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「嘘をついて、ごめんなさい。助けてください、閻魔様」助かりたいならこの一冊で地獄を学べ

 新刊が出る度に、広告を作り、POPを作り、チラシを作る。宣伝課のしがないスタッフである築地川のくらげが、独断と偏見で選んだ本の感想文をつらつら書き散らす。おすすめしたい本、そうでもない本と、ひどく自由に展開する予定だ。今回は、朝日選書『ようこそ地獄、奇妙な地獄』を嗜む。

 長雨に祟られ、曇りがちな日も多かった夏。いうほど暑くはないなんて声も聞こえるが、くらげにとっては変わらぬ酷暑。地獄の釜のような海面に耐えられず、しばらく深海に身を潜めていました。秋が来ました。ご無沙汰しております、くらげです。生きています。

 いつのことかははっきり記憶にない、遠い幼き頃の記憶。

 私の住む団地の裏には広大な草原が広がっていた。断っておくが、そこは東京23区内。いまは大学や高層マンションが建ち、ハイソな富裕層の街に変わった。草原には不自然な一直線の広い道が通っており、かつて日本軍の飛行場だったと教えられた。

 そこは野生動物の宝庫だった。夏はザリガニやバッタを捕り、冬は岩の裏に隠れるムカデを探した。ある日のこと、私は草原の奥で大蛇に出会った。大蛇は草むらから顔を出し、舌を小刻みに動かしながら、こちらを威嚇してきた。

 川口浩探検隊に夢中だった私は、とっさに毒ヘビだと判断し、転げながら必死に逃げた。大蛇が私を飲み込まんと追いかけてくる気配を感じた。振り返ることはできない。その瞬間、不気味なほどに白く鋭い牙と漆黒の闇が視界いっぱいに広がっているような気がしたからだ。土まみれになり、自宅に駆け込んだ私は、父に恐怖体験を伝えた。

 父はたったひと言、

「嘘をつくと、閻魔様に舌を抜かれるぞ」

 と、私をたしなめた。これが私の地獄との初遭遇である。
 
 舌を抜こうと巨大なペンチを構える閻魔様、私の体を押さえつける無数の鬼たち。草むらで出くわした蛇がたちまち消え失せる。恐怖が恐怖を上書きした。

 このとき私が頭に浮かべた閻魔様、閻魔王とは平安時代から信仰される「十王経」によれば、あの世をつかさどる10人の王のひとりだという。十王は亡者を裁き、その罪の深さに応じた罰を定める。そして、罪の重い亡者は地獄の下層に送られる。こうした地獄の仕組みは平安時代にはすでにあったという。

 いや、昔の地獄は震えるほどに恐ろしい。「日本霊異記」には母親を殺そうとした瞬間に、地面が割れ、生きたまま地底へ落ちたと記されている。これは怖い。逮捕も起訴もない。罪を犯せば、即地獄。獄卒(昨年、ブームになった鬼のこと)に針の山を登らされ、釜茹でにされる。その身を滅ぼされようとも、死ねず、ひたすら地獄をさまよい続ける。無限の苦しみである。

 生き地獄という言葉は、こうした説話から生まれたにちがいない。現代では、辛い現実を指して生き地獄というが、それは本当に地獄だろうか。あなたの前に立ちはだかる辛い目に遭わせる人は獄卒ではなく、人間だ。頭に角が生えているように見えるのは錯覚だろう。大丈夫、罪を犯さない限り、地獄はあらわれない。

 本書は「往生要集」や「日本霊異記」を引用しながら、地獄という概念はいかに作られたかを丁寧に説く。たとえば、地獄はどこにあるだろうか。空の上と答える方は少ない。たいていは地底奥深くと想像する。奈落の底である。地獄は「堕ちる」 が定型句。これは上記の例でも明らか。焦熱地獄、無間地獄といった地獄世界も含め、平安初期から現在に至るまで、我々の頭のなかにある地獄は1200年以上にわたり変わらない。

 だからこそ、地獄は時代ごとに色々な描かれ方をしてきた。本書は地獄を舞台にしたあらゆる物語まで紹介。まさに地獄の隅々まで見せてくれる。室町期の狂言「朝比奈」では、主人公の朝比奈が閻魔王をひろゆき氏ばりに論破、最後は地獄ではなく、極楽へ道案内させた。江戸期には源義経や武蔵坊弁慶ら歴史上の武将たちが大暴れ、獄卒を追い払い、地獄を解放、その恩賞に領地がわりに地獄をもらうなんて話まである。

 ほかにも地獄のヴィジュアル、ファッションとしての地獄などこれでもかと多角的に説きまくる本書は、遠い未来、地獄についてまとめた貴重な書物として紹介される日がやってくるだろう。買っておいて損はない。なぜなら地獄は不滅。消えることはない。

 ときに因果応報といった概念を伝える説教の教材として、またあるときは痛快エンターテーメントの舞台として、地獄は様々な形で日本人の心にありつづける。これは令和も同じだ。恐怖や苦痛の象徴であり、見たくないようでちょっと覗いてみたい、地獄は人の心をそそるウレセンなのだ。

  私が幼い頃についた嘘は、本当に閻魔様案件だろうか。残念ながら、私はそのうち舌を引っこ抜かれかねない。なぜなら、「源氏物語」の作者・紫式部は、妄言(嘘)を用いて物語を書いたため、地獄に堕ちたとされ、「源氏供養」なるものまで行われたという。日本が誇る世界的ベストセラーの著者でさえ、地獄行き。くらげなんぞ……。

 嘘をついて、ごめんなさい。助けてください、閻魔様。


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