てを操ることも可能なように思えた。
 分が悪い勝負であることは間違いない。告発に成功したとしても、おれが得るものは何もない。大学を中退した、どこにでもいる十八歳の男が残るだけだ。
 結局、その場では結論は出なかった。いつでもシステムを利用できる許可を得たおれたちは、典獄寮に戻った。バスに揺られながら、おれは倶利伽羅の街並みを眺めていた。最先端と歴史が混在する不思議な空間が、歪んで見えた。
 おれは風呂にも入らずすぐに寝ようとしたが、瀬戸熊に止められた。
「こんな日は、気持ちよくならないとな」
 連れていかれたのは、倶利伽羅にある大浴場だった。瀬戸熊は事前に予約しており、一区画が貸し切り状態になっていた。本格的にサウナに入るのは初めてだった。サウナと水風呂と休憩というサイクルを繰り返すと、不思議な多幸感に包まれるらしい。おれは無理やり、瀬戸熊に付きあわされた。
 ぼたぼたと大粒の汗を流していると、瀬戸熊が静かに話をはじめた。
「率直に聞くよ。どうするつもりだ?」
「……さあな」
「松井の捜索をするのかしないのか、それはどちらでもいい。だが……倶利伽羅の真実を告発しようなんて、考えてはいないよな?」
「……そうだとしたら?」
「和馬はそんなに愚かじゃない。分別のある男だと信じているよ」
「逆じゃないのか?不正を見逃すのが、賢いとでも?」
「そうだ。システムを利用する側に回るのが、賢い選択だよ」
 あの場では考えないようにしていたが、当然瀬戸熊も倶利伽羅側の人間だった。瀬戸熊だけじゃない。玲香も、恐らく伯父さんも。
 おれが憧れ、嫉妬し、目指している人たちはみな、向こう側の人間だった。彼らはみな賢い。それは認めよう。ただ残念なことに、正しい人達ではなかった。向こう岸に渡ろうとしないおれは愚か者ではあるが――正しい人間ではあった。少なくとも、今の段階では。
「民衆を監視することの、何が問題なんだ?」
「何がって……全てだよ。あんなものは、個人の人権を無視している」
「そうか。ぼくはそうは思わないけどな」
「…………」
「あのシステムが適用されているのは、一般の学生と教授になれない燻った奴らだ。初等部や、シークレットクラブの関係者、それに教授達は特別扱いを受けている。簡単な話さ。和馬もこちら側に来ればいい。そうすれば、人権は回復する」
「そんな話だと思っているのか?自分が良ければ、それで問題ないと?」
「その通りさ。何ら問題はない」
「おれは……瀬戸熊みたいに割り切れないよ」
「ぼくも最初はそうだった。でも考えてもみなよ。人間だれしもが平等だなんて、そんな欺瞞を未だに本気で信じているやつが、この世の中にいると思うか?」
「…………」
「世の中は不平等だという証拠は、いくらでも転がっている。ニュースを見れば、そんな話題で持ち切りだ。みんなその幻想には気づいているんだよ。ただそれを見ないように、無意識で避けているだけさ」
 瀬戸熊の言葉は砂漠に染みる水のように、すんなりと脳に侵入してきた。体験したことのない身体の火照りと一日の疲れで、おれは正常な判断が出来なくなっていた。
「民主主義というシステム自体が、もう限界にきているんだよ。大学にも通っていない、働いてもいないようなクズと、ぼくらの価値が同じなわけがないだろう?死を待つだけの老人とぼくらの価値が、同じなわけがないだろう?大災害や伝染病が流行ったときには、人間に優先順位を付ける。優遇されるのは、いつだって前途のある若者だ。全てがそうあるべきだとは、思わないか?」
「……やめてくれ」
「やめないさ。倶利伽羅は間違った方法で、正しいことをしようとしている。愚かな民衆をコントロールすることが必要な社会は、必ずやってくる。全ての人間を平等に扱った結果が、今のどうしようもない世の中なんだ。破滅するのは目に見えている。貧富の差は広がり、不満だけが溜まり、見えない分断がいくつも起きている。必要なのはコントロールなんだ。誰かが勇気を持って、その巨大な権力を持つしかないんだよ」
「……頼む、やめてくれ」
 おれは瀬戸熊の言葉に反論することはできなかった。何を信じたらいいのか、何をするべきなのか、何を考えたらいいのか、全てにモヤがかかって、ひどい混乱状態に陥った。
 それ以降、おれは瀬戸熊と何も話すことなく、典獄寮へ戻った。ベッドに横になった瞬間に、眠りに落ちた。頭の中では瀬戸熊の言葉が、説法のように渦巻いていた。おれの陳腐な正義感など、コントロールするのは簡単だっただろう。鳳雛である、瀬戸熊の手にかかれば――。
 はじめから、結論は出ていた。ただおれは、それにすんなりと従いたくなかっただけだ。無理やりでもいい。何とか自分を誤魔化すための、理由が欲しかった。時間が経つにつれて、おれはやっと気が付いた。どんな詭弁を使おうが、自分にだけは絶対に嘘をつけないことを。
 言い訳など必要なかった。罪悪感と葛藤しながら前に進むしかないのだ。

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