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「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在とは? 社会から「いじめ」がなくならないこれだけの理由 <内田樹×岩田健太郎>

 なぜ、いじめはなくならないのか。共著作『リスクを生きる』(朝日新書/2022年3月)哲学者・内田樹さんと医者・岩田健太郎さんは「アイツはいじめてもいい」と犬笛を吹く存在を鋭く指摘する。リスク社会を生き抜くための視点を本書から抜粋してご紹介する。(写真:水野真澄)

内田樹・岩田健太郎著『リスクを生きる』(朝日新書)

■いじめにGOサインを出す教師

岩田:コロナ禍以降に若年層の自殺者数が増えているというニュースがずいぶんありました。

内田:そうでした。

岩田:学生と社会人では、自殺の理由もだいぶ違いがあると思います。以前、『ぼくが見つけたいじめを克服する方法――日本の空気、体質を変える』(光文社新書)を書いたときに、小中高校生の自殺についてかなり調べたんです。学童の自殺の原因はほとんどがいじめなんですね。ただ調べ方によって、結果にだいぶばらつきが出ます。文科省が取ったアンケートではいじめ以外の原因が多く、民間団体が実施するアンケートでは、いじめがほぼ主要因なんです。というのも、文科省のアンケートは設問が誘導尋問的で、さらに問題なのは、学校の教頭先生にアンケートを取っているんですね。教頭先生に訊いたら「学校には問題はない」と当然言うでしょう。「訊く相手を間違ってるよ」と僕は思うんですが。

内田:僕も子どもの頃にいじめられた経験がありますからわかります。学校でのいじめって、基本的には教師が暗黙のGOサインを出しているんですよね。

岩田:「いじめてもいいぞ」、と。

内田樹さん ©水野真澄

内田:はっきりと態度にする場合もあるし、暗黙の場合もありますけれど、教師が「こいつはいじめても構わない」というサインを出しているんです。子どもは「いじめても処罰されない」という保証がないと、なかなか踏み切れない。だから、この子をいじめたら、先生からきびしく咎められるということがわかっている子には手を出さない。
 先生だって、気に入らない子がいるんです。大人の本音を見透かしているような子どもや、統制を乱すような子どもは、先生にとっても目障りだし、疎ましい。そういった子に対しては、𠮟り方に微妙にとげがあったり、絡みかたがしつこかったりする。そういうわずかなシグナルでも「あいつはいじめても大丈夫」と子どもたちはわかる。

岩田:そして、集団でいじめる。

内田:子どもたちも、程度の差はあれ、暴力的なものをうちに抱えているんです。これはどうしようもない。だから、その暴力性や攻撃性をどうやって適切にリリースするか、それを教育者は工夫しなければいけない。子どもは誰もが「天使」であるわけじゃない。けっこう禍々しいものを抱え込んでいるんです。
  だから、本気で学校からいじめをなくしたいと思っているなら、「子どもには攻撃性、暴力性が潜んでいる」ということをまず認める必要がある。その上でそれを小出しにリリースさせて、クラスメイトに向けて暴発するきっかけを与えないように気づかう。子どもが子どもに向けて暴力を振るってもいいという「言い訳」を決して子どもに与えてはいけない。

岩田:その言い訳とは、特定の子を「𠮟る」ような、教師自らが出すGOサインのことですね。

■安全保証、社会的承認、且つ歓待

内田:そうです。でも、教員養成課程で「教師自身に嗜虐的傾向があること」のリスクについてはたぶん問題にされていないと思う。若い教師志望の大学生に向かって、「きみたちは生徒にとって非常に危険な存在になり得る」ということを教える必要があると僕は思います。教師は目に見えない刃物のようなものを持って教壇に立っている。その危険性を教師自身にまず自覚してもらうことがたいせつだと思う。教科をうまく教えるとか、進学成績を上げることよりも、「子どもたちを絶対に傷つけない」こと、それが教師の使命としては最優先されるべきなんです。 
 教師の第一の仕事は子どもたちに向かって、「君たちはここにいる限り安全だ」と保証することです。「ここは君たちのための場所だ。だから、君たちはここにいる権利がある。君たちがここにいることを私は歓待する」と子どもに向けて誓言すること。子どもたちに安全を保証し、承認を与え、歓待し、祝福する。それができる人なら、教え方がどんなに下手だって、僕は構わないと思うんです。

岩田健太郎さん ©水野真澄

岩田:大人社会もまったく同様で、僕もとても気をつけていることに重なります。僕自身、この五年ぐらい若い研修医や学生を教える立場にいますから。
 どうしても爪弾きにされちゃう人がときどき出てくるんです。そういう人って僕から見ても、カチンとくるようなことを結構言っちゃうんですよ。でも、そのときに踏みとどまる。カチンとくるのを自制して、その人の側に立つように自分に言い聞かせています。僕だって、感情のままに流されれば「なんだよ、お前は」となりますよ。それでも「こいつは仲間はずれにしてもいい」という集団の雰囲気には頑として抗い、その人をサポートしなければいけない。周囲に「抗う」のはかなり難しいんですけど、意識してやっています。そうしなければ、いじめにつながり排除が生まれ、ひいてはチーム全体のレベルが落ちてしまいますから。
 ソーシャルメディアも同様です。ツイッターなどの炎上騒動を見ても、集団のノリに抗わないタイプの人は、誰かが「こいつは叩いていい」という犬笛を吹くと一緒になって攻撃を始めちゃう。それが集団になると、ますます堂々と人を傷つける。

内田:ツイッターが大炎上するのは、実はメディア自身が「犬笛」を吹いているからだと思います。メディアにしてみれば、炎上であれ誹謗中傷であれ、それによって閲覧回数が増えればビジネス的には成功なわけです。メディア自身が個人攻撃を「あってはならない」ことだと思って、決然とした態度をとらない限り、SNSが「いじめ」の温床になるということは終わらないと思います。
 メディアはただ情報が行き交う無機的な場じゃない。国民的な合意形成のための対話のプラットフォームです。利用者たちの市民的成熟を支援するものでなければならない。そうである以上は守るべき「品位」と「節度」というものがあって然るべきだと思います。

岩田:皆が一斉に叩いているときに同調しない。それを自分のルールにしています。いじめは常に、マジョリティが、マイノリティに対して行います。だから学校でいじめが起きたとき、教師はマジョリティの逆の立場、つまりマイノリティ側に立つのがプリンシプルです。そしてその先生を、他の教師皆がサポートするのが原則であるべきです。ところが日本の社会って、そういう原理原則を骨抜きにしてしまうところがあるんですよね。

内田:そうです。教員たちの中にも「いじめ」を容認する風土がある。教員個人の「教育力」について査定がなされて、低い評価をされたものは「多少つらい思いをしてもいい」というような雰囲気があるのだとしたら、学校での「いじめ」はなくなりません。


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