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『水曜どうでしょう』で一番必要なのは“許容” 名物Dが明かす「むしろプレッシャーしかない」現場とは?

 北海道ローカルの番組でありながら、全国区の人気を誇る『水曜どうでしょう』。番組の生みの親であり、構成スタッフの一人でもある藤村Dこと、藤村忠寿さんが、エッセイ集『笑ってる場合かヒゲ~水曜どうでしょう的思考』に引き続き、もう一人のディレクター・嬉野雅道さんとの共著『腹を割って話した 完全版』(朝日文庫)を刊行。そんな藤村さんに「水曜どうでしょう的思考」とは? 仕事観とは? を直撃した。

■うまくいきそうもなかったら「ちょっとだけ方向性を変える」

――以前のインタビューでも「我々が追っているのは人間の姿」だとおっしゃってましたが、毎回面白いことが起きる保証はどこにもない。プレッシャーはありませんでしたか?

 むしろプレッシャーしかありませんよ(笑)。「面白くできなかったらどうしよう」。ロケに向かう車内では、みんな無口です。「どうでしょう」はある意味ドキュメンタリーですから、やり直しも撮り直しも一切なし。ただただ撮り続けて、そのまんまを編集して流す。でも、ヨーロッパくんだりまで行って、一日何にも起こらなかったなんて日もあるわけです。さあどうするか。さすがに全員不安になります。それでムンクの「叫び」の人形をみつけて「劇をやってみよう」とか。「物まねやってくれ!」とか。こいつら、ヨーロッパまで来てなにしてんの? 大丈夫?っていう。それが笑いにつながるんです。劇や物まねが面白くなくたっていい。必死になってる姿が滑稽であれば、十分価値はあります。

 テレビ的には、ロケまでして一日撮影したのに何もなかったなんて“失敗”の部類です。それがそれまでの“常識”でもある。でもね、常識を打ち破る、なんていうたいそうなことじゃなくても、ちょっと考え方を変えるだけでいいんです。面白いことが起きない、その「面白くなさ」に嫌気がさした大泉さんや俺が文句を言う。そのやり取りがおかしくて笑える。だったらそれでいいじゃんってことです。

 どんな企画も「このままいくと成果出ないな」と思ったら、ちょっとだけ方向性を変えてみる。「対決列島(列島縦断しながら各県の銘菓の早食い競争をする企画)」でも、本当は絶対俺が勝つ!って思ってたのに、出発地点でいきなり負けちゃった。そこから先は「どうやってズルしようか」ってそればっかり。「朝からあいつに水ようかん食わせとけば負けてくれるんじゃねーか?」とかね(笑)。もはやお互い嫌がらせをし合ってるだけの企画になっちゃって。でも、結果が面白ければ「それでいい」んです。

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■不安なんてあって当たり前

――藤村さんが言うととても力強い「それでいい」。「それでいい」は判断でもあり、許す、ということでもありますよね。

 そうですね。特にその「許容する」っていうのが一番大事なんじゃないかと思います。最近簡単に「多様性」なんていうけどさ、「これもアリ」だけど「そっちもアリ」って認めることって、おそらく人間は一番不得意なことなんじゃないかな。

 誰しも「こうしよう」って決めて、それに向かって一生懸命準備して努力するわけですよね。それをいきなり「やっぱこっちだわ」って曲げられたら、そりゃ抵抗しますよね。でも本当の意味で「多様性を認める」って「曲げた先の可能性まで視野に入れて考える」ってことじゃないかな。口で言うほど簡単なことじゃないですよ。もちろん不安ですしね。

 よくいろんな企業の人や講演を依頼してくる人から「よくそんな決断ができますね」とか「不安はないんですか?」って言われるんですが「だって考えたってしょうがないじゃん」って思います。不安なんて、いくらでもあって当たり前。わかんないことをクヨクヨしたって意味ないでしょ?

 どうなるかわからないことを話し合うときに「不安を言うこと」なんて誰にでもできるんですよ。先がわからないときこそ「理想」を語らないと前に進めない。

 ロケをしていても「明日行くところ、大丈夫なの?」って言われたら「こうだったらいいねえ」「あそこまで行ったら、うまいもん食いたいね」ってそういうことしか言わない。「何にもなかったらどうしよう」なんて言ったって、暗くなるだけだもの。そんなときは「(◯◯まで行けば)すごいものがありますよ!」って言うんです。そのほうが「じゃあちょっと行ってみるか」って、少し前に出られるでしょ。で、行ってみて何もなかったら「何にもなかったねえ」って(笑)。それも「現実」を言うだけ。で、「さあ次、行きましょう」って。

 それだって「ふざけんなよ!何にもなかったじゃねーか、ヒゲ!」って大泉洋が悪態ついてくれれば、それでいいんです。

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■もうテレビにしがみつかなくてもいいんじゃないか

――著書『笑ってる場合かヒゲ』(1)の中で「世界を席巻する」って書いてらっしゃいます。実際、「水曜どうでしょう」はNetflixでも配信されて世界中から視聴されるコンテンツになりましたね。

 え? 俺そんなこと書きましたっけ?……あ。書いてるなあ(笑)。

 僕、テレビマンですけど、最近全然テレビ見てないんですよ。テレビなんてもう、スポーツと報道だけでいいんじゃないかな。「水曜どうでしょう」も配信だけでいい気がする。

 昔はあんなにテレビにかじりついてたのにね。子どもの頃は好きな番組見たさに大急ぎで風呂へ入ったり、「宿題もうやったよ」なんて親に嘘ついたり。でももうそんな時代じゃないですよね。「どうでしょう」も新作放送のときこそ「待望の!」「テレビの前で待ってました!」って言ってもらえるけど、そこから先は配信があったりDVDになったりしてる。つまりね、時間の使い方が「テレビ軸」じゃなくて「自分軸」になってるんですよ。もうテレビは人間を縛れなくなってきてるんです。

 でもそれはいいことだと思う。

 僕らの仕事は番組=コンテンツを作ること。これはビジネスであってお金儲けのためにやってることです。その観点から見たら、今はスポンサーつけてCM流すより、課金制にしたほうがお金が入る。視聴者に無料で提供できるのがテレビのいいところでもあったけど、CMや視聴率に縛られ続けた結果、肝心のコンテンツがおろそかになってるんじゃないか。忖度(そんたく)だらけで似たような番組ばかりになって見放されるぐらいなら、見る人から直接お金をもらったほうがよっぽど健全な番組ができるんじゃないの?っていう気がします。

 その点、Netflixはすごいですよ。どこの国のコンテンツだろうと、一度価値を見いだしたら、すごいお金を出して買ってくれる。テレビで放送しても、せいぜい日本の中だけで、ある30分間しか占有できないけど、配信なら世界中の誰もが、この先もずっと、見たい時に見られる仕組みがある。

 僕の仕事は番組を作ること。それをどこに・どう流せばお金になるかなんて、「担当の人、考えてよ」って話ではありますけど。でもせっかくなら、なるべく儲かるところ・楽しんでもらえるところに流したいじゃないですか。だって、多様性を乗り越えて、明るい方だけを見て、必死で作ってるんですから。

(取材・構成=浅野裕見子/撮影=写真部・小黒冴夏)


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