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結婚してもいいと思った時のこと(現在独身、ふりかえり)

いつも何よりも私を優先してくれる人と、私は、結婚の意思を確認し合っていた(合意していた)ことがあった。子どもはつくりたくない、ということも、彼は了承してくれていた。

そのようなことは、私の人生で他に起こったことがない。私の人生で初めて、結婚の二文字が浮上していた時だった。




今ならわかる。
そのとき本当は、この人の大きな愛情に応えるためには、たくさんの思いやりに報いるためには、「結婚して示すしかない」と思ったのだと。彼は冗談めかして、でもうれしそうに「いつ結婚したっていいんだよ?」と言っていた。だから結婚することが、彼がくれたやさしさと愛に報いる最善で必至の方法で、それを避けることはできない。彼との結婚を、果たすべき、逃れることのできない義務であると思っていたのだ。それによって彼が喜んでくれるなら、幸せになれるなら、それが正しいことなのだと。

それを、「結婚するしかない」ではなく、「結婚してもいい」とポジティブな響きに置き換えていた。自分を、なだめて、納得しているフリをしていた。
(「結婚するしかない」だと、すごく打算っぽい響きだね!または政略結婚みたいな)

でもそれって、ウソとは違うと思う。自分が結婚するかもしれないという可能性を、ほとんど抵抗なく受け入れていたはずなのだ。たとえ結婚が妥協だったとしても、その価値があると思っていたのだ。そのときは。

でも今、結婚にトライする前に、ゆっくりと、でも確実に恋愛感情が失われた今、私は再び、結婚はしてもしなくてもどちらでもいいと思っているし、誰かに狭い世界に押し込められるくらいなら、一生一人でもいいと思っている。

だから、やっぱりあれは、結婚してもいいと思ったのは(「してもいい」という言葉通り)妥協だったんだな。自分は相手に譲歩して、折れたんだな。心底自分から願ったことではなかったのだ。そういう結論に至ったのだ。

もしそのまま結婚していたら…よほどツイてない限り、そして子どもがいない限り、離婚していただろうなーと思う。そして今回のお別れよりも、消耗するそれだっただろう。

心底から結婚したいと思えなかったことが、結局別れにつながった、とは思わない。だって、その人を好きならば結婚したいと思うのは当然とは、私は1ミリも思わないから。結婚せずにずっといい関係を続けているカップルもいるから。

今は、とりあえず、そういう結論を出して、そして今後の自分の心境の変化を見守ろうと思う。変な言い方かもしれないけれど。


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