憧れではなくネタ。悲しき慶應の象徴力【ミッツ・マングローブ/熱視線】
良くも悪くも『慶応ブランド』なんてものは、昭和の時代から幾度となく持て囃され、こすり続けられてきた結果、今や完全に形骸化した幻想の賜物でしかないと思っていました。野球の早慶戦しかり、政界・財界・医学界における学閥しかり、石原裕次郎に代表される慶応ボーイしかり、確たる伝統や効力はあるにせよ、甚だ時代遅れなイケイケ感満載です。そしてここへ来て、悪目立ちばかりすることが多い慶応……。『最強の切り札』として、この学歴国家で幅を利かせてきた「大学は慶応です」というフレーズが、いよいよギャグになる日が近づいているのかもしれません。
東大や京大や藝大が日本人にとっての『学歴の極み』であるように、慶応もまたある種、日本人の価値観のひとつとして存在してきました。かく言う私もその価値観の中で育ち慶応を出た人間です。創設者・福沢諭吉による有名な一節は「天は人の上に人をつくらず、人の下に人をつくらず」ですが、その後には「されど学や経験を身につけておかなければ、この世の格差は渡っていけない」と続きます。オイシイところは持っていく洗練されたフットワークと、潰しの利く要領の良さ。そんな根拠無き自己暗示を継承し、世間に印象づけることによって、慶応の漠然たる神話性は現在に至ります。もちろん多分野にわたり結果や人材が輩出していることは事実です。しかし、もはや『慶応』は芸やネタの域に入ったと言ってよいでしょう。
私はテレビの世界でそれを最も体感した人間のひとりだと自負しています。私が在学していた当時も、すでにそこまで特別なものではなくなっていた『慶応ブランド』に、よもや40手前でこんなにも恩恵を受けるとは思ってもいませんでした。何が凄いのかは分からなくても、とりあえず「一流!」「優秀!」「もったいない!」といった単純明快なリアクションに繋がる『慶応卒』の三文字は、女装したオカマにとって、踊ったり歌ったりするよりも遥かに有効な『芸』でありキャッチーな『ネタ』だったのです。もし私が慶応出身でなかったらこの連載もなかったでしょう。頑張って卒業してよかった。
ちなみに、私の『慶応卒』がネタとして成立した背景には、この国の『肩書&キャッチフレーズ至上主義』の激化があります。ジャンルやカテゴリーは多様化し、クオリティや技術は進化する一方で、人も物も事象も歴史も、本質はおろかあらすじさえ見る気がないのが今の世の中です。「売れる本は目次で決まる」とか「サビから始まらない曲は売れない」なんて鉄則が蔓延し、イケメンや一発ギャグや格言が乱立し、勝負の決め手はSNS映えするかどうか。そう考えると、実はその長い歴史において、今ほど『慶応ボーイ』の肩書が有効な時代はないのかもしれません。
それはそうと、慶応と海外旅行は似ています。昔は『憧れ』を含んだ特別感がありましたが、今となっては誰だって手の届くカジュアルな存在。だけどその言葉を聞くと条件反射で「すごーい!」と言ってしまう。さしずめ『ミスター慶応』なんて、格安弾丸ツアーに行きまくる人気インスタグラマーみたいなものです。もちろんそんな人たちばかりではない良い学校ですよ。あと、正しくは『慶応』じゃなく『慶應』です。
(初出:週刊朝日2018年11月2日号)