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少女とワタシとお月さま

 美しい少女がいた。


 ワタシには長い髪の毛と黒い後ろ姿しか見えなかった。
 けれども、ワタシにはそれが少女で美しいのだという確信が芽生えていた。


 少女は海辺の堤防の上に立って月を見上げていた。岸壁に打ち付ける波の音だけが月夜に響いていた。
 大きな大きな満月が少女を黒いシルエットに仕立てている。
 ときおり、優しい風が吹いて少女の長い髪の毛を揺らしていた。


 もう霜月も半ばで、夜は寒い。
 それにも関わらず、少女は薄手のブラウスに膝丈のスカートというように見える。
 寒くないだろうか、と心配になる。しかし、少女は震えもせずに真っ直ぐに立って満月を見上げていた。


 ワタシは「ほぅ」と少女の後ろ姿に見惚れて立ち尽くしていた。
 凛と立つ少女には、自立した芯の強さとしなやかな強靭さが見えたからだ。


「ねぇ、こんな月夜には御伽話が似合うと思わない?」
「え、えぇ」
 少女はふわりと振り返る。
 黒いシルエットがワタシに話しかけてきた。
「御伽話でお姫様は月に還ってしまう。そこが御伽話の美しいところだと思うのだけど、そう思わない?」
「え、えっと、でも、残された家族は悲しいと思うんだけど」
 突然の声かけにワタシは不思議と嬉しさを感じていた。
 ワタシは少しでも気の利いたことを返したくて、でも、なんにも思いつかなくて。
 結局はありきたりで陳腐なことを言うことしかできなかった。


 相変わらず少女はシルエットしか見えない。
 鈴の音のような美しい声でワタシは少女が楽しんでいるんだと思った。
「そう、それよ」
 少女がワタシの返答を肯定してくれて嬉しい。
「お姫様は月に還ったの。家族は嘆いて悲しんだ。御伽話の美しさはそこにあると思うの」
 少女はぴょんと堤防を降りて一歩づつ、ワタシへと近づいてくる。
 黒い、黒いシルエットの中に、美しい瞳が見えた。キラキラと輝くような瞳は真っ直ぐにワタシを見ている。
 相変わらず少女は黒いシルエットにしか見えないのだけれど、少女の瞳に写るワタシの顔がはっきりと見えた。


「美しい物語を作るためには、美しい悲劇が必要なの。ありきたりでいい。悲劇はどんなものでも美しいから」
 と言って、少女はワタシの首に手を伸ばしてくる。
 ワタシは美しい瞳に魅入られて動くことができなかった。
 堤防の上に鈍い音が響いた。


 後には、波の音と海に映り込む満月だけが残っていた。


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