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スタンフォードで学んだ東電社員が3.11の緊急事態で発揮した「グローバル・リーダーシップ」とは

 なぜ、スタンフォードは常にイノベーションを生み出すことができ、それが起業や社会変革につながっているのでしょうか? 書籍『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』では、スタンフォード大学で学び、現在さまざまな最前線で活躍する21人が未来を語っています。著者のひとり、立岩健二氏は、スタンフォードでの学びを活かし、保守的な東京電力で社内ベンチャー、株式会社アジャイルエナジーX立ち上げました。成功までには多くの失敗もあったといいます。「夢物語」だと一蹴された、テキサス州に日本製の原子炉を2基建設するという「STPプロジェクト」への出資参画という、日本の電力会社初の画期的な契約を勝ち取った立岩氏でしたが、2011年3月11日、東日本大震災が起こります。本書より一部を抜粋・再編して、4回にわたりお届けします。

※第2回よりつづく

『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)
『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)

■東日本大震災:緊急事態でのグローバル・リーダーシップ

 2011年3月11日は、STPプロジェクトに関する法律事務所との会議が15時から予定されていた。地下鉄銀座線の赤坂見附駅で降り、地下道を同僚と歩いていたところ、14時46分、激しい揺れに襲われた。会議はキャンセルとなり、電車は不通となっていたため歩いて内幸町の東京電力本社まで戻った。

 福島第一原子力発電所(1F=イチエフ)では、運転中の原子炉は地震により、設計通りに自動停止した。外部電源は喪失したものの、非常用ディーゼル発電機も設計通り起動していた。

 この速報を聞いた時点で、筆者は大事には至らないだろうと高をくくっていた。ところが地震発生から約1時間後、1Fに巨大津波が襲来し、非常用ディーゼル発電機を含む電源がほぼすべて喪失する事態となった。この状態が継続すると、約8時間で原子炉を冷却する手段がすべて失われ、炉心損傷事故は不可避となる。背筋が凍った。

 しばらくして、広報部から電話がかかってきた。1Fの事態に関するプレス文の英訳をしてほしい、との要請だった。原子力発電所の全電源喪失事故、という未曽有の事態について、技術的に理解し、的確に英訳できる翻訳者がみつからなかったからだ。次々と発表されるプレス文を徹夜で英訳し、翌日の昼に一旦帰宅して仮眠を取った。夕方目を覚ましてTVをつけたところ、1号機が水素爆発したという衝撃的な映像が飛び込んできた。急いで出社した。それから半年間、東京電力本社を拠点として、主に海外の原子力機関と連携しながら、事故対応に従事した。

 事故発生から4週目となる4月6日には、国際原子力機関(IAEA)の調査団の通訳兼技術ガイドとして、1Fの現場に入った。当時、さらなる水素爆発を回避するための対策を検討中のタイミングであり、まったく予断を許すことができない状況だった。その修羅場のなか、崩れ落ちた3号機の原子炉建屋等の想像を絶する光景を、装着した全面マスクごしに目にした。全面マスクはあまりに不快で、装着して15分も経たないうちに激しい頭痛が襲い、吐き気を催した。しかし、震災発生以来、一度も帰宅せずに過酷な現場で対応し続けていた仲間のことを考えると、弱音をはいている場合ではなかった。

 事故対応にあたり、IAEAと並んで東京電力を強力に支援してくれたのが、米国原子力産業界だった。全米の電力やメーカーから10名前後のベテランエンジニアが、3月下旬から東京電力本社に数週間交代で詰めてくれ、無償で技術的な助言を提供してくれた。

 しかし、当初東京電力はこの非常にありがたい支援の申し出をどのように受け止めるべきか、相手の真意を測りかねていた。このようななか、筆者は米国チームとのコーディネーター役を任され、1Fの状況や課題を英語で伝えながら、米国からどのような支援があると助かるかなどについて昼夜を問わず議論を重ね、対策を実行に移した。このときに予想もしない形で役に立ったのが、スタンフォード大学GSB(経営大学院)で受講したTouchy Feelyのスキルである。

 Touchy Feely(正式名称:Interpersonal Dynamics)は、異なるバックグラウンドを有する相手との間でも、強固な信頼関係を構築可能とするコミュニケーション能力を磨く、ユニークで実践的な授業である。T-groupと称する少人数で、極限までオープンに自らの本音をさらけ出して相手の懐に飛び込み、そのときにおたがいが感じたことを率直にフィードバックしあうことで、相互理解と信頼を深める訓練を繰り返した。そのときの成果を、米国チームに対して試すときがきた。

 リーダーは、米国海軍原子力潜水艦乗組員出身のアル・ホチェバー氏だった。「なぜ、米国チームは、多くの外国人が日本から避難しているなか、東京にやってきて無償での技術支援を申し出てくれたのか」という、ストレートでぶしつけな質問を投げかけた。アルは、筆者の直接的な問いかけを歓迎してくれた。1Fの事故は時々刻々と進展しており、腹の探り合いをしている余裕はなかったからだ。

 アルの回答は単純だった。“We are in the same boat!”世界の原子力の仲間が困っているときに、助けるのは当たり前、ということだった。米国チームの一人が語った、「30年間の原子力キャリアにおいて、今TEPCOを助けることほど重要なミッションはなかった」という熱い言葉は、今でも脳裏に焼きついている。

 米国チームとは強固な信頼関係を構築し、効果的に事故対応にあたることができた。しかしながら、東京電力という会社に対する世間の信頼は地に落ち、事故に関する事実関係についての発表も信用されない状況となっていた。世界中に400基以上ある原子炉で同様の事故が発生しないよう、事実関係と教訓を共有する必要があるにもかかわらず、これは由々しき事態であった。

 そこで、筆者は米国駐在を志願し、2011年9月から東京電力のワシントン事務所を拠点として、事故の事実関係と教訓について、全米で発信する活動を展開した。プレゼンテーションする際は、東京電力の公式見解の解説にとどまらず、あえて個人の体験に基づく心情も吐露することで、信頼と共感を得ることができた。ここでも、Touchy Feelyのスキルが大いに役に立った。駐在中の4年間で、209回、のべ1万人以上に対して、直接発信し、米国の産官学の関係者に、広く事故に関する正確な知識を普及することに貢献できた。

 Touchy Feelyでは、“feedback is gift”が合言葉になっていた。おたがいに率直な本音のフィードバックをすることで、相手からどのように受け止められているかについて理解が深まり信頼関係構築に資する、という考え方である。筆者は、1Fの事故に関するプレゼンテーションをする際、可能な限り、参加者にフィードバックをもらえるよう、アンケート用紙を配ってお願いした。

 日本人的感覚からすると、事故の当事者が説明会を開催した際に感想文をお願いするというのは、ありえないと思うだろう。ところが、アメリカ人は逆に、「ケンジは、事故の教訓をより効果的に伝えるために改善しようと努力していて、しかも自分たちの意見を参考にしようと思っている」と、好意的に受け止めてくれた。

 実際、多くの参加者が詳細なフィードバックを書いてくれ、4年間で1300件以上の貴重なデータが蓄積された。これらフィードバックを熟読し、次のプレゼンテーションに反映させることで、プレゼンの効果がどんどん高まり、それが口コミで広がり、次々と講演依頼が全米から寄せられる、という好循環につながっていった。

 たとえば、渡米初期のころにもらったフィードバックには、「ここはアメリカであり直接迷惑をかけたわけではないのだから、事故について謝罪するのはやめたほうがよい。むしろ堂々と、教訓を伝えるために来たことを明言すべき。さらには、ジョークで場を和ませてから、個人的なエピソードも交えてプレゼンするとなおよい」と書かれていた。

 米国の関係者が、事故の当事者である東京電力から真摯に学ぼうとする強い姿勢をもっていることにも驚かされた。多くの原子力発電所では、筆者のプレゼンの様子をビデオ撮影し、直接参加できなかった職員を含め全員必修の研修資料として利用していた。また、米国原子力規制委員会からはたびたび講演依頼をいただき、なかには委員長自らが出席し、熱心にメモを取るということもあった。

 全米の大学(スタンフォード大学、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、ニューヨーク大学、アメリカ国防大学他)からも講演依頼をいただいた。なかでもハーバード大学工学部で教えた経験は、有益だった。ES96という、実社会の複雑な問題に関する解決策を検討するプロジェクトベースの授業でのコラボだった。1F廃炉を題材として、具体的な課題を筆者が学生に説明し、学生が3カ月の間に創意工夫して解決策を提案し、筆者にプレゼンテーションした。

 溶融燃料デブリの位置特定方法や、放射性物質を含む水を貯蔵するタンクからの漏洩防止策について、提案してもらった。学生の立場からは、実際の困難な課題解決に挑むという意味で、高い学習効果と学習意欲の向上につながり、東京電力の立場からは一流の学生からアイデアがもらえる、という双方ウィン・ウィンの関係になる授業であった。

 GSBの人気授業の一つである、フェッファー教授の The Paths to Power に、2013年2月にゲストスピーカーとして招聘いただき、GSBでの学びが1F事故対応時にどのように役に立ったか等について紹介し、後輩たちとディスカッションするという光栄にもあずかることができた。

 米国駐在中は、対面でのプレゼンテーションに加えて、電話会議形式での情報発信も毎週開催し、好評を博した。駐在期間が終了し日本に帰国して以降も、米国原子力業界の関係者から情報発信を継続してほしいとの強い要望が多数寄せられた。そこで、個人の課外活動として、1Fの廃炉の進捗や事故原因に関して新たに判明した事実について、公開情報をもとに、Zoomでの情報発信を毎月実施している。今後も、世界からのニーズがあり続ける限り、1F事故の当事者の責務として、発信を継続するつもりである。

立岩健二
京都大学・同大学院にて原子力を専攻し、1996年東京電力に入社。新型原子炉の安全設計等に従事していた2000年代初頭、「黒船」エンロンの国内電力市場への参入により業界に衝撃が走ったことをきっかけに、日本のエネルギー基盤を支えられる「技術のわかる経営者」を目指し、2004年にスタンフォードMBA取得。東電復帰後、日本の電力会社初となる海外原子力事業への出資参画を主導するも、東日本大震災で白紙撤回となる。国際機関と連携して福島第一原発事故対応に奔走するかたわら、日本のエネルギー基盤を「アンチ・フラジャイル」に立て直すための構想を検討。この一環として、「分散コンピューティングによる再生可能エネルギーの導入量最大化と電力系統の最適化」事業を考案。当事業を社会実装するプラットフォームとして、株式会社アジャイルエナジーXを2022年8月に東電の社内ベンチャーとして設立し、代表取締役社長に就任。

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