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【エッセイ】ケチメイト

 「結縁」と書く。「けちえん」と読む。
 仏教用語であるらしい。仏と縁をむすぶこと、仏門に入ること。ほかにも意味や使い方は色々あるらしい。
 縁などと言い出せば、この身を取り巻くあまねくものが縁あってこのように成りたっている。なにものにも縁を持たない人など、存在しないのだ。
 学生のころ、結縁と聞いて「ケチメイト」と言った人がいた。当時は軽いヤツだと少し侮っていたが、このケチメイトという言葉なかなかいい響きではないか。
 親きょうだいにととどまらず、友達も隣人もたった一回あいさつを交わしただけのあの人も、すべての人と縁あってかかわりをもったにちがいない。つまりは結縁した仲、ケチメイトなのだ。
 平たく言えば縁結びなのだけど、色恋が前面に出るのは面白くない。縁を結ぶ、ではどこか堅苦しい気もする。ケチメイトくらいがちょうどいい。
 みんながケチメイトと思えば、日々の憎らしさもやわらぐし、どんな人のことも無下にはできない。
 (縁に良し悪しがあるかは知らない。個人的にはあるような気もするが、悪縁と思われたものが後に良い縁であったと思えることもあるだろうとも思う。逆もまた然り。)
 私が書いたこの文章を読んでくれたあなたは私のかけがえのないケチメイト。そして私もまた、あなたのケチメイト。

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