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「仲がいい関係」と「分かち合えている関係」ってちがうよね

こんにちは!

記事を開いていただきありがとうございます!

社会人になって8年目の今、学生時代の同級生や勤め先で関わりのある方以外にも、趣味のコミュニティやSNSで幅広く人間関係を持つことができています!

不思議だね。同世代としか知り合う機会のなかった学生時代よりも、浅く広くいろいろな人と交流を持てる今のほうが緊張感なく人間関係を構築できているのです!

出会う人の母数が多ければ多いほど、自分の人間関係を最適化しやすくなるから、かえって楽になるんじゃないの?と気づけた今日この頃。

そんな私が、最近の人間関係の中で感じた「仲良しな関係」と「分かち合った関係」の違いについて書いていきます!


なぜ「仲良し」と「分かち合い」を区別するのか

なぜ「仲良し」「分かち合い」など、人間関係の状態をいちいち区別するのか?

私なりの答えですが、誰であっても1人のお相手に「仲良し」と「分かち合い」同時に求めてはいけないと思っているからです。

人間関係を上手く築けなかった頃の私は、1人の相手に「仲良しであること」と「私と分かち合えること」を両方求めており、それが叶わない相手とは人間的つながりが薄いものだと捉えて悲しんでいました。

今思えば、悲観的すぎる。。。

最近は、「価値観が合う人とつながるべき」という風潮に加えて、「苦手な人との人間関係はやめていい」という言葉もよく聞くようになった気がします。

誰とでも空気を読んで頑張って付き合っていたころと比較して、フラットな人間関係が築きやすくなったと思います。

しかし、過去の臆病だった私は、そういった風潮を都合よくとらえすぎて、心を閉ざしすぎていた。。。

その結果、孤独感に苦しんだり、広く浅くの人間関係から得られる恩恵を逃していたこと気づいたんですよね!

私が今関係性を持っている人たちについて、「仲良しな人」と「分かち合える人」という区分を意識していると、不思議と一人に対して多くを求めなくなるので、すごく楽な状態で生活できるようになったのです!

※もちろん、「仲良し」「分かち合い」以外の分類もあると思いますが、簡略化するために今回はあえてこの2分類で話を進めてみます。


仲良しな関係とは

私が思う「仲良しな関係」とは、価値観や話題に共感できなくても、一緒にいて楽しい人との関係です。

こういう定義だと、実は私と仲良しな人ってすごく少ない。

たとえば、学生時代からの友人などが「仲良しな人」にあたります。

私は独身一人暮らしで、自分のキャリアや趣味を第一優先に生きていますが、仲良しな友達は既婚・子持ちでライフスタイルが異なります。

彼女たちにとって今一番関心を持っているであろう、パートナーとの会話とか子育ての話題は、私にはできません(笑)

趣味だって全然違います。

小説を読むのが大好きな私と、ドラマや映画が大好きな友達。

話題選びが難しいです!

仲良しなお友達とは、年に数回食事に行ったりドライブしたりするのですが、共通の話題も少なければ、価値観トークなんてできやしない(笑)

※照れくさいのもある。

何を話したかはあまり覚えていないけど、でも一緒に過ごした時間は確かに楽しかったはずwwww

別れた後に、こんな風に思える関係を「仲良しな関係」と呼んでいます。


分かち合えている関係とは

私が思う「分かち合えている関係」とは、人生観や価値観トークができる関係です。

それ以外にも、大切にしていることが同じ知人とは分かち合えていると感じています。

私は、某セラピストさんの「姿勢や体の使い方を整えることで生き方を整える講座」に年に数回通っており、その講座で知り合った知人はみんな分かち合える人だと思っています。

「自分の在り方そのものを整え、等身大の自分で穏やかな精神状態で生きていきたい」

同じ講座に通う仲間は、おそらく皆この価値観を大切にしています。

その人たちとは、「講座で習った姿勢や力の使い方を生活の中で試したら、自分の心身や人間関係が整ってきたよ~」という体験談を良く話します。

分かち合えている関係は、仕事上の人間関係でも築くことができると思います。

実はずっと苦手だと思っていた会社の先輩と飲み会で話したときに、仕事観について案外熱く話せちゃった、なんてこともありました。

※その先輩も、飲み会前までは私のことを“お堅い人”だと思っていたそうです。

分かち合えているからといって、価値観を共有している知人とか、尊敬する会社の先輩と、しょーーーーーーーもないバカ話でケラケラ笑い合えるわけではありません(笑)

でも、それって悲しいことか??

んなわけないだろ。

こういう深い話をできる人が好きで仕方がねえんだ、私は!!!


人間関係は広く浅くであるべき?

じゃあ、人間関係は広く浅くであるべきなの?

そんな問いが生まれてきそうですが、私の答えは、

「1人1人との関係について、自分と相手が心地よい距離感を随時調整すべき」

だと思っています。(あたりまえすぎ?)

私はすごく極端な人間だったし、自己信頼が足りてなさ過ぎて、ずっと心を閉ざしてきたので、上記の答えにたどり着くまでにすごく時間がかかってしまったのです💦

自分自身を信頼できておらず、そのせいで他人から嫌われることを過度に恐れ、ぶ厚い心の壁の内側に孤独感と虚栄心を隠しながら生きてきました。

自ら壁を作ったくせに、孤独感にさいなまれていたときは、本当に辛かった。

その生き方で、人間関係から受ける恩恵をたくさん拒否してしまっていたなと猛反省しているのです!


足りない部分に過剰反応しないこと

「友達の○○ちゃんとは価値観が合わないしな、、、」
「会社の○○さんとは気を遣うから話したくないな、、、」

こんなふうに、ある1人との関係性の足りない部分を探したり、過剰反応すると、人間関係構築が難しくなる。

逆に自分自身に対して、

「価値観を共有できない私は人間関係が苦手なんだ」
「盛り上がりに欠ける私はコミュ障なんだ」

という感じで、足りない部分を探し責めすぎると、それはそれで人間関係構築が嫌になってしまう。

人間関係の苦手意識は“自分や他人の足りない部分への過剰なフォーカス”が原因なのかもしれないね。

読んでいただきありがとうございました~!!


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