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市尾墓山古墳燈火会と高取町の史跡

8月12日奈良県高市郡高取町の国指定史跡の市尾墓山古墳燈火会にてライヴ出演させて頂きました。
このイベントは市尾地区の皆様により20年以上に渡り開催され、古墳に無数の竹灯籠が並べられ、ラストには花火、先祖を供養する盆にして、いにしえの先人に奉納する、まさに夏の風物詩といえる素晴らしいイベントでした。

ご開催にご尽力頂き地元の皆様には敬服申し上げます。

市尾墓山古墳は西側に鎮座する天満神社奥にある市尾宮塚古墳とあわせて国指定史跡に指定される畿内を代表する前方後円墳で、墳丘長は66m、高さ10m、6世紀初頭の築造で、被葬者は一説では継体天皇即位を支持した巨勢男人ともいわれております。

石室前にはお供え物が奉納されています。

見る事はできませんでしたが石室は横穴式で最大級の規模とされる家形石棺が置かれ、数多くの副葬品は数多くの国宝を保管する奈良県立橿原考古学研究所附属博物館にて保管展示されております。 当日は地元の皆様によるかき氷やポテト、飲み物等の屋台も出店されました。

市尾宮塚古墳は森厳な中に静かに佇んで

市尾宮塚古墳も前方後円墳で墳丘長は47m、高さ6m、こちらも6世紀前半に築造で被葬者は巨勢一族に比定されております。石室内は近づくと点灯され、石棺も観る事ができます。

さて高取町は薬と観光の町として知られ、共立薬品・太陽堂製薬など数多くの製薬会社が本社を置いております。 お越し頂きました方々の中にも「薬の仕事で三重県を訪問し」と仰って頂いた方もいらっしゃいました。 観光案内所に隣接し「くすりの資料館」が開館されております。

斉明(皇極)天皇陵

また皇室関係の陵墓として斉明(皇極)天皇陵や草壁皇子(のちに岡宮天皇と追尊されております)のご陵が所在します。斉明天皇(在位:655-61/皇極天皇として在位:642-45)は天智天皇・天武天皇の母にあたり、御陵は越智崗上陵として娘・間人皇女との合葬陵で、孫にあたる大田皇女の墓も陵前に作られております。こちらは同日訪問いたしました明日香村の牽牛子塚古墳(びっくりするほどの整備状態です)を真陵とする説もあります。

27歳の若さで亡くなった草壁皇子の真陵として有力な束明神古墳

また岡宮天皇陵として宮内庁が定めた真弓丘陵も町内にありますが、真陵として有力な束明神古墳も前出の奈良県立橿原考古学研究所附属博物館の前庭で復元石槨が作られるなど注目を集める古墳となっております。

壷阪寺の三重塔(重要文化財)

そして西国三十三所第六番霊場として名高い南法華寺(壺阪寺)は町内で最もよく知られています。
創建は飛鳥時代の大宝3年(703)とされ、のち元正天皇の祈願寺となっております。 今年話題の大河ドラマ「光る君へ」で登場する清少納言が「枕草子」の「物尽くし」の中で「寺は壺阪」と推した寺でもあります。
戦国時代には戦乱に巻き込まれ数度の火災に遭い、往時の建造物では室町期の礼堂と三重塔を残すのみとなっております。
しかし慶長年間には秀吉の家臣の高取城主本多俊政が伽藍復興に尽力し、江戸時代には高取藩植村氏の庇護を受けています。

壺阪寺のお里沢市の像

そして本尊十一面千手観音は眼病にご利益があるとされ、明治時代に造られたお里・沢市が主人公の浄瑠璃「壺坂霊験記」の舞台として有名になりました。
壷阪寺は福祉事業・国際交流事業にも大変熱心な寺院で、1961年にはわが国初の養護盲老人ホーム「慈母園」を開設され、1964年にはインドにおけるハンセン病救済活動への尽力の返礼としてインド政府より古石が贈呈され、それを利用し1983年高さ20mの大観音像がのべ7万人のインド人石工に手により66個のパーツにわけて制作、日本で組み立てられました。インド由来のものでは1999年安置の大涅槃石像、2007年建造で町や奈良県の観光パンフレットでも知られる壺阪大仏、1987年安置の佛伝図レリーフ「釈迦一代記」など数多く、大講堂にて様々な展示もありました。

インドで制作された大観音石像

そして近年可愛い猫で知られています。この日も拝観受付や境内でとても人懐っこい猫たちに遭遇できました。愛猫家としてもとても嬉しかったですね。

壺阪寺は可愛い猫のいる寺としても知られつつあります。

そして最後に….国指定史跡で日本三大山城として日本100名城にも選定されている高取城跡。こちらは明治6年(1873)廃城となるまで高取藩藩庁が置かれ、現在でも石垣や石塁が美しく残されています。

高取城跡十三間多門跡

その他の遺構としては二の門は町内の子嶋寺山門として、新御殿表門は町内石川医院の表門に児童公園の表門は松の門の部材を使用しているとされています。また高取藩主代々の墓所が残る宗泉寺は城跡の麓にあります。

奈良県指定文化財の植村家長屋門

高取城旧大手門通りに残る植村家長屋門は旧高取藩の筆頭家老屋敷の遺構で、江戸末期文政9年(1826)の建設です。
今回高取町初出演、しかも自身初の古墳での出演の機会頂けましたことは今後の活動への大きな英気を頂けました。実行委員会さまをはじめ皆様本当に感謝申し上げます。

歴史資源一杯の魅力的な町・高取町、是非ご訪問ください。

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