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エッセイ|カルボナーラ

なんだか今日は買い物に行くのが面倒だなぁ。
ありものでなんとかならないものかと冷蔵庫を開く。

お、あるある。卵にベーコン、粉チーズ。
にんにくチューブは賞味期限が切れているが
まあいい。これでカルボナーラが作れる。

カルボナーラは案外手軽なのだ。ベーコンを炒め、パスタを茹でればあとばボウルで卵液と和えるだけ。楽してとんでもないカロリーを取ろうとするところに私の卑しさが見て取れる。

慣れた手つきで作り終え、くるくるとフォークに巻きつけ口に放り込んだ。するとなぜだかいつもとは違う特別な味がした。同じ材料でいつも通りに作ったのに。

どこかのお店の味?でも私はあまり外でカルボナーラを食べない。なぜなら大抵生クリームが入った「ベーコンのクリームパスタ」だからだ。あれはあれでもちろん美味しいのだが、私が求める「カルボナーラ」ではない。

じゃあどこだ……?頼りない自分の記憶を辿っていると、突然ピカッと見覚えのある青と白のお皿がフラッシュバックしてきた。

実家だ。このカルボナーラは実家の母が作るカルボナーラの味がするのだ。

今の今までどうして私はこのあたたかい記憶を忘れて生きてこられたのだろう。私のカルボナーラ好きは単なる手軽さゆえではなかったのだ。

私の母は女手ひとつで誰ひとり言うことを聞かない、やかましい子ども3人を育て上げたレジェンドだ。あんなにもうるさい子どもたちを滅多に怒鳴ることなく相手をしていた穏やかな母には頭が上がらない。

そんな母が珍しく声を張り上げるのが、夕飯がカルボナーラの日なのだ。

「もう出来んでー!ゲームやめてお皿とフォーク持ってってやー!」
「ほら早よ食べな卵固まるやろ!」

母は卵が固まってボソボソになったカルボナーラが許せないらしく、出来上がりのカウントダウンをし、熱々のカルボナーラを食せと猫舌の三兄弟に言うのだった。

私たち兄弟が成長するにつれ、一緒に夕飯を取る機会が少なくなったために自然とカルボナーラは献立から姿を消した。そのことにも気づかないまま大人になった私は家を出た。

以前ふらっと実家に寄ったとき、母しか住んでいない家の冷凍庫には冷凍パスタがひしめき合っていた。

「あたししかおらへんのにごはん作ってもなぁ」
そう眉を下げて困ったように笑う母を思い出した。

あぁそうか。
あのカルボナーラは母の愛そのものだったんだな。
あんなに口酸っぱく「早く食べなさい」と言われたのにゲームに夢中で食べない日もあった。

私はいつも気づくのが遅い。
でも気づかないままでいるよりずっといい。

生まれて初めて泣きながらカルボナーラを食べた夜だった。

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