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大人になって、ひとりの練習をしている【毎日note】#126

私は今年の2月、30歳という記念的な誕生日を、ひとりきりですごした。文字通り、ひとりきりだ。他者の存在も、街の明かりも見えない。窓の外に人々の営みの気配もありはしない。車の音も聞こえない。ひとりで、森の中の川のほとりでキャンプをしたから。だから、ある意味、無数の他者の気配はあったのだけど。森の生き物たちの。

前の年の初夏くらいにパートナーと別れていて、おそらくひとりで過ごすことになるだろう誕生日をどう過ごそうか、考えないふりでずっと考えていた。そして年末にキャンプにハマった私は、今までより少し勇気がいるような、誰もいない、電気や水道などの設備のない場所で、ソロキャンプをしようと思い立ったのだ。

30回目の誕生日、やんばるの山の中は、風はほとんどないけれど、しとしと雨が降り続く日だった。オレンジの安物のテントの上に張ったオレンジのモンベルのタープを、木の枝先からこぼれ落ちた大きい雫が時折ぱらぱらと叩いていた。

左手にはおそらくボーイスカウトの子たちが設置したブランコなど

私はそんな場所で、昼間はごはんを炊いたり、持ち込んだPCのバッテリーがもつ間、ひとりの誕生日の心境を書いてみたり、静かめの音楽を聴いたりして過ごした。そういえば一度だけ、細い清流の下流から、ウェーダー(胴長)を着た釣り人が登ってきた(私はそのころ、釣りは始めたてで、初心者が渓流でなど釣れるはずがないと思っていて釣竿は持ってなかった)。

たまたまそのとき、3・11からもうすぐ10年ということで、「あれから10年を振り返る」というお題で文章を書いている人たちがいた(note上だったかは覚えていない)。森でひとりでひまだった私は、便乗してそのテーマについてぼんやりと考えてみて、「自分のことしか考えてこなかった10年」だったと、noteではなく、MicrosoftのOne Noteに書き残していた。


地縁のない土地で、私は20代から30代になり、その日々のひとつの側面として、ひとりの練習をしてきたように思う。むろん、意識せずに、

言い換えれば、孤独になじむ。親しむ。強がり抜きに、孤独を楽しむ。

この年まで、結婚せずに自活していくなら、だれもが通る道なのだと思う。贅沢なまでにたっぷりとあるひとりの時間を、時にやり過ごし、ときに楽しむすべを知る。


そして、今日はクリスマスイブ。

去年は、アメリカ・メリーランド州から、やんばるの高校のALTとしてやってきていた日本語の達者なアメリカ人の友達と、中華を食べに行った後、クリスマスソングを流しながらホールケーキの半分を二人で食べた思い出がある。その友達は、母国の家族との間で、「クリスマス本番はケーキを焼いたり七面鳥を準備したりと、主に女性陣がとても大変な日だから、前日のイブは楽をするために毎年中華を食べに行く習慣があった」ということで、「イブに中華」という私としては新鮮な組み合わせを楽しんだ。

今年は……(日中は仕事だけど)とうとう、ひとりですごすクリスマスイブになるはずだった。誕生日をひとりで過ごし、クリスマスもひとりで過ごせれば、もう孤独も板についた立派な大人だ、くらいに、強がり半分、でもきっと余裕で過ごせると思っていた。「クリスチャンじゃあるまいし」という常套句に逃げられるぶん、誕生日よりはクリスマスの方がさみしさはごまかしようがあるじゃんね、とか。

けれど直前で怖くなったのか? 今年ももしかしたらひとりじゃないかもしれない。

ひとりの練習を、するはずだったのにねー


クリスマスをどんなふうにすごすとてしても、すべてのひとたちが、いつも通りの平和な夜になりますように。




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