梅切らぬバカを観ました。


コント師がその演技力で物言わすドラマや映画は好きです。
東京03とか、サンドウィッチマンとか、最近だとハナコとか。
素人目とは違ってご本人たちは舞台が変われば「全然違う」とおっしゃるんでしょうが(もちろん求められるものも違うんでしょうけれど)、"違和感がない"や"いい味出してる"みたいな言葉は、私は誉め言葉として使います。


ほんの1時間ちょっとしかないのかーって思って。
でも本当に日常を切り取って見ているような気がして、うん、そうだよなあって思いました。
結局ちゅうさんはグループホームでうまくいかずに家に戻ってくるし、お母さんにもしものことがあった時どうするの?っていう最初からの問題は何も解決していないんだけれど
お隣さんとお友達になったり、ちゅうさんがポニーを驚かさなくなったり、最初と最後じゃ明確に違うところもある。

お母さんとちゅうさんの二人三脚で、今までもこうやって少しづつ少しづつ進んできたんだろうなあと思うとかなり目頭にキます。

お隣の少年はマジでただただいい子でしたね。
勝手に家に入ってきたけれど、野球ボールを返しに来てくれたんじゃ?っていう思考回路、そこから友達になれるんじゃないかと話しかけるスタンス、ちゅうさんの少し変わった言動行動に特に何も思わず、なんならポニーを見せてあげようとする行動力。
そしてちゅうさんをおいて逃げてしまったけれど、ちゃんと正直に親に話し謝れる素直さ。いい子だあ~~~

私の住んでいる地域にはああいったグループホームはないし、騒音がどうのだとか、子供に危害を加える恐れがあるだとか、そういったことに直面したことはないけれど、
地域住民の方々の思いそれぞれ実際に"ある"んだろうなとは思う。
ああいう誰も別に悪くないけれど心配もわかるし譲れないところもあるしみたいなのはただしんどいです。
苦しくなります。偽善っぽいんだと思います私自身。

偽善そのものを悪だとは思っていなくても
今回の場合は障がい者とそれ以外、で考えて、生きづらさを見て泣くという行為のそれに関して自分自身で疑問を持ちます。
なんかそれって勝手に可哀想だと思って泣いてない?みたいな。

お母さんから見ても、ちゅうさんから見ても、ポニーの飼い主から見ても自治会長から見ても、
【いい結果】を考えて悩みますが『私には無理だ』で旅半ば座り込んでしまいます。
お隣の少年が良いとわかっていても自分にその行動が出来るかはあまりにも別すぎる。俺、できねえ。

だからこの手のヒューマンドラマと言いますか、少々苦手ではある。
観て考えることが大事と、言い聞かせることもあるんですけれどね。


お父さんが植えたと言い聞かせた梅を切ろうとするとちゅうさんが怒るのは
ずーーっと居なかったとしても"お父さん"という存在がどういうものなのか多少なりとも理解しているからでしょうか。
お母さんから見た"元旦那"とちゅうさんから見た"お父さん"に大分差はありそうでしたが、持ち続けている思いがあるのは
『しょうがない』ではなく『大切にしている』ということだといいなと思います。



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