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永井路子さんが描いた藤原道長と能信が「望みしもの」とは? 朝日文庫『望みしは何ぞ』刊行記念! 文芸評論家・細谷正充さんが読み解く『この世をば』『望みしは何ぞ』

 永井路子著『望みしは何ぞ』(朝日文庫)が刊行されました。本書の主人公は大河ドラマ「光る君へ」でおなじみの藤原道長の四男・能信。摂関政治を終わらせ、図らずも院政への道を開いた能信が、真に望み、摑もうとしたものとは何か? 道長の生涯を描いた『この世をば』の続篇ともなる本書の発売を記念して、文芸評論家・細谷正充さんが二冊を読み解きます。朝日新聞出版のPR誌「一冊の本」に掲載された書評を特別に掲載します。

永井路子『望みしは何ぞ 道長の子・藤原能信の野望と葛藤』(朝日文庫)
永井路子『望みしは何ぞ 道長の子・藤原能信の野望と葛藤』(朝日文庫)

道長のイメージを一変させた歴史的名著

 今年のNHK大河ドラマ「光る君へ」の主役は紫式部である。そのため紫式部や、その周囲の人々に、あらためて注目が集まっている。ドラマで紫式部のソウルメイトになる藤原道長も、そのひとりだ。そして道長の描き方も、昔と比べるとずいぶん変わったものだと、感慨深いものがあった。

 そもそも道長のイメージは、非常に悪かった。彼が、娘三人を天皇の后とし、三人の天皇の外祖父となったことは、周知の事実であろう。このため娘を政治の駒として使い、天皇家に強い影響力を持ち、絶大な権力を握ったと一般に思われるようになった。「光る君へ」で道長を演じている柄本佑も、あるインタビューで、「学校で習ったのは、娘でもなんでも利用して出世してという、ヒールっぽいイメージでした」といっている。また、「この世をばわが世とぞ思ふ望月の欠けたることもなしと思へば」という道長の歌に、権力者の増上慢を感じた人も多い。

 一方、紫式部や清少納言を主人公にした作品は、「文化と権力」「女性と男性」という対立構造になりやすい。そのとき、権力や男性を象徴する存在として、道長がよく使われているのである。このようなことから、平安中期を扱った歴史小説で道長は、悪役になりがちなのだ。

 だが、そのような道長のイメージを、大きく変えた作品がある。1984年に刊行された、永井路子の『この世をば』だ。藤原道長の実像に迫りながら、摂関政治全盛期を活写した名作である。作者はこの作品で道長を、二人の兄に頭を押さえられ、右往左往している“平凡児”としている。しかし性格には癖がなく、正妻の倫子や、もうひとりの妻である明子とは仲睦まじい。また、出来物の姉・詮子からは、末弟として可愛がられている。作者はそんな道長のことを“こうした男を、そのころの人々は「まめ人」、真実味のある人間と呼んだ”と書いている。なかなか愛すべきキャラクターなのだ。

 とはいえ、政治センスもなければ、勘も悪い男である。いったい道長は、どうやって権力のトップにまで上り詰めたのか。いろいろなタイミングが合致したり、状況に流されやすい性格が、幸運を呼んだりする。

 だが何よりも重要なのは、幸運が訪れたり、周囲から認められたりしても “凡百の政治家のようにこれを自分の力だと思い上がらない”平凡児の取柄を、常に忘れないことである。だから道長は、政治の平衡感覚を、しだいに獲得することができた。まだ幼い娘の彰子を入内させるときも、倫子と共に逃れられぬ状況を嘆く心を持てた。後半生になって、権力の魔に取り憑かれたが、それも道長らしい。とにかく作者の創り上げた道長像は人間臭いのである。

 それにしても今回、この原稿を書くために数十年ぶりに本書を再読して、あまりの読みやすさと、分かりやすさに愕然となった。なぜ、平安中期の時代の流れや政治状況、各種の史実が、すんなりと頭に入ってくるのか。

 理由のひとつは、物語の主な焦点が、夫婦・親子・兄弟などの “家族”となっている点だ。たとえばこの長大な物語は、まだ箱入り娘の倫子の両親が言い合う場面から始まる。娘が行き遅れになることを心配する母親と、いつまでも娘を手元に置いておきたい父親の姿は、現代と通じ合う。しかも二人の会話に、史実が巧みに織り込まれているのだ。多くの人が持っている、お馴染みの家族への感情に誘われ、いつのまにか平安中期の世界に入り込んでしまうのである。

 さらに付け加えれば、当時の貴族社会が、よく現代の社会や会社に準えられている。貴族社会は官僚社会であり、リタイアするには出家するしかない。出世レースも、それに奔走する人々の心も、現代の社会人と変わらないのだ。それを作者は、地の文章で現代語を使うことを厭わず、的確に表現していく。どんな時代でも共通する、人間と社会を深く認識し、その上に、やはり深く解釈した時代と、血肉を持った人物を載せる。ゆえに、永井路子の歴史小説は、私たちの共感を呼ぶのである。

 もう一冊、『望みしは何ぞ』にも目を向けたい。道長の四男の能信の“望みしもの”を描いた長篇だ。父親を含めて周囲の人を、能信は冷めた眼で見ている。鷹司系である倫子の子に比べ、高松系である明子の子である自分たちは冷遇されていると思っているからだ。その鬱屈が能信を、ある野望に走らせるのである。

 その結果、はからずも院政の道が拓けるのだから、歴史の流れとは面白い。現在、朝日時代小説文庫で両作品が復刊されているので、順番に読むといいだろう。そうすることによって、歴史の大きなうねりと、積み重なる人々の想いを体験できるのである。


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