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なぜ辺境の地で“飯”なのか?テレ東の異端児「ハイパーハードボイルドグルメリポート」上出遼平の思い <武田砂鉄×上出遼平対談>

『わかりやすさの罪』の武田砂鉄と、『ハイパーハードボイルドグルメリポート』の上出遼平による初の対談。第3回では、書籍化にあたり40万字を書き上げた上出のヤバい熱量に、ノンフィクションを読みまくってきた武田が迫る。全5回でお届けする。

第2回<「コミュ力ある人」はむしろ悪人?武田砂鉄が自分を「こんなにピュアな人間はいない」と思う理由>よりつづく

*  *  *
武田:学生のころから「悪」について興味があったそうですね。なぜ興味があったんですか。世の中に対する不信感でも?

上出:中学から高校にかけて、小さくグレたことがあったんですよ。本当の不良にはなれず、だけどちょろちょろと悪いことをしていたみたいな。

武田:ちょろちょろ悪い、というのは、誰かの自転車をパンクさせたりとか?

上出:(笑)そんな感じです。

武田:大悪ですよ(笑)。

上出:けっこうエスカレートしたこともあったんですね。家族は悲しむし、いろんな人に迷惑をかけていました。自分がしていることは悪だとわかっているのにやめられなくて、精神的に追い詰められたりもして。自分はなんでこんなことをしているんだろうって。で、正当化するわけではないですが、そういう思いで世の中を見たときに、何か一つ悪事を働いたらその人は悪人だと決めつけるような世界があったんですよ。あっちとこっちに明確な境界線が引かれていて、そしたら自分はこっちの、悪の側に入っちゃうなと思った。

 でも、自分はそんなに悪いやつじゃないはずだという思いもあって。その線引きは本当はあいまいなんじゃないのという疑問をずっと持っていたんです。それで、大学では少年犯罪や非行について学んだり、薬物事犯の研究をしたりしました。ドラッグ中毒者は、犯罪者だけど、依存症患者でもあって、まさに境界上にいるんです。彼らと会って話をして、社会的にはどうケアするのがいいのかを考えるようなことをしていました。この番組と本は、その結果として生まれたものですね。

<(元兵士の)フルトンは僕の目を見て続ける。「誰かの助けが必要なんだ。子どもたちに食べ物と教育を与えてほしい。それだけが俺たちの夢だよ」>(『ハイパーハードボイルドグルメリポート』より)

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武田:世の中から悪だと規定されている人と話をしてみたら、なんだ、自分と同じ人間じゃんか、というストレートな気づきは、この本のそれぞれの章に通底している視点ですよね。だけど世の中は「ヤバい奴ら」を、どこまでもイレギュラーな存在と見なし続けます。悪い人は悪い人、イイ人はイイ人でいて欲しい。そういう方程式に当てはまらないと、どうもおさまりが悪い。その感じが、とっても嫌で。

 ロシアのカルト教団の章で、信者のニコライさんが「私はカルトが間違っていると言うつもりもありません」と言いますね。「なぜなら、他人の正しさを私が判断するべきではないからです。あなたの正しさを私は判断すべきでないし、私の正しさをあなたが判断すべきでもない」と続ける。この感性は、自分たちに欠けている要素かもしれないですね。

上出:そうですよね。どうしてそうなってしまったんでしょうね。

武田:リベリアの少年兵と向き合う場面で、上出さんは、「人間は無意味なものや意味の不明な事柄を、不明なまま飲み込むことが苦手だ」と書かれていますけど、どうして、あいまいなものを飲み込めなくなるのでしょうかね。

上出:日本の特徴として、臭いものに蓋をするということがある気がするんですよね。見たくないものを見えないようにする。死がまさにそうで、年を取ったり病気になったりしたら施設や病院に入れて、死ぬ瞬間を誰も見ない。遺体からも目を背ける。サービスの先にそういうシステムが作られた。当たり前にそこにあるはずのものが見えないところに追いやられる、その延長にいまがあるのかもしれない……という気がします。

武田:上出さんは、「ハイパー」な場所をロケしても、「自分が今生きている日本の社会と地続きだ」と思いながら番組を作っているんじゃないかと想像します。でも、先ほども述べたように、視聴者は、とんでもなく遠い世界の話だという意識で見ているのかしれない。作り手の意図と見る側の反応が、どこまでも真逆になっている可能性がありますよね。

上出:ありますね。

武田:そこをひっくり返すというか、混ぜこぜにするには、どうしたらいいんですかね。

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上出:いちおう試みてはいるんです。エンターテインメントって刺激の差じゃないですか。皮膚感覚と同じで、差が大きいほど刺激的だというのが大前提だと思うんですね。だから、「まったくの異世界に暮らしている人に会いにいきました」という入り口をまずは用意して、そののちに「やっぱり同じ人間なんだ」とわかってもらうために「飯」を用意したつもりではあるんです。

 映像を見て、ぼくが現場で「ああ、一緒だな」と思った瞬間を感じてくれる人もたくさんいると思うんですよね。それでも、伝わってないなと思うことも少なくないです。それこそナレーションが必要なのかもしれない。「同じ地球に生きている人間だった」みたいな。

武田:本のまえがきで、「番組で放送したのは僕が見たものの千分の一。だからこの本では、その千まで書こうと思う」と書かれています。本を読み終えて、ああ、こちらを完成させたかったんだ、この本を残したかったんだ、という思いを強く感じました。じゃないと、45字×20行、500ページ超え、編集者を困らせる文量はなかなか書けないですよ。もともと、こういう、圧のある文章を書かれてきたんですか。

<企画書は1枚で、とか、伝え方が9割、とか、シンプルで明確であればあるほど、優良だと即断されるようになった。情報を受け取る人たちに余計な負荷をかけてはならないという営業マインドが、そこに存在していたはずの豊饒な選択肢を奪ってしまった。>(『わかりやすさの罪』より)

上出:まあ、憧れがありまして。

武田:やっぱり。そうなんですね。

上出:幼いころからの経験の中で、『十五少年漂流記』(ジュール・ヴェルヌ作)を読んだときのワクワクのほうが、テレビのおもしろさよりも何万倍も強かった覚えがあるんですよね。いまはテレビを作っていますが、いつか文章を書きたいという思いがあったので、こういう形で実現できたのはうれしかったです。

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武田:自分が本好きだからなのでしょうが、上出さんの本と映像を比べると、本のほうが圧倒的に面白いと思うんです。本を読む時って、書かれている文章から、頭の中で広げていく景色があって、この人はこういう人物なんだろうと思い浮かべたイメージを、ぶつけ合いながら更新していく。本を読んだ後で映像を見ると、ある種、答え合わせになるから、自分の頭の中でふくらませていたイメージが間違いだったりもするんですけど、楽しいか楽しくないかで言うと、ふくらませているときのほうが楽しかったりするんですよね。

上出:絶対そうだと思います。

武田:「わかりやすさ」はサービス、なんて話がありましたけど、この本の圧というか「過剰さ」も、サービスでもあると思うんです。自分はヘヴィメタルがすごく好きなんですが、この上出さんの本はヘヴィーメタル。もういいよ、と言われるぐらいのギターソロの長さ。で、自分はこれが大好物。「このしつこいギターソロ、いいよね!」って。

上出:はははは。

武田:一方、映像版はパンクです。理念みたいなものを破壊しながら勢いよく進む。その鋭さも最高ですが、本には、メタルの「まだやるのか!?」という過剰さがあります。

(構成/長瀬千雅)

第4回<「テラスハウス」は叩かれ「モニタリング」はウケる…テレビ業界的なものに操られる視聴者たち>へつづく(全5回)

■武田砂鉄(たけだ・さてつ)
1982年、東京都生まれ。出版社勤務を経て、2014年からフリーライターに。新聞への寄稿や、週刊誌、文芸誌、ファッション誌など幅広いメディアで連載を多数執筆するほか、ラジオ番組のパーソナリティとしても活躍。9月28日スタートの新番組『アシタノカレッジ』(TBSラジオ、月~金、22時~)の金曜パーソナリティを務める。

■上出遼平(かみで・りょうへい)
1989年、東京都生まれ。2011年株式会社テレビ東京に入社。『ハイパーハードボイルドグルメリポート』シリーズの企画、演出、撮影、編集まで番組制作の全課程を担う。空いた時間は山歩き。


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