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暗いときに電気で明るくするのが苦手な理由【毎日note】#49
モーニングルーティーンの話でも書いたのだけれど、暗い時間帯に家に帰ってきたときや、日が昇る前から起きるとき、電気をつけて部屋を明るくするのが苦手だ。
もともとそんなことあまり気にしてなかったけれど、去年からプロジェクターを家で活用するようになって、夜も暗くして過ごすようになったら、電気の白い煌々とした眩しさがいやになってきた。
だから少し明るさが欲しいときはキャンドルをつけたり、朝は明るさの必要な作業だけ終えたらまだ暗くても電気を消して、カーテン全開にし、日が昇って自然に明るくなるのを待つ。朝するのがPC作業なら手元が暗くても問題ない。
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きっかけはプロジェクターだけど、だからといってどうしていやなんだろう?
同じようなことでいやだな、と感じるのは、家畜や生花を効率的に生育するための明かりによる調整。沖縄で有名なのは、「電照菊」。陽が短くなると開花する習性があるので、主に夏期の夜に明かりをつけて花芽が付くのを遅らせ、開花時期を調整しているというものだ。
でもこれはもはや沖縄の大事な産業でもあり、またこれに類似することで言えば、年中様々な季節の野菜が出回ることや、花や作物の品種改良だって、全て人間の食糧と経済のための「調整」だ。言い出したらキリがないし、今回はそういうことを言いたいのではなくて。
ただ感覚的に、不自然なことをいやだな、と感じるということだ。私は昼の明るい時間帯に寝ているのがきらい。それと同じ感覚。暗い時間に電気でピカピカさせると、無理やり昼のように活動時間帯をつくっているようで、それを「快」と感じないということ。
もうひとつ、さらに感覚的な理由があって、それは「寒々しい」と感じることだ。
これは北海道のころの記憶がそうさせるのかな。
実家は街の中心部から小学校・中学校まで約5キロあって、スクールバスに乗るため、たぶんほかの子たちより早く起きなければならなかった。
特に冬、凍てつく時間帯に起きて、電気をつけて明るくし、消していたストーブをつけ、飛び上がるほど冷たいズボンに足を通し、朝の支度をする。明かりで部屋は明るくなっても、冷え冷えとした部屋。窓の外は真っ暗。あの寒々しさを思い出すのかも。
同じようなことは大人になってからも当然あって、牛乳配達のアルバイトをしていたころは、子ども時代よりもっと朝が早かった。真冬、朝起きる時間だけでなく、支度を整えて車に乗って営業所に走り出してもまだ真っ暗。
それに、18時頃終わる日勤の仕事でも、冬は16時頃には真っ暗で、自分が夜勤をしているような気分になっていた。
寒く、暗い時間につける白い光が、なぜか体だけでなく心も冷え冷えとさせるような、そんな感覚が染みついてしまっているのだ。
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沖縄は内地よりも朝が遅いけれど、日が暮れるのも遅い。8月くらいまでは、仕事が終わっても全然明るくて、まだまだ遊べる!とわくわくする。
いま、朝の6:50。沖縄はやっと昼の明るさになった。でもまだ少し、日差しがオレンジ色を帯びて、逆向きの夕日みたい。
早起きを始めて、こうして少しずつ街が明るくなっていくのを見られるのは、うれしいおまけ。
*2021/10/15にKindle出版予定です~♪
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