FILM REDを観ました。感想です。※10/22編集




私は額面通り受け取りがちなので
公開日を迎えるまでの特報に踊らされ続けた毎日だったわけです。
シャンクスに娘がいるのか…!マジか…!
本当の娘と信じて疑いませんでした。

一緒に見に行った友人が、見る前におもむろに聞いてきました。

「ウタって本当に、シャンクスの娘だと思う?」

私は面食らってしまって、
え!!?違うの??あ、ああ…確かに…そうじゃない可能性もそりゃあるよな…そうだね…

額面通り受け取りがちだなと思った瞬間でもあります。

見終わった後友人が言いました。

「本当の娘じゃなかったね」

どう受け取るかは人によって違いますから、この物言いに対して何を言おうってわけでもないんですが
あー、見る前に聞いてきた質問、そもそも質問の意図と私の受け取り方が違ったんだなって感じでした。ただそれだけでした。

うそです。『額面通りだったのはどっちだろうか』とも思いました。
どっちもかもしれません。


【シャンクス】【父親】で思い出されることと言えば
大分前から、マキノさんがお子を抱いていた表紙がでたことでシャンクス父親説が浮上し、いや、まあこれもまだそうじゃないと決まったわけではないから何とも言えないんですけれど

今回のウタとの関係やシャンクスの態度を見ると違うんじゃないかなーと思ったのが正直なところです。


少々逸れましたが、今回の映画の感想を端的に言えば
私は、めちゃくちゃおもしろかったです。
すごく好きでした。

深読みとか、今後の本筋含めての考察とか
なんか難しいところは全然わからないんですけれど
1本のストーリーの展開が、それに付随するキャラクターの心情が
ちゃんと落としどころにはまっていきながら見られたのですごく良かった。

たぶんですけど、ただのAdoのライブじゃんっていう人もいると思うんです。
人数として、わりかしちゃんとした数がいるんじゃないかなとも思います。
それだけ強く印象深い歌声で、素敵な曲が、何度も何度も流れるわけですから。しかも映画館の高音質空間で。
更に【ワンピース】を見に来てるんだよこっちはって人ほど、ウタのキャラクターと楽曲たちを引きはがして、なおかつAdoさんの存在を表に意識しながら見てしまう。
それ自体は否定できないです、そういう人もいるよなって観てて思いました。
それがメインになってしまうか、そういう楽しみ方もあると選択肢として捉えるか。それすらも多面的で素敵だと思います。

メタ的な話ですけれど、"歌を挟むことで感情の高ぶりにつながる相乗効果がうまれる"みたいなところにそもそも肯定的でないと咀嚼するのが難しいと思いました。
ミュージカル映画が苦手な人が、なんで日常でいきなり歌いだすのかわかんないから見るの得意じゃないと言うように
熱いバトルや台詞の温度感、やり取りで良さを感じ取っていたところに、いきなり歌が入ってくるとこれって必要だったのかな?ってなっちゃう。

これは考えすぎかもしれないです。しれないんですけれど。
あと今回の映画がミュージカル映画だったと言っているわけではありません。あしからず。

私自身は良い曲に心揺さぶられる経験が何度もありましたし、感動しいなので曲に入ると鳥肌がブワアアア!!となりました。
映画公開前にすでに配信されていた楽曲たちはあらかた聞いていっていたのですが、劇場で観て聴くとそういうことか…!となり、四十億巻を読んで歌詞を見るとそういうことか……!!!!となりました。
この流れを作り出したプロモーションの仕方、神の所業です。


まず、世界的歌姫ウタが初めてライブをするということで集まった人たち。ファンであり、目的を持った者たちであり、守る者たちである。
ウタが登場と同時に歌いだした所で、すでに能力は発動され来ていた人たちはみんな現実の世界から架空の世界へ閉じ込められているわけですが
それがわかるまで、ウタの能力強すぎだろと思いました。真面目に。
ウタの世界だったから当たり前なんですけれど、悪魔の実の能力は相性が大事なのは散々言われていて、それにしたって強すぎワロタって感じでした。

眠らないと解けない、ということは海水でもダメだったのかな?
現実の世界で海軍がウタを止めようとしたときも海楼石とか見えなかったと思うので一旦中に入ってしまうと現実で何されようが中の人たちは戻ってこれなかったんでしょうね。そのへんもマジ強すぎと思いました。

そんな能力に引っ張られて、国の奥底に保管されていたトットムジカは目を覚ましてしまい、魔王が出てきてしまう。
ウタが幼い頃の暴走は父シャンクス率いる赤髪海賊団が止め、全ての罪を背負ってエレジアを後にする。

シャンクスは常々、自分が、自分という立場が、どう動くべきなのかを見据えられる人ですよね。
しかもそれが、(本当の立場的なところも関係してくるんでしょうが)大人の少々厄介な世界で出来ているからよりかっこいいです。覇気がケタ違いにつえぇオジサンなだけでもかっこいいのに。
そして別れに対してはしっかり涙を流す。ルフィに泣いて乗り越えろと語りかけていたことに説得力が増してきます。

幼いウタにエレジアに残るかと聞いて否定されたあと、そうだよなと抱きしめたシーンはウタを安心させる為かと思ったんですが
あながち自分自身にも向けられたものだったんじゃないかとラストのほうを観て思い返しました。垣間見える父の柔さ、良。

ウタは暴走のあと、ゴードンとたった2人、エレジアで過ごす日々。
どれだけ寂しかったんでしょうか、計り知れません。
今までは歌えば父も仲間も喜んでくれた。
それが裏切られ、捨てられ、残された。
ゴードン以外誰もいない島に。
そんななかで実は自分のせいだったと真実を知ってしまい、また、世界に発信できるようになったことで取り戻した明るささえも、世界のみんなが日常に苦しんでいることを知って、自分が変えてあげなきゃと圧迫気味な責任感に変わってしまう。

【世界のつづき】に出てくる『海の広さを信じられる』『海の広さを信じてみる』という歌詞、シンプルですがここに何もかも詰まっているような気がしてなりません。


現代のネットにおける危険性みたいなものに似た感じで写し出されていて、本当にこれはあるなと思ったんですが
閉鎖的な環境であることを1番自覚しているはずなのに、目の前に見えるものがすべてだと思い込んでしまうんですよね。
私を見ている世界中の人が日常に苦しんでいる、苦しみから解放されたいんだみんな。解放されるには私の歌しかない。
それが"みんなの総意"だと思ってしまう。

全てではなく部分でしか見えていない中
そういうことを言われ続けたらふつふつと沸き上がる極端な感情もあると思います。

言葉を選ばないで言うのであれば、ウタはかわいそうです。
すごくかわいそう。
会場に来た人たちが撃たれたり、言い合いをしたり、傷つくことに過剰に反応していたところを見ても素直さがよくわかりました。
ただ本当にみんなに幸せになってほしかった。それが自分の幸せでもある。
その逆も然りで、自分が明るく楽しく見せていればみんなも幸せになれるんだと信じて疑わない強さもあった。

例えそれが寂しさを紛らわせるところからうまれた感情だったとしても。

ウタはみんなの期待に応えたかっただけ、聴いていたみんなも正直な気持ちをウタに言っただけ。
ただそれだけであり、それだけではなかった見えない部分もあっただけ。
どちらが悪いとかではないということが、難しいところです。

【世界のつづき】の歌詞でも『?』がついているところのほうが多かったことにウタの気持ちの揺れを感じて苦しくなったのですが

ただほんのもう少し、ほんのもう少し先まで、

海の広さを信じられたらよかったなと思いました。

これも決して簡単な話ではないんですけれど。


現実世界とウタの世界と、両方から同時に魔王に攻撃しないともとに戻れないという話から、ああ、最後はルフィとシャンクスが会わずして共闘になるのかと思いました。
それだけでもかなりアツい展開ですが、まさかウソップとヤソップが共鳴し始めるとは。アッツい。
シャンクスとウタの親子喧嘩という形でしたが、そこにちゃんとウソヤソ親子も関わってくるあたり、つくづくファミリーのお話ですよねワンピースって。好きだ。

映画を見に行く直前に田中真弓さんのインタビュー記事を読んだんですが

冒険の対義語の話。以前SBSかなんかでもありましたっけ。
これだからワンピースはやめられねえと思いました。好きだ。


ちょっとここは曖昧で、もう一回見てから訂正するかもしれないんですが
魔王に対する攻撃で、現実で撃ったベンベックマンの銃1発とウタの世界でのサンジ+誰かの攻撃が同威力とされていた(ように見えた)シーンがあったと思うんですが
まアじかよ!!!もーーー!!!
つおいオジサンかっこいーーーー!!!!
とマスクの中で口を開かずにはいられませんでした。(ちゃんと声は抑えました、今までの流れで頬をつたった涙がちゃんと口の中に入りました。)
サンジだったか誰だったか……もう一度確認したいワンシーンです。

※追記
これ、ゾロと誰かでしたね。そりゃあ右腕同士、そうなるか。
肝心のもう一人はまたもや忘れました。どんだけ記憶力ないんだ。
だってもう泣いてんだもん。いいよもっかい見に行くもん。


ともあれ、やはりまだ、

格上なんだなと。

最後の一撃で、ルフィは5thの姿になっていましたが
まだまだ彼らは新緑であると意識をねじ込まれた感覚です。かっこよすぎる。

とはいえ私が映画のシーンでいちばん鳥肌が立ったのは
ウタとルフィが2人で話すところで、捕まったルフィがロジャーの処刑台に乗せられた時のような姿になったところです。なんて言うんですかアレ、座らせられて交差した刃物を向けられているところ。
ちょっと知識不足でどう言っていいかわからないんですけれど
いちばんゾワっとしました。もちろんエースもちらつきます。
不意にきたので震えあがりました。
この先にまた同じ画を見るときがくるのか…ドキドキです。


物語の最後、レッドフォース号とサウザンドサニー号は違う方角へ進みます。
今会うわけにはいかない。
大事なものを失いながらも進むしかない。
あえて、〈男の船出〉とするならば、やはり顔を見せるのは野暮だと言われているようなシーンでした。かっこよかった。

ウタは新時代にこだわっていました。
「私が新時代に連れていってあげる」
"新時代へ導く女"
ライブ名、NEW GENESIS。
エンドロールで【風のゆくえ】をBGMに"事のその後"を見ることができます。
ゴードンが海の見えるところで子供たちに音楽を教えていて、1人の女の子が顔をキラキラさせながら音を楽しんでいる。


『ただひとつの夢 誰も奪えない』
『私が消え去っても 歌は響き続ける』

ウタが残したもの。音楽の力。
未来へ繋がっているところまで、思いを誰かが受け取っているところまで
見せてくれるのがワンピース。


原作の最終章、ますます楽しみになりました。
今回少し明らかになったシャンクスの過去や、まだまだ残された謎の数々がどうなるのか。
予想、したくもありません。
ただただ享受していきたいです、それしかできません私は。

ひとつ戯言を残すとすれば
今回の映画を観て、シャンクスに1回海賊王になってほしいと思いました。ルフィの前に。
グランドライン1周を成し遂げラフテルの謎を知ることで空いた玉座に座ることが出来るのであれば、一旦シャンクスにそれ、やってほしい。

いやでもまあ、ルフィが言うにはいちばん自由なやつが海賊王ですもんね。
私自身が椅子取りゲームだと思っている時点でなんだかこちらの"してやられてる"感も否めません。


あーーーーーー
おもしろかったな。本当に。めちゃくちゃおもしろかった。
ライブシーンのこれでもかと詰め込まれたカラフルな色彩も相まって
視覚・聴覚・感覚全てを楽しめました。もう1回見たい。見ます。



レイトショーで見たあと劇中歌を流して余韻に浸っていたときに
とりあえず感想を殴り書きして、ある程度でまとめていたと思ったんですが
気付いたら寝落ちてしまっていたようで。

目は覚めたけどなんだか少しぼーっとします。


そんなわけないんですけれど

違う世界にいるみたいです。



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