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スタンフォードで学んだ東電社員が、「夢物語」といわれたプロジェクトを成功に導いた交渉術

 なぜ、スタンフォードは常にイノベーションを生み出すことができ、それが起業や社会変革につながっているのでしょうか? 書籍『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』では、スタンフォード大学で学び、現在さまざまな最前線で活躍する21人が未来を語っています。著者のひとり、立岩健二氏は、スタンフォードでの社費留学での経験を活かし、保守的な東京電力という大企業で東京電力の社内ベンチャー、株式会社アジャイルエナジーXを立ち上げました。成功までには多くの失敗もあったといいます。本書より一部を抜粋・再編して、その道のりを紹介します。

※第1回よりつづく

https://www.amazon.co.jp/dp/4022519053
『未来を創造するスタンフォードのマインドセット イノベーション&社会変革の新実装』(朝日新聞出版)

■社内ベンチャーへの挑戦その1:セグウェイ・シェアリング

 社費留学でMBAを取得させてもらったので、卒業後は会社が自分に投資してくれた額の10倍以上のリターンを生み出すつもりだ、と人事部門との面談で伝えたところ、「そんな意気込みを語る社員ははじめて」と驚かれた。MBAの経験を最大限発揮できる新規事業を希望したものの、留学前と同じ原子力部門に戻ることとなった。

 そこで、本業と並行してGSB2年目に考案したビジネスプランを、社内ベンチャーとして提案することとした。電動立ち乗り2輪車「セグウェイ」のシェアリングビジネスの東京での展開である。

 1999年に設立されたセグウェイ社の商品は、その革新的な技術と利便性で、大きな注目を集めていたが、高額であったことや道路交通法上の位置づけが不明確であったことから、世界的に販売は苦戦していた。そこで、短距離移動手段のニーズの高い東京都市部にセグウェイのシェアリングシステムを構築し、時間貸しで低廉なコストで、都心の駅からのラストワンマイル問題の解決に資するビジネスプランを提唱した。

セグウェイ本社での試乗(2004年)

 スタンフォード大学GSB(経営大学院)卒業直前に、ニューハンプシャー州のセグウェイ本社を訪問し、当時のCEOと面会し、全面的に協力するとの確約を取りつけることができた。セグウェイCEOとの面会は、GSBのクラスメートの奥さんが、セグウェイに出資している大手ベンチャーキャピタルであるクライナー・パーキンスの共同経営者だったことから紹介してもらい実現したものだった。スタンフォードGSB ネットワークの威力を実感するとともに、「ドアは叩かなければ開かれることはない」ことも痛感した。おそらくGSBに留学する前の筆者であれば、そもそもCEOに面会を申し込むなどという大それたことを思いつかなかっただろう。

 当ビジネスプランは、電力会社として新たな電力需要創出に資する価値もあった(当時は、電気自動車普及の見通しはまったく立っていない状況だった)。道路交通法上、セグウェイは公道を走れないという制約があったため、経済産業省、内閣府、国土交通省等の関係官庁に働きかけた。当時の小泉首相が提唱していた構造改革特区制度を利用し、千葉県幕張エリア等の道路幅が広いエリアでの試行的適用の協議を進め、行政側も大いに乗り気であった。

 ところが肝心の東京電力側は、新規事業部門の審査で門前払いとなった。近年の電動モビリティのシェアリング事業拡大に鑑みて時代を先取りしたプランではあったが、提案した時期が15年早すぎたため、「前例がない」として、理解されなかったのである。

■社内ベンチャーへの挑戦その2:海外原子力事業

 セグウェイ・シェアリング事業の提案は却下されたが、これでくじけることなく、次はスタンフォード大のジェフリー・フェッファー教授のThe Paths to Powerという授業で学んだ、組織行動学のテクニックを繰り出すこととした。

「権力への道」というびっくりするような大胆な名称のついている本授業では、効果的なリーダーとなるためには、ともすれば汚いものとして敬遠しがちな「政治力」の効用を直視せざるを得ないことを説き、いかにして自らの信念を実現するために影響力を行使し得るポジションに自分を導いていくかについて、実例と組織行動学の理論をもとに学んだ。

 フェッファー教授は本授業の目標を「自らの意志に反して組織を離れざるを得ない状況に陥ることを防止すること」と設定し、目標達成のために次のポイントの修得を強調した。

(1)権力という概念について深く理解し、それがどのようなメカニズムで発生し行使されるのかについて分析できる能力を養う
(2)権力に関する臨床的、観察的、診断的能力を養う
(3)自分に合った「権力への道」を探求する

 ニクソン政権の大統領安全保障担当補佐官だったヘンリー・キッシンジャーのケーススタディでは、組織構造上のポジションと個人の特性との関係の重要性を学んだ。これを東京電力と筆者の関係に当てはめたとき、海外発電事業を拡大しようとしていた会社と、それに必要なスキルを有している人材という関係が成立した。
 
 東京電力には、スポーツ界で一般的なフリーエージェント制度と類似の、社内人材マーケット制度というものがある。自分の能力を高く買ってくれる社内の他部門に売り込みをかけ、マッチングが成立すれば引き抜いてもらえるというものだ。とはいえ、これは建前であり、実際には社内でこのような引き抜き合戦が行われると、組織の和が乱されることとなるため、適用事例はごくわずかであった。

 筆者はかまわず、当時の国際部に売り込みをかけ、MBA取得から1年後の2005年に引き抜いてもらった。原子力の直属の上司が、理解ある人格者であることも幸いした。国際部で最初に取り組んだのは、オーストラリアの石炭火力プロジェクトであった。正直にいえば、筆者は火力発電事業にあまり興味はなかった。いずれ東京電力の海外原子力事業を展開するときに必要となる、海外プロジェクト・ファイナンスの知見を獲得する目的で、取り組んでいた。

 2005年当時、東京電力では原子力事業の海外展開は、まったく想定されていなかった。しかし、筆者はじり貧の国内電力事業、および国内原子力産業活性化のためには、世界に誇る日本の原子力技術の海外展開と国際標準化の推進が不可欠と確信していた。MBA取得を目指したのも、それが大きな目的の一つであった。とはいえ、そのようなチャンスが来るのは10年先だろう、と思っていた。

 しかし、2006年はじめ、米国の大手発電事業者NRGエナジーのデイビッド・クレーンCEOが、ふらりと東京電力を訪問した。そして、「テキサス州に原子炉を2基建設する(STPプロジェクト)ので、東京電力も参画してほしい」と打診してきた。

 建設する原子炉は、東京電力が世界ではじめて建設・運転に成功した、ABWRという最新型のものだった。NRGエナジーがABWRを選択したのは、米国政府が打ち出した原子力推進政策の支援対象である第3世代炉のなかで、実際に建設・運転実績がある唯一の原子炉であるため、プロジェクト・ファイナンスの成立可能性がもっとも高いという見込みからであった。

 プロジェクト・ファイナンス成立の観点からは、日本でのABWR建設・運転の元締めである東京電力に、STPプロジェクトでの技術支援に加えて、出資参画もしてもらうことが必要条件であった。NRGエナジーから東京電力への、熱烈なラブコールがはじまった。

STPプロジェクト建設予定地にて(2010年)。右端が筆者

 筆者は、まさにこのようなプロジェクトを推進するためにMBAを取得したのだ、と天命に感謝しつつ、東京電力社内で、STPプロジェクトへの参画を提案した。ところが、原子力部門の最初の反応は、「ありえない」であった。当時、日本国内の原子力事業も難しい状況に陥っており、とても海外プロジェクトを支援できる状況になく、ましてや出資参画して主体的に取り組むなど、夢物語を語るにもほどがある、とけんもほろろな反応だった。

 しかし、原子力部門にも筆者の構想に賛同してくれる社員が一定数いた。STPプロジェクトにまず技術支援という形でかかわることで、プロジェクトについての理解を深め、出資に向けたデューデリジェンスも兼ねながら、東京電力がもっとも貢献できる関与の仕方を検討するという戦略を提唱した。限定的な技術支援だけなら、ということで原子力部門の理解を取りつけ、2007年に東京電力として初の本格的な海外原子力技術支援契約の締結に成功した。そして、技術支援と並行して出資参画に向けた地ならしを進めた結果、2010年5月には、日本の電力会社として初となる海外原子力事業への出資契約締結を実現した。

 この間、筆者は東京電力のプロジェクト・マネージャーとして、技術、商務、法務のすべての分野をとりまとめ、NRGエナジーとの出資交渉も主導した。この際、GSBで学んだファイナンスやネゴシエーションのスキルが、非常に役に立った。ファイナンスについては、留学前は知識がゼロであったところ、GSBで基本的な理論を学んだだけでなく、オプション理論もかじったことで、NRGエナジーとの交渉に際しては、東京電力の出資参画がNRGエナジーに対して大きなオプション価値をもたらす(=日本の電力会社が出資することで、国際協力銀行による融資を取りつけられる確率が有意に向上)、という論法で有利な条件を勝ち取ることができた。

 フェッファー教授には、The Paths to Power の学びを東京電力でどのように適用しているかについて、卒業以来毎年メールで近況報告しているが、いつもおもしろがって即レスをくれる。

 2010年にフェッファー教授が上梓した“Power”という組織論に関するビジネス書のなかの、「構造的空隙」について論じた章で、筆者の事例を紹介してくれた。邦訳版は、『「権力」を握る人の法則』(日本経済新聞出版・2011年)という刺激的なタイトルで、都内の書店で平積みになるくらいのベストセラーとなった。会社には特に報告していなかったのだが、ある日、上司に声をかけられた。「スタンフォードの有名教授が書いた本を読んだが、 『日本の大手電力会社に勤務する、MBAをもつ原子力エンジニアのケンジ』 って、立岩のことだよな!?」
 
 なおオプション理論といえば、ブラック・ショールズモデルが金融界では有名だが、このモデルの考案者の一人が、GSBのマイロン・ショールズ教授である。GSB卒業直前には、The Last Lecture Seriesと称する、豪華メンバーによる講義が行われるが、筆者の年のスピーカーは、ショールズ教授、マイケル・スペンス教授というノーベル賞受賞者2人と、エリック・シュミットGoogle CEOというラインナップだった。

 ショールズ教授が超難解なオプション理論について淡々と解説して多くの学生を煙に巻いていたのに対して、スペンス教授は難しい経済理論には触れず人生論について語り学生を感化していたという点が対照的で興味深かった。シュミットCEOは、若い創業者2人(ラリー・ペイジとセルゲイ・ブリンの両氏ともスタンフォード大学工学部出身)と協力しながら、いかにしてベンチャー企業の活気を保ちつつ企業規模を拡大してきたかについて熱く語り、シリコンバレー経営者の神髄を見た思いがした。

 マーガレット・ニール教授のネゴシエーションの授業では、各種交渉テクニックを学んだ後、クラスメート同士の模擬交渉で技を磨きあった。また、実社会で自らの交渉術を試す宿題も課された。筆者は近所のディスカウントストアで見事に失敗したが、ある日とあるクラスメートが、60個のクリスピークリームドーナッツをタダで入手してきたといって、クラスメートに配った。

 彼いわく、ドーナッツ店に入って店長を呼び、「自分はGSBの学生だが、60個のドーナッツをタダでくれたら、クラスメートたちに配る。彼らは全員CEO候補なので、将来クリスピークリーム社の株価を上げてくれるかもしれないことを考えると、安い投資だと思わないか?」と説得したとのこと。交渉では、この厚かましさが必要なのかと、感銘を受けるとともに、相手とのウィン・ウィン関係を構築することで、交渉はうまく成立することを認識した。

 さて、STPプロジェクトへの出資参画にあたり、東京電力は米国原子力投資会社TEPCO Nuclear Energy America LLCを設立し、NRGエナジーと連携してプロジェクトを推進する体制を着々と整えることになる。

立岩健二
京都大学・同大学院にて原子力を専攻し、1996年東京電力に入社。新型原子炉の安全設計等に従事していた2000年代初頭、「黒船」エンロンの国内電力市場への参入により業界に衝撃が走ったことをきっかけに、日本のエネルギー基盤を支えられる「技術のわかる経営者」を目指し、2004年にスタンフォードMBA取得。東電復帰後、日本の電力会社初となる海外原子力事業への出資参画を主導するも、東日本大震災で白紙撤回となる。国際機関と連携して福島第一原発事故対応に奔走するかたわら、日本のエネルギー基盤を「アンチ・フラジャイル」に立て直すための構想を検討。この一環として、「分散コンピューティングによる再生可能エネルギーの導入量最大化と電力系統の最適化」事業を考案。当事業を社会実装するプラットフォームとして、株式会社アジャイルエナジーXを2022年8月に東電の社内ベンチャーとして設立し、代表取締役社長に就任。


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