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運命を変えるアサイゲルマニウム7(ぼくのおくさん)


運命を変えるアサイゲルマニウム7

やっぱり癌だったよ

「やっぱり癌だったよ」・・・という電話を受けたのは10年前のこと、今元気に日々を送っているのは、やはりアサイゲルマニウムのおかげだと思っている。

今回は、なんとぼくの妻について。書くか悩んだが、だれか読んだ方たちの役に立つ部分もあるかもしれないので、やっぱり書いておこうと思います。

出会い

ぼくのおくさんは年齢はぼくより一つ若く、元は小学校教員だった。正義感が強く、非常に真面目。一生懸命やりすぎて力尽きてしまうタイプ。ぼくは愛を込めて”ぜんまい仕掛け”と呼んでいる(汗)
2002年の12月に出会い、今はちょうど21年が過ぎたところになる。ぼくの実家のとなりの教会(キリスト教朝顔教会)の元牧師の次男で、当時北海道医療大学の准教授だった井出訓さんが彼女が所属する札幌の教会に通い、親しくしていたのが切っ掛けで、ぼくと井出さんの母親同士が朝顔教会のつながりで親しかったので、紹介を受けたのが始まりだった。色々とあり、神様の導きで出会ったのだと感じ、共に歩んでいくことを決めたが、ここでは本質ではないので割愛する。そして翌年2003年7月に結婚した。当時、妻は札幌市で採用されている教員だったので、ぼくとの出会いがなければ札幌で教員を続けただろう。しかし、ぼくが札幌に転勤することはないので、同居する場合に居住する函館の管轄になる渡島に異動希望したが、渡島は比較的人気があり、異動は難しい地域だとのこと。北海道の中では温暖なのも影響しているのだろう。

父親の介護

結局、結婚後の半年は札幌での勤務が続いたので別居だったが、札幌市の教職を辞して函館に翌春やってきた。その後は渡島の臨時採用で任期付きで半年くらいずつ様々な学校に呼ばれて働きに行った。
そんなふうにして何年か過ごし、10年ほどが過ぎた頃2012年、札幌でそば屋を営んでいた義父が脳出血で倒れ、日曜日の夕方のことであったために一晩十分な手当を受けられず、翌朝に開頭手術して手当したものの、重度の言語障害(ほぼ喋れなくなった)と右半身麻痺が残り、両親だけでの石狩での生活はできなくなった。そこで、函館の我が家に2人で引っ越してもらい、介護生活が始まった。義父は元々体が大きかったので、怪我の後は体重は減ったが、介護は身体の向きを変えるのも大変だったし、誤嚥で苦しむ(激しく咳き込む)ので夜でもゆっくり眠れず大変だったのを思い出す。
身体のあまり丈夫でなかった妻(結婚後も婦人科系の大きな手術を10年間で2度行っていた)には、結構な負担だったはずである。しかし、世話をしっかりと献身的に頑張っていた。

乳がんの発見とアサイゲルマニウムの摂取

そんなある時(2014年の春)、ぼくに左胸脇のしこりが気になるといい、痛みを感じることがあると言う。ぼくは早速ネットで調べてみたが、乳がんの初期は痛みが出にくく、分かりにくい(気づかれにくい)とネットに記されている。そのことを伝えると、当初は病院には行きたくないと言っていた。義父の介護も忙しく、本人は癌などになっている場合ではないと思っていただろう。しかし、痛みもあると言うし、診察は受けたほうが良いだろうと説得し、函館中央病院にて診察をした結果を聞いた時の直後、携帯電話での会話が、冒頭の「やっぱり癌だったよ」である。本人は全く落ち着いており、淡々とどうするかについて話したのを覚えている。
腫瘍はまぁまぁのサイズだったが、痛みが出たから比較的早く見つかった状態だった。義父の世話をしなければならないから、治療に時間をかける訳にはいかないと言う。いずれにしても、癌ということならゲルマだ。ぼくの中には自分自身も含め、親しい家族が癌になったら、それ以外のファーストチョイスはない
とにかく、研究の過去の成果や情報から考えられるアサイゲルマニウム摂取量のベストを考えた。
そして、妻は義父のショートステイの数日間の間にさっさと手術をして取ってしまうと言っているので、翌日から手術までもしっかり飲むようにした。ぼくが妻に飲ませたのは一日5グラムだ。もし下痢をしたら減らそうと思ったが、幸い軟便にはなったが大丈夫だった。たしか手術までは一週間程度だったはず。病院では化学療法(抗癌剤)も話が出たが、免疫力を下げるし副作用もでたら義父の介護も出来ない。そんな理由であっさり拒否した。担当医はせめて放射線は・・・というので、仕方なくそれは受け入れた。今ならそれも拒否しただろう(放射線も免疫細胞を弱め、体力を奪い、DNAを傷つけて新たな癌化を誘うから)。
兎に角、アサイゲルマニウムをしっかり摂る。術前からしっかりとれば、切除後の回復が良くなることは間違いない。術後の摂取は手術で弱る身体のケアのためと、いち早く自然免疫細胞の働きを高め、仮に残った癌細胞(腫瘍の元になる)を殺傷してもらう算段だ。

摘出術後のケア(アサイゲルマニウムの塗布)

半月から一月は5gで行こう。その後は4分の一ずつ、ある程度の期間のインターバルで減らしていこう。そんな計画だった。手術は無事にすみ、退院までも速やか、予定通りに義父のステイから戻って後は、介護もすることができた。あの時は体力も失われ、腕も動かしにくく、介護するのは大変だっただろうと思う。ぼくも協力はしたが、日中は働いているので、負担は妻が一身に背負っていただろう。義母も同居していたが、高齢にもなってきていたし、あまり力にはならなかった。
そんな中、放射線だけは・・・ということで勧められた治療が、時折あった。放射線技師には火傷のようになって痛むから、その時にはこれを使ってください。と、薬を与えられた。確かに、放射線の当たる領域の皮膚はこんがりと焦げ茶色に変色し、見た目にかなり焼けただれていた。そこで、ぼくは”アサイゲルマニウム含有クリーム製品をベットリ分厚く塗るようにして、手が届かないところは塗ってあげた”。その結果、当然のことながら痛みは全く出ない。病院に行くと放射線技師の方が「痛くなりませんか?」と尋ねるので、「全く痛みません」と答えると、そんなはずはないんだけど・・・と不思議がったそうだ。今になってみれば、研究の結果も含めて当然のことだけれど、研究は愚かアサイゲルマニウムについて知らない技師にとっては、全く不思議な患者だったに違いない。

アサイゲルマニウムと転移再発抑制

乳がんは、ご存じの方も多いだろうが再発しやすい。5年以内に再発するケースが多く、再発・転移が怖いと言われている。
アサイゲルマニウムの作用については、過去から免疫に関して数多く行われてきた。実際の臨床症例でもNK細胞活性をはじめ、摂取により特に自然免疫系を高めてくれる働きがある。さらに、転移抑制も分かってきた。
(以下は少しむずかしい内容だが参考のために記すので読み飛ばし可能)
最近の研究成果(2023年12月2日の日本バイオ治療法学会で発表https://www.asai-ge.co.jp/wp/wp-content/uploads/2023/12/vol10.-AGNL_20231220.pdf)として癌の転移抑制に作用する可能性が示されている。癌は発生した時には上皮性の細胞であることが多い。この上皮性の細胞というのは付着性(接着性)が強い。癌が起こった場所(原発巣)にとどまり、そこで増えて塊の腫瘍を形成していく。そして、環境が悪化して、この上皮性の付着性が強い細胞が、間葉系という付着の弱い細胞に性質が変換する。このことは上皮間葉転換(EMT)と呼ばれている。このEMTを引き起こすマクロファージのM2タイプへの分化(変化)を抑制することがアサイゲルマニウムの作用で、それによって転移性が高い間葉系への転換をさせないようにする

このように、転移性の高い癌には転移しにくい状態を作るためにアサイゲルマニウムを予防的に摂取するのが良いと、ぼくは思っている。実際に、過去の医薬品開発を行っていた頃の臨床研究でも、アサイゲルマニウムによる治療を化学療法と併用していた方々には再発が少なく、経年後の生存割合も良かったことが社内レポートとして残っている

妻の運命の変化(キャンサー・サバイバーとしての生活)

結果として、妻は約10年になる現在まで再発することなく、手術後の予後も良好で、義父の召天(介護を受ける中で神による救いを受け、今から7年前に召された)に至るまでの数年間に渡り介護を続けることもでき、その後も癌発病前よりも健康体になった。中国への御茶買い付け(単なる趣味)旅行にも5回以上行って(ぼくも数回は一緒に行った)、三浦綾子読書会の全国組織の働きでもせっせと労している。これは癌をきっかけに健康についてより考え、アサイゲルマニウムを多く摂取するようになったからに違いない

2017年GWの旭川三浦綾子記念文学館裏手にて
2017年夏の北京頤和園にて
2017年夏の北京前門大街にて


アサイゲルマニウムは確かに高額だ。しかし、元気な活動できる身体を得ることができるなら、そのために惜しむような金額なのか・・・それを強く考えさせられる。もっとも、人にとっては各々の宝とするものがあり、健康は二の次という人もいるのだろう。

ぼくのおくさんは、ぼくよりも周囲の人たちの病気の時に積極的にアサイゲルマニウムを勧めている。それは実体験が為せる業だ。ぼくはどちらかというとこれまでの人生は健康体であったため、生まれてこのかた55年近く入院生活というのを送ったことがない。だからアサイゲルマニウムで身体的に救われた経験はない。しかし、癌で余命を考えた人にとっては、アサイゲルマニウムで新たに与えられた時間というものは人生を変え、運命のスイッチが入れ替わる経験になるのだ。
体験した本人だからこそ言えることがあるし、説得力をもって「高いけど飲んでおいたほうが良い!」と言えるし、その言葉が心配してもらっている困難の中にある人達にも届くのだろう。とぼくは思う。
なにより、本人が癌について余り恐れていない。アサイゲルマニウム飲んでるし、いざとなればアサイゲルマニウムがある!という安心感からのものだ。
結局、その後の7年ほども妻は殆どの函館での生活期間において教員としての勤務が断続的にあった。しかし、コロナ禍での学校の感染症対策の馬鹿らしさに辞める・・・といっても(既に正職員としては退職しているので)臨時雇用の依頼を断るようになった。それにしても、今現在はやりたいことをやり、生き生きと日々を送っているのを見ると、やはりアサイゲルマニウムにより運命を変えられた一人だろうと思う。彼女の支えがなければ、ぼくはやっていけない・・・きっと仕事にも毎朝でかけなくなるだろう。コーヒーを入れて会社に行くように押し出されなければ、いつまでも家でダラダラと過ごすからだ(汗)
今も、妻はアサイゲルマニウムを愛用し、4つ程度(250mg入り4カプセルで1g)を毎朝飲んでいる。ちょっと調子が落ちた時、体調の心配がある日は1.5か2倍飲むように伝えて、その通りにしているので極めて調子が良い。

ぼくのおくさんは時折思い出したように言う「今生きているのはアサイゲルマニウムのおかげだね・・・ゲルマがなければ、あの時死んでたと思う」


2022年冬の銀婚湯にて


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