暗殺の原因と言われる「鳥鍋」に「龍」の字を刻んだ大榎 坂本龍馬ゆかりの京都
土佐(高知県)で生まれ育ち、幕末に日本のために八面六臂(ろっぴ)の活躍をした坂本龍馬。1867年11月15日、京都の近江屋で襲われ、31歳の短い生涯を閉じた。生粋の京都人で歯科医師、かつ作家でもある柏井壽の著書『できる人の「京都」術』より、「坂本龍馬」にまつわる名所を紹介する。
■「鳥新」で龍馬ゆかりの親子丼を食べる
坂本龍馬ゆかりの場所やモノは、京都中にたくさんあります。
危うく難を逃れた、伏見の寺田屋をはじめ、ついに暗殺された近江屋。中岡慎太郎と並ぶ像が建つ円山公園、墓地である霊山護国神社。多くの龍馬ファンでいつも賑わいを見せ、記念撮影する姿は絶えることがありません。そうした有名どころと少し方向性を変えて、ゆかりの場所の一つ目は、「鳥新」という飲食店。
龍馬の暗殺される原因ともなったのが鶏鍋といわれています。体力をつけるべく鶏鍋を食べようとし、身の回りの世話をしていた菊屋峰吉に、鶏肉を買いに行かせた間に襲われたのです。
この史実をアレンジし、龍馬ゆかりの鶏鍋を謳い文句に、鶏の水炊きを供する店が木屋町沿いにありますが、実際に峰吉が鶏肉を購入した店は、当時、四条小橋の東南角にあり、現在は縄手通新橋に店を構える「鳥新」と伝わっています。
すき焼き風に味付けして、溶き卵を付けて食べるのが龍馬流鶏鍋。その名残りとも言える「鳥新」の親子丼が、すこぶるおいしいのでおすすめです。
■「武信稲荷神社」の大榎
龍馬にまつわる場所の2つめは、壬生屯所にほど近い「武信稲荷神社」。さほど名の知れた神社ではありませんが、ここには坂本龍馬にまつわるエピソードが残されていて、龍馬ファンをはじめとして多くの信仰を集めています。
境内にそびえる、樹齢八百五十年とも伝わる大榎が龍馬ゆかりの木。
幕末のころ、この神社のすぐ傍らには、今でいう政治犯を収容する<六角獄舎>が建っていました。そこには恋人であるおりょうの父も囚われていたのです。おりょうの父の身を案じ、龍馬は何度もこの木に登って様子を探ったとも言われています。
そして龍馬は、おりょうへの伝言として「龍」の一字を、この木の幹に刻んだとも言われています。現在、その痕跡を探そうとする龍馬ファンの大榎を見上げる姿が絶えません。
幕末に活躍し、日本の近代化にひと役買った龍馬の微笑ましい逸話が残る「武信稲荷神社」で大榎を見上げてみるもの楽しいでしょう。