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東日本大震災で自衛官をPTSDから守ったのは「第3の自信」だった…元自衛隊メンタルヘルス教官が解説

 あの震災から10年。当時、災害現場で救助に尽力したのが自衛官だった。救助活動後の自衛官のPTSD(心的外傷後ストレス障害)も心配されたが、実際、ほとんどその症状は見られなかったという。
 それはなぜなのか。元自衛隊のメンタル教官として、災害救助に携わった自衛官の心のケアを担当し、『自衛隊メンタル教官が教える 心の疲れをとる技術』(朝日新書)を著した、下園壮太氏に話を聞いた。

 震災では直接的な被災者だけでなく、多くの人が心に傷を受けました。救済活動に携わった自衛官もその仲間です。当時私は陸上自衛官のメンタルヘルス全般を考える立場にあり、現地に赴き被災者、隊員が直面する心理的な脅威も実感しました。精神科の医師たちとPTSDについて危惧したものです。

 ところが、震災後3年目のレビューで、実際には震災のショックによりPTSDになった自衛官はほとんどいないことが明らかになりました。

 さまざまなデータを総合して私たちがたどり着いたその要因は二つあります。

 一つは、震災当時に私たちメンタルヘルススタッフが強調していた「疲労管理」教育が功を奏したのではないかということです。

■ショックの後、疲労により傷つきやすさが残る

 人は通常大きなショックを受けると、傷つき疲れ果てます。しかし、しばらくするとそれを克服するものです。

 ところが、あまりにも大きいショックの場合、出来事対応や感情活動による疲労が非常に深くなり、いわゆる“うつ”状態に陥ることもあります。すると、同じ刺激でも、2倍、3倍の大きさに感じてしまいます。そのメカニズムは、『元自衛隊メンタル教官が教える 「折れてしまう」原因は、ストレスではなく◯◯だった』で紹介しました。

 日常の刺激が2倍のショックや疲労として作用するわけですから、日常の生活を続けていても(いるのに)、なかなか元の自分に戻れないのです。これを遅れて感じる疲労、「遅発疲労」と呼んでいます。

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■自信の低下を予防する

 海外派遣された隊員の観察から遅発疲労のことを知っていた私たちは、隊員が災害派遣から帰って間もないうちに、遅発疲労について教育を行いました。もちろん個人でも疲労管理をしてもらうためですが、実はそれより重要な目的があったのです。それは「自信の低下」を予防することです。

 私は、自信を3つに分けています。まず、何らかの課題ができるようになる「“できる”という自信」、第1の自信と呼んでいます。これはわかりやすいですね。しかし、これ以外に人間の生きる力の根底を支える自信があと2つあるのです。

それは、「自分の体力や生き方に対する自信」である第2の自信と、「守ってくれる仲間がいる、愛されている、必要とされている自信」である第3の自信です。

 自衛隊員は、厳しい任務でも達成できる自信を持っています。そんな隊員が災害派遣を終えしばらくたったとき、突然気力が出なくなったり、体調不良に陥ったりした場合、どうなるでしょう。

「もう、終わったことなのに、自分だけあのことを引きずっている。自分は弱い人間だ、自衛官失格だ」と考え始めるのです。つまり、3つの自信の区分でいえば、第2の自信の低下です。

 第1の自信の低下は、何らかの成果や結果で比較的簡単に取り戻せる。しかし、第2、第3の自信が低下してしまうと、それを取り戻すには非常に多くの時間と努力が必要になります。

 だから私たちは、遅発疲労を紹介し、「それは普通のことだ。君がダメな自衛官だということではない、ただ、頑張って疲れが残っているということだ」ということをしっかり理解させたかったのです。

■自衛官の第3の自信を支えてくれたのは…

 そして、もう一つ、自衛官の第3の自信を支えてくれた大きな要因があります。

 それは、「国民からの感謝の言葉」です。国民に感謝されていると自衛官が認識できたことは、自衛官の第3の自信を非常に強く支えてくれました。

 ベトナム戦争では、参加した米軍の自殺やPTSDが非常に多く報告されています。命をかけて戦ったのに、国民の支持を得られなかったからです。

 あの震災で自衛官の活躍に救われた人も多いでしょう。しかし一方で、私たち自衛官も、国民のみなさんの感謝の気持ちに支えられていたのです。


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