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芥川賞作家・李琴峰「死と生の随想」【『生を祝う』刊行記念エッセイ】

『彼岸花が咲く島』(文藝春秋)で第165回芥川龍之介賞を受賞した、台湾出身の作家、李琴峰さん。受賞後第一作となる『生を祝う』(朝日新聞出版)は、胎児の同意を得なければ出産できない近未来を舞台にした衝撃作だ。「小説トリッパー2021年秋号」に作品が掲載された直後から、読売新聞や共同通信、京都新聞などで大きな注目を集め、異例の発売前重版となった本作について、朝日新聞出版PR誌「一冊の本 2022年1月号」に掲載された李琴峰さんによるエッセイを公開する。

 二〇一六年四月のある朝、都心へ向かうすし詰めの通勤電車に私はいた。

 よく晴れた日だった。線路沿いの桜並木が咲き乱れ、燦々さんさんと降り注ぐ陽射しを受けきらきらと輝いた。誰かに輝度を上げられたかのように世界は明るく見えるのに、電車の中は窮屈で息苦しかった。

 年々歳々花相似あいにたり、歳々年々人同じからず――日本に渡って二年半が過ぎ、桜の満開になる様も幾度となく目にしてきた。花期の早晩こそあれ、花の咲く様は実に大して変わらないが、振り返ると、自分自身の立場や、自分を取り巻く様々な環境は毎年大なり小なり変化していた。小さな喜びと小さな悲しみが無数に混じり合い、歳月を編んできた。しかし、もし視点をうんと高いところへ上げれば――例えば惜しみなく光を振りいているあの太陽のような高みから、この場所を俯瞰ふかんすれば――地球上に生きる一個人の平凡な喜怒哀楽など、取るに足らない些事さじに違いない。であれば、ここに生きている自分の生は、一体どんな意味を持つのか。自分の足元から前方へ続いていく、先の見通せない仄暗ほのぐらい道を歩むにあたり、そこには、生まれたことがもたらした結果を、ただ惰性のように維持し続けること以上の価値が宿り得るのか。漠然とそのように考え出した瞬間、ふと、「死ぬ」という言葉が空から降ってきた。

 私は心の中で、「死ぬ」という言葉を繰り返し発音し、その響きを玩味した。し、歯茎硬口蓋摩擦音しけいこうこうがいまさつおん。舌を硬口蓋に近づけ、脱力した状態でゆっくり気流を通す。ぬ、歯茎鼻音。舌先を「し」の時より前の方へ突き出し、歯茎はぐきに一瞬触れてから下げ、その瞬間に気流を鼻へ通す。「し」という空気の摩擦を感じさせる静かな響きと、「ぬ」というぬめりを帯びるような湿っぽい音、この二音で「死ぬ」のイメージが作り上げられている。現代日本語で、「ぬ」で終わる動詞は「死ぬ」しかない。「ぬ」の響きにこれほど合致する動詞は他にないのだ。しかも、日本語の「ぬ」は英語の「noo」とも異なる。「afternoon」や「noodle」の「noo」を発音する時は唇に力を入れて丸くすぼめるが、日本語の「ぬ」は唇はそのままで、あくまで力を抜いた楽な状態で発音する。いかにも死とは力を抜き切った、この上なく楽な状態だ。

「死ぬ」という言葉の持つ不思議な語感を独り味わっているうちに、これは一つの小説の始まりになりそうな予感が湧き、そんな微かな予感を頼りに、私は原稿用紙に文字を刻み始めた。そうして「死ぬ」という一語で始まった小説は、後に『独り舞』というタイトルがつき、文学賞で選ばれ、私に作家という肩書をもたらした。

 それから四年半――「死ぬ」で始まった作家としてのキャリアは、『彼岸花が咲く島』という生と死のあわいを想起させるタイトルの小説で芥川賞という節目を迎え、そして今度は『生を祝う』と来た。振り返れば死から生へのグラデーションのようで、あまりにも出来過ぎた話だ。当然、そんなことを意図できるほど私は器用ではない。あくまで偶然である。

 生と死と言えば、いまだ生を知らず、いずくんぞ死を知らん、と孔子様はのたまった。死は生よりずっと不可解だという前提に立っての言葉だ。しかし私に言わせれば、二千五百年前ならいざ知らず、現代人である私たちはある意味において、死というものよりも、むしろ生についての方があまりにも無知ではないだろうか。古今東西、多くの哲学者や文学家が死ぬことについて思索を巡らせ、数え切れないほどの論考や創作を残したが、それと比べ、生まれることについての思索は圧倒的に少ない。科学の進歩によって死の仕組みはおおむねね解明されており、望みさえすれば、私たちは様々な手段で自らの死を早めたり遅らせたりすることができる。つまりある程度、自らの死を操ることができるのだ。ところが、という選択はいまだできない。自らの生を操ることは不可能だ。死という万人に等しく訪れる結末と比べれば、寧ろ生――「出生」――の方が、よほど不可解で、得体の知れないものではないだろうか。

 私たちは自らの出生について、あくまで受動的な立場を強いられる。「出生」を表す言葉は、日本語(生ま、生を)も英語(to be born)も受動態を取っているという事実がそのことを反映している。そこには私たちの自由意志が介在する余地がない。しかし、あくまで受動的に強いられた結果としての「出生」について、私たちは「めでたいこと」として教え込まれる。私たちが経験しているあらゆる苦しみの根源は悉く出生という事象に遡るというのに、出生とはめでたく祝福されるべきこと、生とは祝い謳歌すべきものだと、人々は口を揃えて言っている。それは何故か。長い間私は思い悩み、自分の生まれなかった世界、生を強いられなかった世界に思いを馳せていた。

 出生と比べれば、出産――産む、to bear ――の方がずっと能動的な営為だ。生まれる側よりも、産む側の方がずっと能動性を備え、自由意志を行使する権力を持っている。であるならば、選択権のある側はない側に対して、もっと配慮してしかるべきではないか。生まれる側に対して、この子はあるいは可能性もあるかもしれない、などと少しばかり想像力を働かせてもいいのではないだろうか。しかし、多くの人はそこまで考えが及んでいない気がする。何故子供を産む/産んだのか、と聞くと、子供が欲しいから、可愛いから、遺伝子を残したいから、血を分けた半身が欲しいから、老後の面倒を見てほしいから、後継ぎが欲しいから、労働力が欲しいから、デキちゃったから、など様々な答えが返ってくるが、いずれも親側の都合であり、そこには命を作り、背負っていくことの重みが感じられなかった。

 インドで、同意なしに自分を産んでしまったとして、男性が親を提訴しようとするニュースを見かけた時、これだ、と思った。その思想の水脈に、長い間私を悩ませてきた問題と相通ずるところがあった。出生を疑問視する思想は古今東西、様々なところでその痕跡や片鱗が散見されるが、それらが一つに合流し、「反出生主義」という名前を得、哲学の一分野として扱われるようになったのはごく最近のことだ。インドの男性は反出生主義の実践者ということになる(ちなみに記事を読む限り、提訴は本当に賠償が欲しいというより、問題提起の側面の方が大きいらしい。男性の両親はどちらも弁護士で、親子は仲が良く、男性の提訴について、母親は「どうすれば生まれる前の息子から同意を得られたのか、合理的な説明ができればこちらも非を認めよう」とお茶目に返したという)。

 死の想念、出産の暴力性、出生の疑問視、反出生主義、そしてインド男性の裁判、これらは全て、「もし生まれてくるかどうかを自分で決められたら」という想像に結び付いた。そしてそれが小説として実った。『生を祝う』という小説で、私は「合意出生」という法制度を仮構し、「子供を産む前に子供の同意を取らなければならない」世界をシミュレーションしてみた。この制度を読者がどう受け止めるのか、とても興味深い。自らの出生に疑問の眼差しを向けた経験がある人には理想の制度に映るかもしれないし、生殖が国家権力によって介入されている反理想郷ディストピアだと思う読者もいるかもしれない。この制度から想起される様々な生命倫理的な問題で頭を抱える人もいれば、そんなことはあり得ない、小説家のくだらない妄想にいちいち付き合っていられない、などと言って一蹴する人もまたいるだろう。いずれにしても、「死ぬ」で始まった私の作家人生の現在地点にして、死と生を巡る新たなる問いかけ、それが『生を祝う』なのだ。

 ▼李琴峰著『生を祝う』は朝日新聞出版より発売中


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