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【試し読み】共感必至の子育てエッセイ誕生! 村井理子『ふたご母戦記』/自己紹介:初産で、双子で、高齢出産だ

人気翻訳家・エッセイストの村井理子さんによる、初めての子育てエッセイ『ふたご母戦記』が2023年3月7日(火)に発売になりました。村井さんは琵琶湖のほとりに夫と双子男児(16歳)と大型犬と暮らし、年間に何冊もの翻訳書やエッセイを出版、さらに義父母の介護も担い、大忙しの日々を送っています。本書は、妊娠中から高校受験までの16年間を綴ったものです。
28歳で結婚し、35歳で双子の男の子を出産した村井さん。実は34歳になるまで、「子どもを持つことから徹底的に逃げていた」といいます。今回は、子どもを持つことへの葛藤を綴った『自己紹介:初産で、双子で、高齢出産だ』を特別公開いたします。ぜひ、お読みください!

村井理子著『ふたご母戦記』(朝日新聞出版)

初産で、双子で、高齢出産だ

 私は日本一大きな湖である琵琶湖のほとりに住む、平凡な主婦。夫と双子の16歳になる男児と、黒いラブラドール・レトリバー(45キロ)とともに暮らしている。
 子どもが生まれた直後に、10年以上暮らした京都から、はるばる越してきた。まるで海のように青くて大きな琵琶湖と、雄大な比良山系に挟まれた地域に一軒家を構え、今年で17年目になる。夏は湖水浴客でごった返し、冬はスキーを楽しむ人々の車で国道が混雑するような、いわゆるリゾート地ではあるけれど、地形に高低差のある自然が厳しい場所だ。
 そんな地域での暮らしは、毎日がスリルに満ちている。言い換えれば、まったく便利ではない。強い山風が吹けば電車が止まるし、ドカ雪が降れば車が出せなくなる。駅前には、居酒屋がぽつりと1軒あり、赤提灯の色がどうにも侘しい。最寄りのスーパーに行くには、車を20分ほど走らせなければならない。車なしでは日常生活が成り立たない地方都市の、小さな田舎町という言葉がぴったりの場所なのだ。湖畔に大型犬と暮らす優雅な生活を想像されるかもしれないが、実のところ、厳しい自然に翻弄されながら常に時間に追われる生活を送っている。毎日がほとんどサバイバルだ。庭の草刈りも樹木の剪定も、何から何まで自分でやらねばならない、優雅と言うよりは、DIYな暮らしである。

 常に犬と暮らしてきたこと、思春期を迎え、夫の身長を超えるほど成長した双子男児ががさつだということもあって、いつの間にやら、わが家は全体的にずいぶんくたびれてしまった。毎年、どこかが壊れて修理が必要となり、費用がかさむようになってきた。キッチンや風呂場のタイルは割れ、リビングのフローリングも、日に焼けて汚れが目立つ。エアコンは何台も故障したし、新型コロナウイルス感染拡大による休校が何カ月も続いた時期には、洗濯機と冷蔵庫が無情にも故障した。
 設計にこだわった家はあっという間に生活感満載の家となり、床には脱ぎ捨てられた男児の衣類が山積みで、お菓子のゴミ、学校のプリント、飲みかけのペットボトルなどが散乱している。体重が45キロほどある大型の愛犬は、毎日山盛りの毛を床に落としながら走りまわる。掃除機を持って、家中を移動するような日々が続く。
 私が目標としていた湖畔のゆったりとした生活は、いつの間にかどこかへ消えてなくなり、家全体のくたびれた様子と自分の姿を見比べて、なんだか似てるわ……とため息をつくことが増えた。

 そんな、関西の山間の小さな田舎町に立つ、雑然とした家に籠もり、細々と翻訳業を営んでいる主婦が、この私である。英語で記された本を日本語へと訳すこと、様々な媒体に文章を寄せるのが主な仕事だ。肩書きは、翻訳家でエッセイストということになっている(エッセイストという肩書きは、最近、なんとはなしについた)。ここ数年で、1年に数冊の本を訳し、自著も書くようになったが、それまでは、1年に1冊訳すことができれば御の字だったという、鳴かず飛ばずの翻訳家だ。それが私であったし、今だってそうだ。いつかミリオンセラーを出したいと言い続け、先日、とうとう52歳になってしまった。
 がむしゃらに働き、子育てをしていた私の40代は、あっという間に終わってしまい、気づいたらすっかり年を取っていた。まるで浦島太郎だ。

 出産したのは35歳のときだった。28歳で結婚してから何年も子どもを望まず、孫の誕生を今か今かと待つ親たちをやきもきさせたが、結婚したての私には母になることに対する憧れがあまりなかった。だから、親たちの勝手な期待には、徹底的に抗戦していた。まだ20代後半で、早く出産しなくては……という焦りもなかったし、毎日楽しく暮らすことだけで十分満たされていた。
 夫と犬と、狭いけれど京都府内の借家での生活はとても気ままで楽しかったし、共働きで好きに使えるお金だってあった。そんな生活、誰が手放したいと思うだろう。それに、週末になるとふらりとどこかへ出かけ、しばらく戻らないと思ったら釣った魚を持ち帰るような夫が、育児を手伝ってくれるとは到底思えなかった(そして、その予想は当たっていた)。

 だから私は、子どもを持つことから徹底的に逃げていた。いつかは産むだろうけれど、今じゃなくていい。そして、こんなことを書いていいのか迷いつつ書くと、私は赤ちゃんが苦手だった。どう扱っていいかよくわからなかったのだ。あの大きな泣き声には、母親になった今でも慣れない。とにかく、1日でも先延ばしにして、自由な生活を謳歌することだけを考え、生きていた。
 楽しい日々は瞬く間に流れ、34歳になったときだ。突然、このままではいけないと焦った。いかにも私らしいけれど、はっと気づいたときには、高齢出産の崖っぷちだったのだ。
 そんなこんなで、35歳で妊娠し、そして、予想外にも双子だった。初産で、双子で、高齢出産だ。行き当たりばったりの私の人生で、最も行き当たりばったりで無計画だったのが、この妊娠・出産だった。それも、京都から車で1時間以上も離れた琵琶湖畔に、マイホームを建設中のできごとだった。ある日ドライブで訪れた琵琶湖のほとりの静かな土地を、夫が一目見て気に入った。のほほんと生きていた私は、いいんじゃないの?と即答した。一事が万事、この調子だったのだ。

 双子はよく、「1回で2人産めるんだから、お得だよ」なんて言われるのだが、実際に双子を妊娠してみると、お得を感じることはあまりなかった。むしろ、双子は3倍大変では?と思うことは何度も経験している。「苦労は2倍、喜びは3倍!」と言われると、苦労はよくわかるけど、喜びはどうだろうと、思わず愚痴が出そうになる。
 妊娠中は、とにかく自分が重かった。出産だってリスクだらけで大変だ。私自身も、気をつけてはいたものの、多少、早産したほどだ。なんとか無事出産できたとしても、乳幼児の双子育児は、休みなしにエンドレスに続く鉄人レース。無計画な生き方をしてきたのだから仕方がないと言われればそれまでだけれど、もう少し容赦してくれてもいいじゃないかという気持ちにだってなる。

 もちろん、悪いことばかりではない。幼い頃は、本当にそっくりで、そんな男の子たちが同じ服を着て歩いていると、どこにいても歓声があがった。きゃー、かわいい、すっごくかわいいよ、あの双子の男の子!と言われると、自分が褒められているわけではないのに、うれしかった。
 小さい頃のわが家の双子は、私が言うのもなんだけど、本当にかわいくて、お揃いのおかっぱ頭がよりいっそう彼らを目立たせていた。明るくて、けらけらと笑う2人はどこに行ってもアイドルだった。本人たちも、自分たちの存在が大人を大層喜ばせることに気づき、2人揃ってポーズを取るようになったりして、私にとっては自慢の双子だった。
 いつも隣に兄弟がいることで、2人は常に機嫌がよかった。高校生になった今となっても、大きな体をして仲良く語り合う姿を見ると、これが双子の良さなのだなと微笑ましく思う。ついつい愚痴ばかり出てしまうが、双子育児はもちろん苦労ばかりじゃない。楽しいことだってたくさんあるのだ。

 うれしいこと、悲しいこと、辛いこと、悔しいこと。子どもを育てていると、そんな様々な感情がわき上がってくる。自分のなかに、こんなにも激しい思いが眠っていたのかと、気づかされることもある。すべてに流され、楽しいことばかり求めてきたそれまでの人生に、幾重にも物語が積み上げられていき、それは現在進行形なのだ。

 時間に追われながらも、時折起きるうれしいできごとをたぐり寄せるようにして、私は暮らしている。思春期を迎えた息子たちの些細な言葉に傷つき、寂しい思いをしながら、成長した息子たちの姿に慰められている。あれだけ私にくっついて、どうしたって離れてはくれなかった2人は、少しずつ私から距離を取るようになりつつある。
 今まで彼らが私とともに歩んできた道を、ゆっくりと振り返っていくことで、これから先の自分の人生を考えるうえで、何らかのヒントが見つけられるのではと思っている。辛い生活に光が差したように思えた息子たちとの様々な瞬間を、忘れずに書き留めていきたい。


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