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ことばがことばを呼ぶ―noteを続けてみて【毎日note】#40

毎日noteを始めて40日が過ぎた。

今まで、何度も思い立っては挫折、というか続かなかった「毎日書く」ということが、なぜか今はできている。それがとても不思議だ。

ズボラで、「まめ」とは程遠い性格の私だけど、前より、ふと浮かんだ言葉や文章を流さずに書き留めるようになった。

noteの下書きや、アプリでもブラウザでも使えるcolocolomemoというメモ帳には、書きかけの言葉がたくさん転がっている。それを後から何度も眺めて、あるとき完成したりする。あるとき突然、ピンときて。


書くことは私にとって、自分の輪郭をはっきりさせていくことだ。

ぼんやりと収拾のつかない気持ちを、そっとなぞって、ゆっくり撫でて、線をはっきりさせていく。

文章は、息をするように自然に生み出せるわけではないけれど、最近、息をするのと同じように必要なことになっている気がする。

この作業を怠けると、自分があいまいになってしまう。自分の、小さな気持ちの揺れを、波紋の兆しを、見逃してしまう。

気持ちの揺れを見つめずに流すことは、その時は楽かもしれないけれど、それはだんだんひずみになってしまう。無視された小さなわだかまりが、ゆっくり大きく育ってしまう。

前に、書くことはグロテスクだと言ったけど、書くことは癒しでもある。

自分で、自分のことをちゃんと理解してあげる。気持ちに輪郭を与えることは、許すことなのだ。

「それでいいよ。存在していていいよ。その気持ち」

朝、涙をこぼしながら書いて下書き保存した文章を、夜にもう一度読む。

すると、朝気が付かなかったことに気が付き、また新たな文章が生まれる。

ことばが、ことばを呼ぶ。


「続けることそのものに意味がある」と漠然と思っていたけれど、本当はそういうことだったのかもしれない。

続けることによって、数を重ねることによって、その生み出すひとつひとつはまだうすっぺらくても、書き手の中に、何かが生まれていく。何か、「確信」に近いもの。ぶれていた軸が、少しずつ中心を見つけていくような。

毎日書く。それによって、自分を知る。だけでなく、自分を理解する自分の目が養われていく。自分を解釈することに少しずつ自信がついていく。

そして解釈した自分自身に、納得感が強くなっていく。直視することを恐れずに、時間をかけて言葉を選ぶ、という作業をくり返すことで、取り換えることのできない自分自身を、そのまま認めてあげられるようになるのだ。

もちろん、自分を認めるというのは、甘やかすという意味ではない。そのままもう何も学習しなくていいわけでも、反省しなくていいわけでもなくて。

ただ、自分というものの性質や、持っているものを理解し、そこをベースに、新たな一歩や、選択を積み上げていく。

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自分を誰より理解しているのも、自分を本当に癒せるのも、自分だけ。

朝起きて窓を開けて風を吸い込むような感覚で、noteを続けてみたい。



*2021/10/15にKindle出版予定です~♪


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