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僕の祖父母や、叔父・叔母たちの骨は、どこに行ってしまうのだろう―2021年 慰霊の日に思う

珍しく雨が降った慰霊の日。今年も、摩文仁の慰霊祭に参加してきました。
平和の礎には、ぼくの父方の祖父母、兄弟の名前が刻まれています。

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先祖の名前が刻まれた碑の前で、手を合わせてきました。
沖縄の乗り越えてきた歴史、今に続くいのち、
そしてこれから作るべき未来について
背筋を伸ばして、会うことはできなかった祖父母と対話する時間です。

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81歳になるぼくの父親は沖縄戦体験者です。

55歳も歳が離れた親子なのでよく驚かれるのですが、
父は5歳の時に両親と兄弟を失い、戦争孤児となり叔父に育てられました。

後頭部には戦争で受けた傷がありますが、
ぼくにはむしろ、心に残っている傷の方がより深いように見えます。

コロナの感染が拡大する前は、二人で出かけることも、しばしばありました。
バイキングが好きな父を連れて、お腹いっぱい食べたあと、会話しながら
行くあてもなくドライブをするのが習慣でした。

ある日、ドライブをしていて、たまたま南部までたどり着いたことがありました。
魂魄の塔の前で車を停め、父の両親、
つまり僕の祖父母と兄弟が南部の戦場で亡くなり、
その遺骨が見つかっていないということを聞きました。

だから、この魂魄の塔で手を合わせている、と語ってくれました。

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会場では、ガマフヤーの具志堅さんのハンストが続いていました。沖縄戦で亡くなった人たちの骨が土砂に混じって埋め立てに使われようとしています。

記憶や歴史とともに、沖縄の人たちの尊厳が葬られようとしているように感じます。

僕の祖父母や、叔父・叔母たちの骨は、どこに行ってしまうのだろうー
その「繋がり」が断ち切られるのも同然の思いです。

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沖縄戦と、この沖縄の現状は、今でも地続きの問題が多くあります。
それは、社会の中にも残っているものであり、
僕の父の抱える傷のように、一人ひとりの中にも残り、引き継がれているものであもあります。

私達はこの島の歴史とどう向き合えるのか。そして、どう未来を紡いでいけるのか。

本当はつかめるはずだった、その人らしい人生を送ることすらできず
歴史とともに去っていってしまった人たちも、
そして今この島に生きる人たちも、
誇れる島であるように精一杯頑張っていきたい。

そう心を新たにした一日でした。


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