見出し画像

【川上弘美さん『明日、晴れますように 続七夜物語』刊行記念】作家・田中慎弥さんとの対談を特別に公開

 川上弘美さんによる長編ファンタジー『七夜物語』の続編として書かれた『明日、晴れますように』(ともに朝日新聞出版)刊行記念として、川上さんと田中慎弥さんの対談を、「小説トリッパー」で行いました。二つの作品の違いに時代の要請を見出す田中さんの指摘から、ファンタジーという小説の形式について、さらには同時代の作家としていかに時代と向き合いながら小説を書いているかをめぐって対話が展開していきました。大きな広がりを見せた、初顔合わせとなる刊行記念対談を特別公開します。

川上弘美『明日、晴れますように』(朝日新聞出版)
川上弘美『明日、晴れますように』(朝日新聞出版)

ファンタジーだけでは済まされなくなった

川上弘美(以下、川上):実は先日、田中さんとは芥川賞の授賞式の二次会で一緒だったんですよね。そのときにちょっと小説談義みたいなことを交わしたのですが、せっかくだから改めて場を設けて、じっくりお話しできたらいいなと思っていたので今日は楽しみにしていました。

田中慎弥(以下、田中):そうでしたか。いや、すみません、あのときのことをほとんど覚えていないものでして。何を喋ったんだったかな。

川上:いえいえ、私も田中さんが小説をいかに書くべきかというすごく真面目なお話をされていたのにうまく答えられなかったのが気がかりだったんです。

田中:前回のお話の続きになるかどうか自信がありませんが、こちらこそどうぞよろしくお願いします。早速ですが、川上さんの新作『明日、晴れますように 続七夜物語』の感想からお話しさせていただきます。いつもそうなのですが、川上さんの小説からは、文章をするするとたどっているうちに気づけばいろんなところに迷い込んでしまっている、そんな感じをおぼえます。新作の『明日、晴れますように』やその前作にあたる『七夜物語』も同じでして、それに加えて、読みながら先行する小説がいくつも頭のなかに浮かんできました。例えば『七夜物語』は、ダンテの『神曲』に描かれる地獄めぐりや聖書、あるいはスティーヴン・キングを彷彿とさせるような小説です。あの作品は最後、主人公の鳴海さよが大人になり、小説を書いて暮らしていることが告げられて終わります。その構造はプルーストの『失われた時を求めて』に近いかたちになっているんじゃないかとも感じました。だから、読み終わったときに私はこれはきっとさよが書いた小説なのだろうと思ったのですが、しかし、どうもそれだと収まりが良すぎる。むしろ、未来に向かって開かれた物語として受け止めた方が良さそうだと考え直しました。

 というのも、続編の『明日、晴れますように』が前作で主人公だったさよと仄田鷹彦が親となり、それぞれの子どもが今度は語り手として物語を動かしていく小説になっているからです。ならば、前作も円環の構造を持つものではなく、少年・少女が成長し続ける小説だと読むべきだろうと考えを改めました。ただし、両作には大きな違いがあって、それは、『七夜物語』では子どもたちが体験した夜の冒険を忘れてしまうのに対し、『明日、晴れますように』では二人が経験したことをずっと覚えていること。また、前作はファンタジー色がとても強かったのですが、今作は日常の方が多く描かれていました。前作と違い、ファンタジーだけでは済まされなくなった感覚があったのではないか。震災のことも出てくるので、何かの要請を川上さんが感じ、二人が記憶を忘却するようであってはならないと考えるようになったのではないか、と私も自分のことに照らしあわせながら考えたわけです。

川上:ありがとうございます。世界的な古典にたとえてくださったので、なんだか恐れおおいのですが、二作の違いについてそう読んでくださってとても嬉しいです。ちょうど昨日、朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」6月号に載るエッセイを書きあげたんですが、そこにまさに田中さんが今おっしゃったようなことを書きました。『七夜物語』の時代設定は高度成長が終わって石油危機が去ったばかりの1970年代の後半、つまり、日本が敗戦から復興したけれど、それによって環境問題などさまざまなことが起こりつつ、やがてはバブルへと向かってゆく、そんな時期でした。小学4年生のさよと仄田くんはそうした社会のなかで育つのですが、おそらく田中さんと同じくらいの世代ですよね。

田中:私は1972年生まれなので、だいたい一緒ですね。

川上:二人は1968年生まれという設定なので、田中さんよりほんのちょっと上ですね。あの時代、それまでの日本社会が持っていた、正しいものと正しくないものがはっきりと決まっているような価値観が少しずつ変わりつつありました。だんだんとそういう考え方だけではうまくたちゆかないとみんな気づき始めた頃だったと感じています。だから『七夜物語』の最後の戦いは、光と闇という二項対立的なものの見かたじゃまずいんだと、主人公の二人が気づいて成長するストーリーにしようと思いました。

 ただ、最後の戦いを書いているときにちょうど東日本大震災が起こったんです。『七夜物語』は当時の現在の時間を書いているわけではなかったので、なんとか、冒険することで子どもたちは成長し、成長することで物語のなかの世界にも影響を与える、そんな相互作用のあるファンタジーとして着地することはできました。けれど、書き終わったときにそれだけじゃ済まない感じがしたんですよね。今、田中さんが何かの要請を感じたんじゃないかと言ってくださいましたけど、『明日、晴れますように』が夜の世界の出来事を主人公たちが忘れないでいる物語になっているのは、それがあったからだと思います。

現実を捉えなければならない時代

田中:川上さんは『七夜物語』を書いていたときから続編を書くつもりだったんですか?

川上:いえ、全く。「小説トリッパー」の20周年記念号に何か短編を書きませんかって編集者の方が声をかけてくださって、それで『明日、晴れますように』に収録されている最初の作品「20」を書いたんです。あまり何も考えずに書いてゆくうちに、仄田くんの子どものりらという女の子が語り手になりました。それからまた1年後くらいに声をかけていただいたので、今度は「20」のアンサーになるようにさよの子どもの絵が語る小説を書いてみました。そのうちにせっかくなので連作というかたちで書きましょうかって話になったといういきさつです。

田中:じゃあ震災のことも、最初から書こうと思っていたわけではなく?

川上:そうですね。東日本大震災のことを物語に入れるべきかどうかは最後まで迷いました。でも『七夜物語』を書き終わったときにこれじゃ済まないという感じをおぼえた自分を思い出して、やっぱり最後は東日本大震災を書くことに決めました。震災の直後、私は『神様2011』を書いて原発事故によって生まれ育った土地に帰れなくなってしまうこととはどういうことなのかを考えたんですけど、そのあともずっと避難しなきゃいけなかった人たちのことをくり返し思うんです。何回か避難解除された土地を訪れたりもしているんですが、もちろん当事者の方々の気持ちを理解できるはずもないし、立ちつくすことしかできない。でも、そうやって立ちつくすところから始めなきゃなという気持ちが、田中さんのおっしゃる「要請」につながったのかもしれません。

 さっき田中さんが『七夜物語』は純粋なファンタジーで、『明日、晴れますように』は日常を描いた物語だと言ってくれましたが、その違いは、今作が現実のできごとに大きく影響を受けて書かれた作品だからだと思います。なんというか、ファンタジーにはできなかったんですよね。ファンタジーによって何かが解決されるような世界が遠ざかってしまったという感じが私のなかにはあります。

田中:その感覚はよくわかります。以前できていたことが簡単にできなくなったというのは、まさに書き手としてやっているなかで私も感じることです。現実をお前はどう捉えるのだという問いに常に晒されているし、自分自身にそう問いかけないとやっていけない。そんな状況のなかで私もジタバタとあがきながら書いているようなところがあります。

 かつて戦争が終わった直後、作家たちは敗戦にいかに向き合うかを問われたわけですよね。戦後派と呼ばれた小説家はそういった要請に迫られ、その後も、60年代、70年代の政治闘争の時代に、お前は社会のなかでどういうスタンスを取るんだと態度表明を強いられ続けた。しかし、そういった時代も終わると、村上春樹さんのような小説家が出てくる。私は春樹さんの小説をそんなに読み込んでいませんが、ノンポリと言いますか、少なくとも表向きは、政治や世の中のことなど知らぬ存ぜぬといった立場でものを書くのが作家だということになったのだと思います。私も小説を書く前から作家とはそのような態度でいるべき存在なのだろうと考えていました。しかし、どうもそうはいかないのではないかと最近、折に触れて感じるようになったのは確かです。

川上:それは震災以後からですか?

田中:東日本大震災以降、さらに遡れば阪神淡路大震災とその直後に起きたオウム真理教のテロ事件以後、だんだんとそうなっていったんじゃないでしょうか。そのあたりから、今は平和な世の中になりましたと言っていたけれどもちっとも平和なんかではないじゃないか、もっと現実を見ろよという要請に晒されるようになった気がします。

 つまり、オウムの事件があり、アメリカでテロが起き、震災が発生して日本が混乱した。そんな時代のなかで、さあお前はどうするんだと迫られるようになったという感じでしょうか。それでも私は小説を書いてメシを食べていくことが一番大事なんですよと答えてしまうのですけれども、そんなことを言ってしまう人間が現実を見ろよという状況に放り込まれてジタバタせざるを得ないのが現在なのかもしれません。個人的にはそんなに現実的なこととは切り結ばないようにしたいと思ってはいました。だけど、そう簡単にはいかなくなったところに現在のややこしさがあります。

社会が小説に与える影響

田中:現実と切り結ぶということで言えば、『明日、晴れますように』には前作で仄田くんやさよと交流していた高校生の麦子と南生が結婚して再登場しますね。しかし、結婚といっても恋愛関係があるわけではなく、南生はゲイだということになっています。これは『七夜物語』の時点ではなかった設定ですよね?

川上:ありませんでしたね。今の社会に生きて感じていることが、この家族のありかたに影響を与えたのだと思います。それと私はそもそもあまり「まったき家族」を書くのが得意じゃなくて、どこか既存の家族像に収まらないものがあるような状態を書き続けてきたので、麦子と南生の組み合わせでもそれが出た、というのはあったかな。『七夜物語』のときからさよのお母さんは離婚していましたしね。

田中:ただ、やはり絵とりらの世代の物語と彼・彼女らの親世代の冒険は同じであってはならないような気はしますよね。さっきも言ったように、親の世代は自分たちの冒険をあっけらかんと忘れることができるので、純粋なファンタジーを経験した上で大人になることもできた。それは恵まれているということなのかもしれません。しかし、子どもの世代は忘れたくても忘れることはできない。純粋なファンタジーのなかだけで成長すればいいのではなくて、きちんと現実に対応することも求められている。

 さきほど戦後の話をしましたが、以前は『七夜物語』の夜の冒険のように自分たちの世界を持つことが許されていたはずです。成長物語をファンタジーとして描くことが可能だったというか。でも今の世代は現実のなかに最初から放り込まれているから、そうはいかない。いろんなところで正しくあらねばならないし、震災以後は特に現実を強く受け止めなければならなくなりました。

川上:そこなんですよね。さっき田中さんは現実のできごとを書かないようにしてきたつもりだったとおっしゃっていましたが、私もずっとそうしてきたつもりなんです。『神様2011』は私の作品のなかでは例外的なものでした。それじゃあ、現実とは関係のない場所で書いてきたかというとそれも違う気がします。村上春樹はデビューしてからしばらくの間は、「デタッチメント」という言葉で語られてきましたよね。私が大学生だった頃はちょうど学生運動が静まったばかりで、世代としては「三無主義」のノンポリの最先端だと言われていました。村上春樹の初期の小説はそんな自分の世代の気分にすごくフィットしていた。

 だけど、阪神淡路大震災とオウム地下鉄サリン事件が起きると、そんな村上春樹の姿勢が少しずつ変わりました。サリン事件の被害者の方々にインタビューをした『アンダーグラウンド』という本で、それまでも決して村上春樹が「デタッチメント」だとは私自身は思っていなかったけれど、明らかな形で社会にコミットする作品をつくりあげた。その後の大きな物語を何作も発表するようになったのは、90年代半ばのあの時期からでした。私のデビューは1994年だったので、まさに阪神淡路大震災とサリン事件の時期。ただ、だからといって、小説で現実を書こうとしてきたかというとそうではありません。むしろあまり考えずに書いていたら、社会で起きるさまざまなできごとが自然と作品に影響を与えていたことにあとで自分で気づくことが多いです。

今の時代のなかであがきながら書くこと

田中:私も時代を小説に反映させるということはあまりしてきませんでした。もちろんこの言葉づかいは今の世の中だと許されないなとか、この女性の描き方はダメだろうとか、そういうことは考えます。というか、そのことと常に戦っているのが作家なんでしょう。私は自分の作品を読み返すことはほぼないのですけれど、十年以上前の作品を今読んだら筆をたくさん入れたくなるはずです。

川上:そうなのか……入れなくていいよ(笑)。

田中:私は家族のことだったり、男女の関係だったりをそこにある暴力を含めて描いてきました。もちろん暴力を描くこと自体はいけなくはないと思うのですが、その表現の仕方ですよね。こんな残酷な描写をしてるぞ、どうだすごいだろうというのはもう通用しなくて、なぜそんな暴力を表現しなければならないかを突き詰めて考えることが求められる時代になった。そういった枠のなかで制御しながら書く必要も感じますし、だからと言って枠を当てはめすぎると今度は書けなくなります。書けなくなるけど書けなくなるなかでどう書くか。その葛藤のなかで、あがきながらもがきながら、書くしかないんだとそんなことをいつも思っています。

川上:うん、田中さんの小説に出てくる、作者を思わせる人物も、大いに葛藤していますよね! 去年、田中さんが刊行された『流れる島と海の怪物』も慎一という小説家の語り手が過去のできごとを思い出しながら書いているという小説でした。そうやって語りながら書いている慎一に朱里という一時期恋人だった女性が横でツッコミを入れながら物語が展開していく、というのがねじれた私小説みたいでとても面白く読みました。

田中:ありがとうございます。あれはなんというか、ただ自分の日々の感覚を導入しながら仕立てていたらできてしまったような作品でした。主人公が作家になり小説を書くことになるという意味では、『七夜物語』も似たような部分がありますよね。あの設定はどのあたりでお決めになりましたか?

川上:あれを決めたのは最後です。最初は特にそういう設定にすることは考えずに書いていました。私は割と結構とか決めずに書いちゃうんですよ。田中さんはしっかりと決めて書くタイプですか?

田中:私もガチガチにプロットを組むことはないですね。作家によっては連載するのに工程表がないと書けないという人もいますが、私はそういうタイプではなく、決めるとしても人物や舞台の設定くらいです。ぼんやりと何も考えないで毎回書いているのですが、とはいっても机の前に座れば自然と言葉が出てくるなんてことはなく、そこはいつも自分との格闘になるわけです。だから連載の場合は毎月いかに乗り切るかだけを考えて書いています。とりあえず来月に続くってかたちにして終わらせれば、まぁ来月は来月で何か書くだろうみたいにしてやっています。

川上:そこは一緒ですね(笑)。

ファンタジーとは何か

田中:小説の構造といえば、今作に収録されている話のうち後ろから2番目の「二人の夜」だけ他に比べて長いですよね。ここは書いていたら長くなってしまったのでしょうか?

川上:そうなんです。あの章は「小説トリッパー」で4回に分けて掲載されたんですが、「ごめん、今回も終わらなかった」って言いながら、なかなか書き終われず、あれだけ長くなってしまいました。あそこは今回の小説では一番ファンタジックな異世界の冒険になっているんですよね。『七夜物語』もほんとはこんなに長くするつもりはなかったんですけど、やっぱりファンタジーは書かなきゃいけないことがたくさんあるので長くなるものなんだなと発見したような……。

田中:ファンタジーは書かなきゃいけないことがたくさんある、というのは重要な指摘だと思います。「二人の夜」は確かにファンタジー色が強いんですが、ただ、やっぱりそこには現実的な問いかけがあるような気がします。この章の終わりの方で絵に「りらは、早く大人になりたい?」と聞かれると、りらは「なりたい」と答えますね。しばらくしてまた絵に「大人になったら、子どもの時のことは、わすれちゃうのかな」と聞かれると、りらは「わからない。子どもの時にあったできごとは、きっとわすれないよね。でも、今の自分の気持ちは、おぼえてるかどうか、わからない」とも言っています。私はここに、現実の世界で成長していく人間としての姿が端的に表れているんだろうなという感じをおぼえました。

川上:そうですね。今、お話を伺いながら思ったんですが、りらはたぶん成長がしたいんですよね。成長して、早く今いる場所を抜け出したい。でも、絵は今いる場所が好きだから成長がちょっと怖いのかもしれない。『七夜物語』では、りらのお父さんになる仄田くんが早く成長をして大人の自由を得たいタイプでした。りらと仄田くんは小さい頃から生きづらさのようなものを抱えていますから、きっと子どものままでいたくないんでしょう。でも、大人になると逆に絵がふらふらした人になるというのはちょっと自分でも意外でした。

田中:そう考えるとやはり、ファンタジーと言ってもそこには現実との交錯があるんだと思います。だとすれば、ファンタジーというのは現実の投影なんでしょうか? 現実がまずあっての幻想なのだと川上さんは考えていますか?

川上:私はファンタジーが昔から大好きで、小さい頃から『ナルニア国物語』や『指輪物語』をずっと愛読していました。大人になってもそうです。なぜそんなにファンタジーが好きなのかというと、ファンタジーの方が現実的に感じられてしまうからなんですよね。なまの人間が一番出ているような気がするというか。さっきの世代的な話で言えば、私は、中野好夫が「もはや戦後ではない」を書いた2年後に生まれた。それで、戦中派の小説を読んでもあまり自分のこととして捉えられませんでした。村上龍、村上春樹以降、ようやく自分が感じていることを小説のなかに見ることができた感じがありました。たとえば村上春樹の小説もある意味ではファンタジーじゃないですか。だからそっちの方がリアルだったんだと思います。

田中:私自身が書いてきた小説も、特にここ数年は明らかに現実離れしたものが多いので、それらはまぁ、ファンタジーといえばファンタジーなのかもしれません。しかし、ファンタジーとはいったいなんでしょうか。私はファンタジーは希望というか、人間を信じることができなければいけないんじゃないかと思うんです。では、私の小説が人間の素朴な部分を信じきれているかと言えば、どうだろうかと首をかしげてしまいます。むしろ、人間ってそんな大したものじゃないでしょという考えに引っ張られて、非現実的な物語を書いているような気がします。

川上:いやいや、ファンタジーこそ、ダメダメな人間の宝庫では(笑)。『指輪物語』のフロドも最初は臆病で、ずっとぐずぐずしてるようなキャラクターだし。みんなどこかダメなところがあるというのが私のファンタジー観です。

田中:だけど、ダメな人間が出てくるというのはきっとファンタジーが成長の物語だからですよね。例えば『エヴァンゲリオン』の碇シンジとか『機動戦士ガンダム』のアムロ・レイもそうですが、非常に頼りない主人公が戦わなきゃいけない状況のなかでだんだんとたくましくなっていく。それはファンタジーが人間の成長するその時間の経過を描くからなのかもしれません。

川上:それはあるかもしれませんね。時間の経過を描くから長くなるのかなと今、お話を聞いていて思いました。ちなみに私が大好きな「平成仮面ライダー」、ことに最初の10年に放送されたものでは、ライダーは「正義」を追求する存在であるはずなのに、ダークサイドに落ちてそれきりだったり、変化はすれど成長はしなかったりと、常識的にいえば信頼感に欠けるライダーもたくさん出てくるんですが、これぞ時代のリアル、と感じながら見ていました。まさに田中さんがさっきおっしゃった、「人間の素朴な部分を信じきれているかと言えば、どうだろうか」という世界観です。

アウトプットの必要性

田中:『明日、晴れますように』は終わりが非常に前向きですね。その直前に震災の話があるので、それを踏まえた上で、未来に生きる世代の人たちの世界は晴れますようにという祈りが込められているようなきれいなラストでした。

川上:さっき『七夜物語』の構造のことを田中さんが読み解いてくれましたが、私もあの小説は円環にしたつもりはないんですよね。さよの書く物語は私の書いた『七夜物語』とは違う話だと思っています。そして、あの時代は明らかな「前向き」ではなく、まだまだ闇の方に行っても大丈夫な懐の深さというか、余裕があったような気がします。

 以前、『七夜物語』が大好きだっていう小学生から手紙をもらったことがあるんです。「続編は書かないんですか?」って手紙には書いてあって、今、そのあとも書いてますよ、やがて一冊になるので良かったら手に取ってくださいね、と珍しく返事を書きました。とても嬉しい手紙だったのですが、そうやって若い人たちが読んでくれているのか……と、変な話ですが、少しショックでした。読者のことを考えたことって、あまりなかったので。今はどうしようもなく絶望的なことばかりがつづく時代だからこそ、これからの世界を生きなければならない若い人たちに向かって、自分としては珍しく祈るような思いもあって、希望を込めたラストにしたのかなあ。こんな世界にしてしまって申し訳ありません、という気持ちも大いにありますし。

田中:それはよくわかります。私も暗い話ばかりでいいのか、どこかに希望がなければいけないんじゃないのか、と悩んだりします。読者に手渡すべき世界を書かなくてはならないのではないか、と私でさえ思ってしまうということは、それだけ世界がまずいことになってきているということでしょう。作家は本来的には炭鉱のカナリアだと思うのですが、現在の作家は炭鉱のカナリアというより、すでに炭鉱にガスが充満している状況のなかでのたうちまわっているところがあるような気がします。そんななかでやはり明るい世界を書かねばならんのだろうなといつも悩みながら書いてはいます。

川上:でも、それは頭で考えて書くよりも、書いているうちに自然とそうなっていく感じが私にはあるんですけど、田中さんは違いますか?

田中:とにかく毎日、見たくないような現実の風景を見せられているので、書いているとなんだかめちゃくちゃな物語になってしまうんです。「小説トリッパー」で連載して、今号で最終回を迎える「死神」も、去年出した『流れる島と海の怪物』も、最近の作品はみんな非現実的な話ばかりですし。それは現実を見ろよって言われたことに対する自分なりの応答なのかもしれません。

川上:その感覚は私もわかります。震災以降、SFの器や、反対に過去の歴史的な事件に準拠した器で書かれた小説がとても増えましたよね。それでしか対応できない何かがあるからなんだと思います。現実の器で書こうとすると、どうしても書ききれないような感覚があるというか。私自身も『森へ行きましょう』『某』『三度目の恋』と、ここのところSF設定のものばかり書いてきました。ただ、去年『恋ははかない、あるいは、プールの底のステーキ』を出したとき、作家になって初めてこれは私小説ですかって言われた。かなり作者と近い設定だったからかもしれません。ずっと現実から離れた物語を書いていた私がそうやって一見すると私小説だと思われるような小説を書き、一方で以前は『ひよこ太陽』のように私小説的な作品を書いていた田中さんがどんどん物語性の強いものを書くようになったのはなんだか面白いなって思ったりもします。

田中:私は私小説を書くというより、自分が書いているのだから自分が出てしまうのは仕方ないことなんだと思いながら、半分諦めながら書いています。だから主人公を自分に近いところに置いてしまいがちで、それだと自分に寄りかかりすぎているなと思わなくもないのですが、作家というのは、自分が経験したことをどこかでアウトプットしないともたないものなんだと思います。ただ、経験したことをそのまま書くことはできないので、自分を傷つけないようにするためにも、ファンタジーという形式であれば書けると考えて、その器を使うことはあるんじゃないかと思います。

川上:すごくよくわかります。アウトプットしないともたないというのはその通りで、だからこそ書く以外に方法を持たない人間が小説家としてずっとやっているんでしょうね。

ただ書くという行為がしたかった

川上:『七夜物語』も『明日、晴れますように』も子どもを描いた小説ですけど、それを必要とするのは大人なのかなって思います。『ナルニア国物語』の序文にも、「この小説は自分が名付け親であるルーシーに捧げるものだけど、書いているうちに君は大きくなり、おとぎ話を必要とする年齢ではなくなってしまった。でもきっといつの日か君は再びおとぎ話を読むのに充分なくらい年をとる、そうしたら本棚からこの本を取り出してほこりを払い、読んでどう思ったか聞かせてくれるんじゃないかな」って書いてある。つまり、ファンタジーをリアルに感じるためには、案外年を重ねることが必要なんだと思うんです。だから、私もこの小説は子どもに限らず、本を読むのが好きな人たちに向けて書いたつもりです。

田中:読者をどのように想定するかということでいうと、私は文学の器のなかにいる人たち同士で完結しないようにしなきゃいけないなとはいつも思っています。ただ、いざ書くとなると、その器の外側を意識することがなかなか難しい。だから結局、自分に向けて書かざるを得なくて、自分という読者をまず納得させるのが最初の水準になっているような気がします。

川上:私は小説家としてデビューする前に、毎月の新聞記事を切り抜いて、月ごとにA4の紙1枚に要約していたんです。興味のある記事と死亡記事を切り抜いてとっておく。それを三段に分けて、一段目は死亡記事、二段目はニュース、三段目は特集記事という構成にして。各記事ごとに5、6行にまとめて、それぞれに自分のコメントも書く。今でいえばTwitterみたいな短い感想の文章ですね。そういう、記事の要約プラスコメントの文章を毎月、誰に頼まれたわけでもなく、自分の楽しみのために書いていました。で、それを毎回、コピーして20人くらいの友だちに送っていたんですけど、反応があるのは一人か二人くらいで、何か書いて、一人か二人から反応があれば御の字なんだな、という感覚がありました。いまも私にとって読者といえばそれくらいの規模感なんです。

田中:それは新聞記事を記録しておくためですか?

川上:いえ、何でもいいから文字表現するということをしたかったんだと思います。例えば、今月は警察関係のおかしな事件が多かった、あるいは学校関係者が大変だ、なんていう特集を自分で組んでみたりして。いちばんの大作は、細川(護熙)さんが首相になったときに作った「大特集:政権交代物語」という、いつものA4の倍のA3サイズのもの(笑)。

田中:それが川上さんの創作のベースになっていると思われますか?

川上:なっていますね。とても訓練になりましたし。ただでさえ無駄のない文章でできた新聞記事をさらに要約するのってすごく勉強になるんですよ。田中さんは小説を書く以前に何かしていたことはありますか?

田中:私は作家になりたいけどなれるかわからないような時期に、他人の小説をひたすら書き写していました。川端康成の『雪国』や『山の音』、あるいは谷崎潤一郎の『蘆刈』とかをノートに鉛筆で転写していました。それが書くことの役にたっているのかって感じですが、とにかく書くという行為をしたかったんです。自分では小説がまだ書けないので、だったら他人の小説でもいいと思って書いていました。

川上:私も学生時代によく書き写していましたね。自分ではまだうまく小説を書けない時期で、でも私の場合、田中さんみたいに谷崎とか川端みたいに日本の小説家じゃなくて、翻訳小説だったんですよ。マルグリット・デュラスの『モデラート・カンタービレ』とか。いま考えれば、それって翻訳者の田中倫郎さんの文章で、原作者の文体ではないと思いつつ(笑)、だけど、私も文章修行ということではなく、ただ何かを書いてみたかったんだと思います。

田中:確かに私もただただ書くという行為がしたかったんですよね。テーマがどうこうとかじゃなくて、とにかくひと連なりの小説を書きたいという気持ちだけで、ノートに向かって書き写していました。それは今もあまり変わっていません。だから私はテーマに沿って小説を書くということがほぼできないんです。

川上:私もできないですね。

田中:最初から何かを組んで書くというやり方もあるのでしょうけど、私にはどうも難しくて。プロットを組もうとしても途中でつまらなくなってやめてしまいます。

川上:枠を決めて書くというやり方をしても、思ってもいないものが必ず入ってくるんですよね。それはものを作る上での雑音のようなものなのかもしれませんが、でも、そういうノイズが入ってくるのが私は小説を書くことの面白さなんじゃないかなって思います。

田中:枝葉を書くのが面白くなってなかなか本筋に戻って来られなくなることはあります。しかし、細部を書かないと全体にはならないとも思います。小さいものを拡大しながら書きつつ全体を俯瞰し、俯瞰しながら細部に降りていく、ということの繰り返しで書くのが理想です。

川上:『七夜物語』も『明日、晴れますように』も、私はどちらかというと枝葉しか書いていない気がします。枝葉を描いているうちに自然と大きい道ができてくるというか。周りを描くことで白く道が抜かれるような感じと言ったら少しきれいな喩えすぎるけど、でも、書き方としてはそうですね。だから反対に言えば、枝葉を描いているうちに枝や葉っぱが伸びすぎちゃって道が見えなくなることがないように気を張ってはいます。田中さんがおっしゃったように、細部を書いているとそっちばかりになっちゃうから、引き戻さなきゃいけないわけですよね。

田中:細部を書くのが好きな人が作家になっているということなのかもしれません。

川上:私も細部を書くのが好きな質なので、それを確認できてよかったです。今日は大切なお話をたくさんできてとても面白かったです。小説に関する捉えどころのないものの捉えられなさを田中さんに丁寧に言葉にしてもらった気がします。どうもありがとうございました。

田中:こちらこそずっと一人で考えていたことを共有できてよかったです。ありがとうございました。

(2024年5月9日 東京・築地にて)

構成/長瀬海