第4回『女スパイ』

カキーン!といい音が鳴り響いて、2回裏。
お兄ちゃんの文章は、読みやすくて面白い。
乾杯直後のビールのようにゴクゴクと読んでしまいました。
どうも、あさい妹です。

ここでは”あさい”という同姓の2人が
お兄ちゃん、妹と呼び合い
今日も兄妹で交換ノートを書いていきます。


さて前回、寿司職人になると決めた私ですが、この思い切った決断に至るまでたいへん時間がかかりました。

今回はそんな私の子供の頃のエピソードも交えながら、決断までのストーリーを書いていきたいと思います。


子どもの頃からチャレンジ精神旺盛だった私は、興味のあることは何でも両親に頼んではやらせてもらっていました。水泳、ピアノ、オーケストラ、ガールスカウト、スケート…今思えばなんて贅沢な経験をさせてもらったのだろうと両親に頭が上がらないのですが、当時の私はあれもこれもと欲張りすぎた結果、日曜以外は毎日習い事へ通うことになり、いつも時間に追われていた記憶があります。

ガールスカウトで使用していたOPINELのナイフ


20代になると厳しい親の門限がなくなり、正しい自由時間の使い方を知らない私は、ハードスケジュール体質をさらに加速させ、栄養剤で無理矢理からだを起こしては寝る間も惜しみ、仕事も遊びも全力で楽しみました。

そんな忙しくボロボロな生活を繰り返していると、あっという間に30歳がきて「もうそんな無理きかないよ!」と神様から止められるように入院。

薄手のワンピースで電車に乗るたび優しい女性から「どうぞ」と席を譲られるほど、ぽっこりと前に出たお腹は妊娠でも、好き勝手食べすぎた結果でもなく、子宮に筋腫が11個もついていました。
(…てことはもっと食べてよかったってこと?)

入院中は、まるでメタルバンドのギタリストが早弾きできないよう手足を押さえつけられたような気分で、何かしたくても何もできない時間がただ流れていきました。

コロナで面会も禁止されていたため誰にも会うことができず、家族や友人からの差し入れや、お兄ちゃんからの連絡に勇気づけられ、自分は周りの人の助けがあるおかげで”生かされている”ことを再確認します。

(私は人の何倍も感謝して生きなきゃなぁ。それなら相手に1番伝わる形で感謝を伝えるには、言葉やプレゼント以外に私ができることってなんだろう…。)

ぽと、ぽと、と落ちていく点滴を眺めながら、感謝の伝え方について考えました。

病室からの景色

退院後は身体も少しずつ元気が戻り、仕事も無事復帰。勤めていたITの仕事は、業務だけではなく職場の方も大好きでした。どんな時も明るく前向きで、自分がお手本にしたいと思う人たちに囲まれた職場。しかし、コロナでリモートワークになってからは3年以上顔を合わすこと、声を掛け合うことがなくなり、「在宅最高!」なんて言っていた私も、気づけば部屋でただ1人疲れていて、だんだん日常の楽しさを見つける余裕がなくなっていきました。


それから人と直接関わる仕事をしようと転職を決意しますが、ここで今まで悩んだことのなかった壁に初めてぶつかります。


“やりたいことが見つからない…”


いつも好奇心が泉のように湧いていた私にとって、それはとてもショックなことでした。

転職サイトを見ては「なんか違う…」を繰り返し、何を見てもワクワクできず、そんな自分にも嫌気がさしてきて、転職サイトの広告キャッチコピーを見ては、常に上を目指していなきゃいけないような社会の空気を感じて布団にくるまることもありました。

人は上を目指すのも、そのままの今を楽しむのも
どちらも素晴らしいのに。

お花はいつも元気をくれる。
一輪でもそのパワーはすごい。


毎日渦のように悩んでいくなか、私の出した答えは”焦らず、その時を待つ”ということでした。無理に答えを探したり、人の答えを当てにしても、それは答えを見ながらテストをするのと同じ。自分で考えて思いつかなきゃ。焦って答えを出すより、アイディアが降ってくるのを待とう。そして焦ることがあっても、思い方を変えるように心がけました。

また休日は、ぶつかった壁に大きな絵を描くように
少年少女に戻るような遊びを沢山しました。

時間がゆっくり流れる自然の中でキャンプをしたり…
野球に挑戦して思いっきり遠くまでボールを投げたり…
旧友に会って、思い出の場所を歩いてみたり…

北海道でのソロキャンプ


そうして懐かしい感覚を取り戻すように過ごしていると、自然と人との会話も広がっていって、ある日、私が
野球をしている動画を見た後輩からこんなLINEが届きます。

「何事も始めるのに”遅い”なんてことないのかもしれませんね!」

それは私の動画を見て励まされたという連絡でした。
私の休日で、誰かを励ますことができるなんて。
そんな驚きと同時に、それは私にとって
ぜんまいを巻くカギのような言葉になりました。

後輩からの言葉がずっと頭から離れないまま、その日はお兄ちゃんとの浅草散歩。
(私にとっての幸せは”誰と過ごすか”なのかもしれない…)なんてこっそり幸せについて考えたりもしながら、目の前にいるお兄ちゃん、家族、友達、そしてこれから新しく出会う人が喜ぶことを頭の中でぐるぐるしながら迎えた翌朝。ついにその時がきました。



私「決めた。私、寿司職人になる。」

夫「おー!いいじゃん!」

元々日本の文化が好きで、お寿司が大好物だった私は、寿司職人というお仕事にも興味があり、仕事にしたらきっとみんなを喜ばせることができるかもしれない!とそれから躊躇う暇もないまま履歴書、職務経歴書を送り、面接へ行ってそのまま採用!悩んでいた日々が嘘のようにカラダは勝手に動いていました。けれど、こうしてカラダが動いたのもまた、自分の周りにいる優しい人たちの顔が浮かんだから。自分という人間は、自分のいる環境や周りにいる人を含めて”自分”なんだと私は思います。

そういえば、面接では私の経歴が珍しかったのか
こんなことを言われました。





…女スパイですか?

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お兄ちゃんへ

30代は走らず、歩きます。

妹より
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