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自衛隊の定年は55歳でうつ状態になる人も…知られざる第二の人生を自衛隊メンタル教官に聞く

 定年まであと何年ですか?

 タイミングは人それぞれだが、日々の忙しさに埋もれていると、あっと言う間にやってきそうだ。

「老後資金など、お金の準備について思いを巡らせる人は多いのですが、多くの人は、新たな環境に向けて自らの価値観をゆるめたり、生涯楽しめそうな“好きなこと”を見つける、といった心の準備をし忘れたままで、定年生活に突入します。その結果、がらりと変わる環境や人間関係に適応できず、悩みを深めるケースが多いのです」と、元自衛隊メンタル教官『50代から心を整える技術』の著者でもある下園壮太さんは言う。

 あまり知られていないが、自衛隊は退職年齢が早く、54歳から56歳の「若年定年制」を採用している。下園さん自身も56歳のときに退職し、先輩や同期の人たちが退職後にどのような状況になるかをつぶさに見てきたという。

「定年は、人生にとって大きなターニングポイントになるのは間違いない。その波をうまく乗り越えて充実した日々を歩める人と、うまく乗り越えられず苦しむ人に二極化する現実があります」。

 下園さんが目にした“第二の人生”のリアルなエピソードとは――。

下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える 50代から心を整える技術』(朝日新書)
下園壮太『自衛隊メンタル教官が教える 50代から心を整える技術』(朝日新書)

■自衛官の生真面目さと新しい職場のミスマッチ

「若年定年制」を採用している自衛隊では、定年が早く、平均で55歳です。

 まだ十分働ける年代で退職するため、組織内には次の働き口を探す「再就職斡旋プログラム」というありがたいシステムがあります。保険会社の損害課など、いろいろな再就職先が斡旋されます。ところが、再就職先に移っても、新たな職場で苦戦している先輩方が多い、という話をちらほらと聞いていました。

 どうして新たな職場にうまく適応できないのでしょう。

 自衛隊は、規律正しい組織です。だから、真面目な人が多く、「与えられた内容以上の仕事をする」ことで充実感を得る、という仕事ぶりが定着しています。もちろん、そういった姿勢は再就職先でも高評価を受けます。

 しかし、その一方で、「真面目な働き者であるがゆえに、現場の人に疎まれてしまう」パターンも実は多いようです。

■「自分は正しい」という価値観の強さが再就職先でのつまずきに

 ある元自衛官は、よかれと思って、正しいことだと思って、細かい仕事を見つけたり、改善点を指摘したりしていました。

 しかし、再就職先での周囲の空気がおかしい。ある日、「なんでそんなことまでするのですか。私たちまで、それをやらなくてはいけなくなるじゃないですか」と反発を受けたというのです。

 周囲と足並みが揃わず、善意が空回りする。周囲の反発をうまく受け流したり、自分が折れたりできれば良かったのですが、その方は「自分は正しいことをやっている」という価値観を緩めることができませんでした。

 これまでがんばってきた自分を全否定されたように感じ、大きなショックを受けて、うつ状態になってしまったのです。

 長期間、均一な論理や規律の中で過ごしてきた結果、「自衛隊的な価値観」しか知らない、箱入り息子的なところが自衛官にはあるのです。

 もちろん、自衛官に限らず、一つの組織で長年過ごしてきて、「これが正しい」という価値観をしっかりと身につけてきた人ほど、定年後に直面する大きな環境変化に適応できず苦しむ、ということが起こりえます。

■シニア期に重なるライフイベントが負担を強める

 定年後には、大きな環境変化が起こります。

 これまでは当たり前に期待されていた「役割」がなくなる。組織で与えられてきた「目標」もなくなる。「収入」も立たれ、家庭における「居場所」もこころもとなくなります。年齢とともにますます疲れやすくなり、疲れからの復活も長引く、という自分の変化にも直面します。

 中高年以降のシニア世代がうつに陥りやすい要素の一つに、「ライフイベントの重なり」があります。ライフイベントとは、誰にでもある日常的な出来事のこと。出来事は、変化でもあります。結婚や就職、身内の死といった大きな出来事から、人事異動や地域活動など、それぞれの出来事には必ず「人間関係」がともない、「感情」が揺さぶられます。だから、一つひとつの出来事は小さくても、積み重なると「大きなエネルギーの消耗」になるのです。

【表:ライフイベントのストレス】
1年の間に経験したライフイベントの点数の合計が150点以下なら30%、150点から300点なら50%、300点以上なら80%の人は次の年に心身の不調に陥る可能性がある

 ライフイベントがどのくらい心身に負担をかけるのかをまとめた研究があります(図「ライフイベントのストレス表」)。

「定年」は、項目の中にはありませんが、「失業」、再雇用となれば「労働環境変化」、「新しい仕事」、「転職」、「家計の悪化」、「仕事の責任変化」、「生活リズム変化」、「習慣の変更」などが当てはまります。これらの要素の点数を足し算しただけでも、258点となります。

 表をもとにすると、1年のうちにこれらが重なると、翌年のうちに心身の不調に陥る可能性は「50%」となります。2人に1人が心身の不調になるくらい、定年後には大きな負荷がかかるのです。

 50代以降は、エネルギーが低下し、何かに挑戦したいと思う意欲も、ストレスへの打たれ強さも、知らず知らずのうちに低下していきます。これに追い打ちをかけてライフイベントが重なるのが、これからの時期。年齢を重ねるとともに人生は穏やかになっていく。定年を迎えればマイペースで楽しく生きられる、というのは楽観的すぎるイメージかもしれません。

 だからこそ、私は「定年というターニングポイントに向けて、10年ほどかけてしっかりと準備することが必要」だとお伝えしたいのです。体力も柔軟性もある50代のうちであれば、エネルギーの消耗を最小限にしながら、着実に準備を重ねることができます。

(取材・構成/柳本操)

下園壮太(しもぞの・そうた)
心理カウンセラー。メンタルレスキュー協会理事長。1959年、鹿児島県生まれ。防衛大学校卒業後、陸上自衛隊入隊。陸上自衛隊初の心理教官として多くのカウンセリングを経験。その後、自衛隊の衛生隊員などにメンタルヘルス、コンバットストレス(惨事ストレス)対策を教育。「自殺・事故のアフターケアチーム」のメンバーとして約300件以上の自殺や事故に関わる。2015年8月定年退官。現在はメンタルレスキュー協会でクライシスカウンセリングを広めつつ講演などを実施。『心の疲れをとる技術』『人間関係の疲れをとる技術』『50代から心を整える技術』(すべて朝日新書)、『自信がある人に変わるたった1つの方法』(朝日新聞出版)など著書多数


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