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第7回『沼にハマる』




土曜なのだ
5/20の土曜なのだ
今回はリアルタイム投稿なのだ汗


なにを書くかなぁ、、、
なんて考えているうちになんだかんだしていたらもう5月の終わりに突入なのである、、、、うううむ。


昨日も、友人に教えてもらった「熱々ドロドロ餡掛け系麻婆麺」というものを昼メシに食べに行き、その後激しい腹痛と体調不良により今朝方まで悶絶していた。


美味いが辛い!一気に食べすすめその後死亡!
名古屋市中川区坦々麺「桂花」の麻婆麺



もういい加減辛いものを食べてお腹痛くなったり、連夜ハイボールを飲みすぎて体調がすぐれない、、、と愚痴る前に、もういろいろと弱いコトを自覚した方が良いと思うのだがねアサイくん。と自身を戒めつつ、この『あさい兄妹の散歩のつづき』も今回で7回目。
このままサボっていたら『つづき』が続かなくなってしまうので、なんとか重い腰をあげて記事を投稿する。




前回、あさい妹が第6回で綴っていたように、3月の中頃に彼ら夫婦を三重に招いてゆっくりしてもらった。魚釣りに行ったり、魚の捌き方の勉強会をしたりと、毎日何かしらをしていてバタバタあっという間の滞在であった。このコラムの序盤でも書いたが、あさい妹は好奇心旺盛で常に何か面白いことに向かってコロコロと忙しなく動いているイメージだったが、幾分かゆっくりできたらよかった。





今回、何を書こうかなぁとぼんやり考えていたのだが、そろそろこのテーマを書かなければと思う。




『DIYリホーム』だ。



友人・知人はなんとなくご存知かとは思うが、アサイはここ1年半ぐらいトントンコンコンと古民家を自身で大工・内装リホームしている。


父が生前、隠れ家として使っていた家で僕がその後を引き継ぐこととなったのだが、東京に住んでいたので年に数回しか行けず、建物自体が朽ちてきたのだ。


忙しさにかまけて行ってなかったのも悪かったのだが、コロナ禍になりみんなの働き方が変わってきたそのタイミングで「自身のリモートワーク兼スタジオにしよう!」という考えのもとリホームを始めてみた。


棟梁の杉本さん。頼りになります。


「家というものは人が住み、空気を頻繁に入れ替えることによって呼吸をさせることが大事なんよ」と知り合いの棟梁杉本さんがおっしゃっていた。むむむ。




およそ築40年の物件である、建物の仕様自体がバブル期に建てられたであろう設えであり、はっきり言ってちょっとダサい、そして古臭かった。


毎年恒例の野営隊の合宿にて。
雀卓、レーザーカラオケなどあった。昭和。



「嫌だなぁ、、、」と数年思っていたが、思っていても何も変わらないので重い腰を上げて断捨離から始めた。




リホーム好きな友人のアドバイスを聞くと「とにかくまずは捨てることが大事」と皆が言うので、コンマリさんかのように「ときめくもの」「そうでないもの」の判断基準で断捨離を始めたのだが、ほとんど「ときめかない」と判明!どんどん捨てていった。

使えなくなった年代物の家電や?なゴミ達。




最初は捨てる量が多すぎ、先述の「熱々ドロドロ餡掛け系麻婆麺」を教えてくれた友人に「トラックでごみ収集してくれる知り合いはいないか?」と相談などしたのだが、海沿いの田舎で市街地から遠く、量も量なので結構費用がかかること、そしてゴミの種類により回収できないものもあると、、、、



地域の回収で出せるゴミは45Lの袋に詰めこまめに出して行ったのだが、大物の粗大ゴミはどうしたものか、、、、。調べると地域の市による粗大ゴミ回収があると知り、そこで多くの粗大ゴミを回収してもらった。そしてその他の大きなゴミは地域のゴミセンターで¥170/10kgで回収してくれるという優れた施設があることも知り、着々とゴミは減っていく。大物はジモティなどで欲しい方に譲った。


年代物の革張りソファとガラスの机
半自動雀卓
動かない柱時計。



ジモティに出すと、数時間で引き取りたいと手が上がり、即座に旅立って行った。捨てるより貰ってもらったほうが気持ちが良い。



部屋がスッキリしてくると、壁や床の朽ち具合がわかってきた。最初は所々ささくれ立っていたフローリングの補修程度に考えていたのだが、ここもあそこもと手をかけるうちに「これは大変なことになってきたぞ、、、、」と薄っすらと勘づいてきた。




『リホーム沼』だ。


仲良くしている建設会社のおっちゃんに「そんなん素人がやり出したら大変やでぇ」と言われていたが、時すでに遅し。もう見なくて良いとこまでひっぺがしてしまっており、やらざるを得なくなっていた。






全体像が見えたところで計画を練り、工期を考え、自身が思うリホームをプロに依頼したら数百万かかるレベルであり、できるなら自分でやった方が良いと、建設・内装系の友人から言われ、色々なアドバイスをもらいつつも「YouTubeせんせー」や「Googleせんせー」で調べ、トライアンドエラーの日々が始まる。


ここからアサイの勉強と修行、HC(ホームセンターコメリ・ぎゅーとら)通いが始まる。





まずは古めかしい、階段から2Fフロアを覆い尽くす「カーペット剥がし」から始まった。これが2021年12月だ。

カーペットを剥がすと粘着剤の層が、、、



カーペットは朽ちており埃やダニだろうか?とにかく息吸い込みたくないね、、、というぐらい嫌な感じだった。だがカーペットを剥がし、粘着剤をひたすら削り剥がすしかない。


コテで劣化した粘着剤をこそげ落とす。何気に重労働。


カーペットを剥がし、どうしても邪魔なものがあった。使わなくなった洗面台。それも2台だ。前家主はもともと民宿をやりたかったのだろう。使わない洗面台が2Fに2台も。いらん。


ココで水道栓の構造と外し方を勉強する。


「YouTubeせんせー」や「Googleせんせー」で調べ、トライアンドエラーを繰り返しつつもなんとか前に進み始めて1月ほど。


2Fの洋室にある「これどぉーやって入れたん?」というような部屋の間口よりも大きなクローゼットがあり、試行錯誤したが1人でも2人でも運び出せないと判断。チェンソーでぶった斬り破壊した。この動画はストーリーに載せ大反響を呼んだw

デカ過ぎるクローゼットはチェンソーで真っ二つに切り、2階から投げた。モトリー・クルーみたいだ。これが2022年1月






続いて朽ちた床の補修。


床材の選定は勉強と決断の連続。サンプルを取り寄せ試行錯誤しながら毎半年は考えたなぁ。



最初はフロアシートやフロアクッションなどでやっちゃえ!と思っていたが、理想と現実の隔たりに葛藤し、知り合いの紹介で「無垢板」を全部自分で貼ることにした。これが後に凄まじく大変な作業であることに気づく。





1ケース7枚入り12cm幅の板でおよそ「1畳」が貼れる無垢板を53ケースも買った。これでも1Fのフロア分だった。

業者じゃないと買わない量。


友人にハイエースを借りて購入・搬入も1人でやり、本当に「沼」にハマっている自身を省みる事もあった。






まずは一番朽ち果てていた1F和室8畳間の床はがしから。朽ちた畳を全部ひっぺがし、合板と呼ばれる1畳の板を取り除く。

力技で合板を取り除く。最初の施工の手抜きがわかる。



もう40年も前の施工で、ところどころ釘やボルトも朽ちており、釘は抜けないし、ボルトも首折れなど、序盤から悪戦苦闘だ。


素人故に「持っている道具」でなんとかして行ったのだが、やはりその用途に応じて道具というものは必要であり、逐一買って道具の素晴らしさを知る。

合板を剥がすと。「大引き」「根太」という建物の基礎が出てくる。


このまま上から「無垢板」を貼るのも「高さ」「幅」など違いすぎて、素人ながらこれは補修が必要と判断。


畳の厚さ60mmと合板12mmで、、、とか考える。


大工の棟梁に相談したり、「YouTubeせんせー」「Googleせんせー」で勉強をしながら材料を揃え、慣れない大工仕事を進める。この頃になると、建物の構造や部材についての知識・成り立ちなどを勉強し始める。素人ながら図面を見て補修する手順などを考える。面白くなってきてしまったのだ。


根太の補強など勉強しながらやった。なかなか楽しい。


合間合間の作業なので、数ヶ月かけて1F和室8畳間を完成させた。
できたばかりの合板の上にシステム畳を敷き、友人と歓声の宴をおこなった。


朝メシでも食べているのだろう。



数日後行ってみると、そのシステム畳がカビだらけになっていた(涙)どうやら海沿いの家であり、床下等の除湿対策がなっていなかったのだろう。



今度は建物の構造と除湿の仕組みについてお勉強をした。


リビングや玄関、台所などまだまだ道のりは遠く、先の見えない戦いが始まった。

玄関入ってすぐの床が剥がれふわふわになっていた。開けたら合板が朽ちていた!ぴえぬ。コレが22年3月だな。


玄関の一部分の補修をやっでみてわかったのだが、リビングや玄関、台所は床引っぺがし総張り替えはとんでもない作業で、それに代わる『上貼り工法』という方法を取り入れた。




簡単に言えば、今ある床材を軽く補修しその上から新しい床材を貼ってゆく作業だ。



まず部屋のサイズを測り、どのような模様で無垢板を貼っていくかを決める。

こんなアバウトな採寸ではダメです。以後しっかりミリ単位で測る。

ココでの採寸と貼り始めがとても大事だ。スタートからズレているとそのしわ寄せで最後が美味く整わず不格好になってしまう。


縦と横を揃えない「千鳥」という貼り方にする。スタート22年6月14日。


床に採寸したラインを直接引きそれを型紙にし1枚1枚手作業で貼っていく。ボンドをつけ貼り、ズレないように釘を打つ。

コレが、大変も大変。一枚貼るのに20分はかかる。

プロがやるとエアータッカーという道具があり「パスん!パスん!パスん!」とあの聞き慣れた音とリズムで釘を瞬時に打ってゆくのだが、こちらは1つ1つインパクトドライバーで仮穴を開け、そこに32mmのボルトを曲がらないようにねじ込んで行くのである。途方もない戦いは始まったばかりだった。


これが2022年6/29なので2週間もかかった。






この地道な作業を、リビング・玄関・キッチン・和室と順に進めていった。




1Fの洗面台も撤去し、


自作で作った。


しかしながら、どうしても1人でできない大仕事があった。キッチンの解体と搬出である。そもそも素人がやるレベルなのかわからないが、もうやるしかないのである。


そんな悩みに四苦八苦していたところ、野営隊の古参であるかずしが長期遊びに来てリフォームを手伝ってくれた。


かずしが降臨したのが2022年の7月8日だ。




これを機に、今まで1人でやっていたDIYリフォームが劇的に進展する。やはり1人で進めるより「人力」も「考える頭」も2人の方が断然スピーディだ。問題→選択→決定→実行のスピードが速い。1人で悩まなくても良いから楽にもなった。しかもかずしは僕よりも経験値のあるDIYの達人だったのだ。



と、まぁ1人で始めたDIYリホームだがズッポシと『沼』にハマってしまい、ゴールが見えない明日が見えない状況であったが、ここから強力な助っ人により事態は激変急転する。それはまた次回にでも書こう。


今日も原稿書きながらいろいろやっていたらもう17時過ぎだ。冷蔵庫で冷え冷えのサッポロ黒ラベルが待っているので失礼します。


2023年5月20日
アサイ兄

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