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教団X 読みました。




高校生のころ、同じ部活の同級生から聞かれたことがある。

「○○先輩と△△先輩から××っていう宗教の勧誘受けた?」

たかだか15~16歳だ。我が家はそういったものと無縁だったのでその手のリアルな話を聞くのは初めてだった。

同級生は、先輩方にごはんをおごると言われ、食事が済んだあとどこか辺鄙なところへ連れていかれた。何か集会的なことをやっていたらしいが、強引な勧誘はなく、入会を断ると無事帰されたと。
そしてその後、先輩から宗教の話が出ることはなかったらしい。

これはかなりラッキーなほうだったんだと思う。
少し前に公になったニュース然り、大学へ進学した身近な友人らの話然り、すぐそこに"ある"ものなんだと意識が変わっていったのを覚えている。

創作物に手を出す時、「"フィクションである異常さ"を摂取する」つもりで見たり読んだりするのだけれど
やはり著者の巧みな文章にしっかり踊らされて、私もその中に入ってしまったかのように、もう逃げられないんじゃないかと思うように、その場に縛り付けられる感覚になってしまう。

今回も例に漏れず、読後は妙な閉塞感が私を覆っていた。




「教団X」  中村 文則

楢崎は、突然自分の前から姿を消した立花涼子を探していた。探偵小林の協力で行きついた先はある宗教団体。不思議な雰囲気の老人が週に1度集会を開き、対立するカルト教団の存在も明らかになる。
性への向き合い方や貧困、国際問題の提起にまで及ぶ団体の動き。
自分の信じるものの為、信じるものを探す為、救いを求めてそれぞれの思惑が交差する__



主な登場人物は、楢崎と立花涼子を含めた恋愛感情でそれぞれに矢印が向く男女四人。
そして宗教団体とカルト教団のトップ。
その他にもキャラの濃いというか、信者や幹部と呼ばれるような人であったりがいるが、全体的な話の中心になってくるのはこの六名だと思った。

序盤で引き込まれるのはそれはそれは長い宗教団体トップのおじいちゃんの話。
団体を設立する目的のもと生まれたものではなく、話し手である一人のカリスマに聞き手が集ったかたちだったのが面白かった。

『人間の意識は、自分がそうしたいと思うより先に脳が信号を送っている。つまりは自意識なんてもの本当はなくて、すでに決められたレールの上を歩いているだけなんじゃないか?』

みたいな話とか。

素粒子だとか輪廻転生だとか、確かにすべてが繋がっているように語られる話を実際に耳にしたら、「この人はすごい」「この人の話をもっと聞きたい」と思う。少なくとも私があの場にいたら、そもそも宗教団体だとは思わずに参加している可能性があるなと思った。
なんだか授業を受けている感じ。


そしてメタ的に、この長いおじいちゃんの話の裏に信じられない程の文献が見え隠れするところも、ホワァ~~と息をつくタイミングだった。
一旦物語を読み進めるのを止めて、参考文献のページ見にいったもんな。作家さんてすごいな~


楢崎は、立花涼子を追ってカルト教団に入って染まっていったり、そこであてがわれた女としっかりやることやったり、でも宗教団体に戻ってきたらそれはそれで馴染んでいたり
抱えるものや思想が強めな人が多くいるなか、良くも悪くも普通の人間だったと思う。環境に流されていくというか。
ブレずになにかを信じぬくってめちゃくちゃ大変だしすごいことだよな、向かう先がどこであっても。

後半にかけて物語はどんどん動いていくし、今の人格に至る過去がそれぞれたっぷりと語られているけれど
「でも、それでもやっぱり"人間は素粒子の集まり"とするならば…」
と引き戻される感覚が何度もあった。それほどに最初のおじいちゃんの話が印象的だった。



そして物語の最終局面で、カルトの教祖は過去を独白をするわけだけれど
(実際は楢崎相手に話しているけれどもはや独擅場のように見えた)
自分の中の高ぶりと無関心さ、求める刺激の異常さみたいなものにずーっと執着していたが、なんやかんや言って"いちばん欲しかったもの"って宗教団体のおじいちゃんだったのかななんて思ったり。

なんだろう、友だち?気の合う仲間?自分でも気づかないうちに認めている人間?
友情努力勝利的な、ジャンプ的な思考回路になっているかもしれない。私が。

おじいちゃんの前は一緒に働いていた楢崎に似ている人。
2人とも手に入らなかったから虚無感続いちゃってんじゃないの?みたいな。



もう一度読みたいと思う質量ではないんだけれど、もう少し咀嚼したい部分がたくさんあってどうしよう。
結構うろ覚えで、でも感想文書きたかった。

調べていたらインタビューがあってこれもおもしろかった。
答え合わせをしている感じがして、うわっ、うわっ、と。
私は、最後はなぜか「怖い」という感情で終わった。


私は今後、まだ続くであろう人生で
妄信したり、崇拝したりする何かに出会ったりするんだろうか。
その教えこそ全てだと、友だちや家族をも巻き込みたくなる瞬間があるんだろうか。

救いを求めないとやっていけない将来など希望してはいないけれど
願わくば、苦しみはあっても少なめでよろしく。
そんなに強い素粒子の集合体ではないと思うから。



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