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「大きな夢」が世界を狭くした【毎日note】#125

ずっと釣りたかった魚のうち、チヌを釣ってしまった後、目標はオニヒラアジ一種に絞り込まれて、それからは難易度が格段に上がり大好きな釣りもあまり楽しめない日々が続いた。


「年内」に「ルアー」で「オニヒラアジ」。これにこだわるあまり、私はせっかくの出会いや学びの機会を逃していたのかもしれない。

どんなに気温が下がろうが、水辺に生き物は必ずいる。私の持っている竿とリールで、出会える魚はオニヒラアジ以外にもたくさんいる。沖縄でルアーマンの誰もが狙うひきの強いターゲットを私も意地になって釣ろうとしていたけれど、私が出会うべき魚はもっと他にいるのかもしれなかった。あるいは、まだお前には早いよということなのかもしれないけど、聞こうとしてこなかったのかもしれない。

ショア(陸)からGT(巨大なロウニンアジ)を釣る奄美大島の友人に言われた。「そういうときはいつも狙わない魚種のエサ釣りなんかを楽しくやってみるといいよ。ベイト(エサとなる小魚)の気持ちが分かります笑」と言われた。言われたときも、確かにそうかもと思ったけど、今になってなおさらじわじわと、彼の言っていたことがすごく的を得たことに思えてきた。

「これ」と決めた目標を盲目的に追っていた今までの私は、視野が狭くなり、オニヒラアジを釣るために知るべきことすら、学ぶ機会を失っていたのかもしれない。

そう思わせてくれたのは、奄美の友人の言葉でもあり、時折エサ釣り(といってもぶっとい竿を使う大物釣りだけど)に参加させてくれる釣りの先輩でもあり、私の大好きな魚譜画家・長嶋祐成さんの、小魚たちとの出会いを綴った文章でもあった。

上の「魚の同定」の話はとてもおもしろい。自分が望む答えに落ち着くために、その答えを否定する要素を無意識に排除してしまうという、人の危うい認知についての話。長嶋さんは石垣島でルアー釣りもされるようだけれど、小さなワームまたはエサを漁港の足元に落として釣る小さな魚たちへの、やさしい眼差しがとてもすてきだ。そしてそのあたたかく豊かな観察眼を、私も持ちたいと今強く思う。

ルアーでイカを釣る、エギングという釣りを覚えてから、いっそう、一本の糸で海の中の生き物と繋がり、その力強い鼓動が手に伝わってくる…その体験の虜になっている。ラインの先のルアーをエサに付け替え、私は、もっとたくさんの魚に出会ってみようと思う。本当はそんなに難しいことではないはずなのに、「大きな夢」にとらわれるあまり、色々な可能性を自ら排除してしまって、できることもできなくしていたのだ。

2021年の最後の目標としていた魚にはおそらく、出会えないだろう。けれど、目標に向かって一心不乱に突き進むことの危うさと、もっと力を抜いて自然の中でのめぐりあわせを待ち、一見関係のなさそうな体験から何かを学び取る余裕を持つ大切さを、私の「無謀な夢」は教えてくれたのかもしれない。




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