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玄侑さんという人は、本当に怖ろしい/玄侑宗久著『桃太郎のユーウツ』道尾秀介さんによる書評公開

 玄侑宗久さんの『桃太郎のユーウツ』が12月7日に刊行されました。道尾秀介さんが「小説トリッパー」23年冬季号でご執筆くださった書評を特別に掲載いたします。

玄侑宗久著『桃太郎のユーウツ』(朝日新聞出版)
玄侑宗久著『桃太郎のユーウツ』(朝日新聞出版)

 音楽を聴くとき、アルバムに収録された曲を一曲目から順番に再生していく人が近年では減っているという。かくいう僕自身も、隙間時間を見つけては、聴きたい曲だけポチッと選んで再生したりする。しかし作り手は適当に曲順を決めているわけではなく、そこには重要な意味があるはずで、ためしにアルバムを最初から最後まで再生してみると、それぞれの曲が驚くほど違って聞こえてくる。

 短編小説集もまたしかりで、収録作品を配列順に読むことで、初めて立ち現れてくるものがある。とくに本書はその特色が強いので、是非とも第一話から順番に読んでいくことをおすすめする。

 著者による「あとがき」にも書かれているが、本書に収録された六つの短編は配列順に異様さを増していき、描かれるテーマも徐々に取り扱い注意の度合いを高めていく。第一話の「セロファン」で心の表面に見知らぬさざ波が立ったかと思えば、つづく「聖夜」と「火男おどり」でその波が心の底に沈殿していた感情を浮き上がらせ、「うんたらかんまん」と「繭の家」で感情が深い渦となり、気づけば剥き出しになっていた心の底に、最終話の「桃太郎のユーウツ」が爆弾のように放り込まれる。この爆弾のインパクトは相当なもので、誰もが忘れがたい放心を味わうことになるだろう。

 とはいえ、当たり前の話だが、収録順を工夫するだけで短編集の名著が生まれるわけもない。本書に収録されている六つの短編はどれも第一級のクオリティを持つ。それぞれ個別に紹介していこうと思う――が、これが難しい。玄侑さんの文章はあまりに無駄がなく、また言選りの巧みさから、すべての言葉が多大な質量を保持しているからだ。あらすじや感想を語ることはできても、何が書かれているのかを説明するには、たぶん原作以上の文章量が必要になってしまう。

 というわけで、ここから先はひとつ、ファンレターを盗み見るくらいの気持ちでお読みいただければと思う。

 まず一話目の「セロファン」。これは、死者の顔が見えるよう棺の小窓に張られた透明なセロファンのことだ。ほとんどの人が何の疑問も抱いたことがないであろうその物体に着目しつつ、人間の成長が見事に描かれている。大人になるということを、これほどの短さで、これほど的確に表現した作品は記憶にない。

 つづく「聖夜」は、震災によりすべてが一変してしまった被災地で生きる夫婦の物語。除染作業があちこちで行われる土地で暮らし、放り出されたような気分で日々を過ごしながら、彼らは自分たち自身を応援しようと、哀しい諧謔を交わし合う。この作品では、二人が夜の山道を車で走るシーンがとても印象的だった。窓外の暗い景色が、主人公の目にはまるで深海のように映る。「僅かに輪郭だけを感じさせる山々が水中の巨大昆布のように黒くうねり、車の動きで見え隠れする家々の灯りが遠い水面の漁り火にも見える」という精緻な比喩のあと、「あるいはどこかで、海中だったら良かったとでも思っているのか……」と彼は自問する。海の中ならば、除染作業も必要はなかっただろうと。もしかしたらこれは著者自身が、自らの筆が綴った比喩に刺激されて自問していたのだろうか。玄侑さんにとっての「小説」とは何か――それが垣間見られるような作品でもあった。

「火男おどり」は、神社の賽銭箱から謎の百万円が出てくるというミステリアスな冒頭からはじまる。普段ミステリー作品ばかり書いているくせに、終盤で明かされるその百万円の出どころにはまったく思い至らなかった。真相を知り、えっと驚いて無防備になった胸に、人間というものの奇妙さや哀しさ、そして人間であることの面倒くささが硬い握りこぶしのように押しつけられる。

「うんたらかんまん」は玄侑さんの作品としては非常に珍しい二視点の構成となっている。これまで玄侑さんは、自然やウイルスの暴走に支配され、それに従ったり抗ったりする人々を何度も描いてきた。しかし本作で暴走するのは人間だ。小さな暴走と大きな暴走が絡み合い、ねじくれながら巨大化し、何人もの人生を巻き込んでいく。その中で起きてしまった残虐な殺人事件。真実を知る者と、それを聞き出そうとする者。二人が対峙し、見えない金剛杖で互いに突き合い、躱し合う緊迫感。息を詰めてページを捲ったあとには、喜怒哀楽の合成では絶対に表せない余韻が待っている。

「繭の家」では近未来が舞台となる。“COVID-X”によるパンデミックが収束しないまま、富士山の大噴火、さらには東京大地震と津波に見舞われた日本。一見するとディストピアを描いているように思えるが、最後まで読み進めたとき、それが現代を見渡すための大仕掛けであることに気づく。読了後はまるで新品のレンズを手渡されたように、世界を見つめる視力がアップすることになるだろう。

 そして最終話の「桃太郎のユーウツ」。これだけは、あらすじも感想も書けない。ただ一つ記しておきたいのは、この作品が書かれたのは安倍元総理がテロによって命を落とした事件よりも前であるということだ。

 玄侑さんという人は、本当に怖ろしい。