今日に至る思慮
鳥取砂丘を歩きながら、IVSとか最近の思ったことを書いてます。
情報だって感謝だって、大切なものなんてすぐ側にいっぱいある。
IVS Kyoto 2024
自身としては、初めてのきちんとしたビジネスに触れる場。
凄くポジティブな刺激も貰えたし、行ってよかったと強く思える経験だなぁと。
一方で、色んな疑問や問いを投げかけたいとも感じた時間。
IVSなどの一流企業の方々などが集まるビジネスの場や人に触れたら視座が高くなるのか、売上や市場価値が高ければ高いほど視座が高いということなのか、何だか自分はそうでは無いんじゃないかなーと話を聞いたりしながら思った日々。
別に他意はなく、資本主義社会の中で戦っている、日々生きている方々だなぁっていうのを凄く感じたと思います。
技術の革新。テクノロジーの進化。
悠久を経て現代に至るまで、お金という概念が生まれ、時代を経ると共に世の中は便利になってきた今日。資本主義の元に確率されてきている効率化社会。
別にそれらを求めるのが悪とか、そういうのではなくて、その先にある社会をどう捉えているのか、凄く問いたいなって。
効率や便利が、必ずしも人類に幸福をもたらすわけでは毛頭なく、また新たな課題や不便を生み出す。今までの効率が非効率になる。
こんなものは当たり前だと思っていて、じゃあ今までの幸せが不幸になることもある。
然らば、今の時代その不幸になってきたものを人達を幸せにする手助けをしている人は、企業はどれほどいるのか。
それらを考え、その先に見える幸福と不幸を捉えた上でどう進んでいるのか。
果たして、人類の発展は人類の幸福なのか
全てに当てはまるものでもないし、必ずしも必要というわけでは無いけれど。
"足るを知る"
日々の目の前に感謝し、大切にしたい人たちを大切にし、手を取り合っているような人々は、今の現代社会では不便と思われる事も不便と思わないような心の豊かさがあって、そこに気付けている人は少なくとも今の在り方や考え方に疑問を持っているんだろうなって想像してます。
多様性と謳うけれど、世の中は既に多様性に溢れていて。
その中で、お互いを受け入れて理解をするというのが本質。そこから関わるかどうかは別。
〜したい。〜のために。
人間は欲に忠実。個人の欲を叶えたからと言って、その先に幸せが待っているのか、それが本質的な心の豊かさに通じているのか、んーこれもまた疑問で。
やはり、お互いがお互いを思いやり、リストペストをする。
その中には、自責思考や自覚、責任感。
自分の一挙手一投足が、この社会に寄与しているのかもしれない、そう思う心。
それで卑屈になったり、自分のせいだ〜なんてネガティブになる必要はなくて、そうかもしれないなって思う事が第1歩なのかなぁなんて。
先達の言葉や心得というのは、それ相応で在るべくして、継がれるものとして今在るわけで。
だからこそ、非効率に見える昔のものだったり、不便だと感じるものにも、何か意味があるかもしれない。
それを考えようとする姿勢だけでも良いから、それぞれの個人が、正しく一人一人が社会の一翼、社会起業家のような意識や自覚を持てたら社会は良くなるんじゃないかなって、幸福を持てる心の豊かさってのが蘇って来るのではないかなぁなんて。
かく言う自分もまだまだなので、他人には言えませんし、言いません。
あー、どうやったらそういう社会になっていくために行動出来るかな〜なんて事も考えてます。
特に、今は自分の事業でどうすればそういう想いを届けられるかな〜とか。
もーみんな汗水垂らして農業一緒にしよう!
って、ここ数ヶ月考えてる西谷でした。
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