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阿佐ヶ谷書院をやることになったわけ

さて、なんで阿佐ヶ谷書院という出版社をやることになったのか。そのあたりを書いていければと思います。

ぼくは大学卒業後新卒で、とあるインディーズのレコード会社の制作宣伝部で働いていました。マネージャーのような、ローディーのような、いろいろやってました。その後とある書店で働くことに。小さいところだったんで、店長ではないけど仕入れ品出し返品レジいろいろやってました。そのあとは雑誌や書籍の編集などをやったりしたので、まあ出版業界の一通りの流れは知っていたし、インディーズレコード会社時代は自分で作ったものは自分で売るのが基本だったし、ここでの経験はものすごく後々まで役に立っています。ひとりで出版業務をやるとしてもなんとなくの流れはわかってはいたつもりでした。

2011年から2013年にかけて、ぼくは『カレーキャラバン』『カレーマシンガン』というカレーのミニコミを制作したりもして、それは文学フリマなどの同人イベントだったり、中野のタコシェなどで販売していましたし、ジュンク堂の新宿店(いまは閉店)や池袋店など一部の一般書店では販売もしてくれました。その流れで、とある書店のかたから「ウチも置きたいし、他の書店でも置きたいところあるだろうし、ただ書店は取次を通さないといけないし、ISBNがないと置けないから、神保町の取次を紹介するからそこで流通についての相談をしてみてたらどうか」という問い合わせのようなアドバイスがありました。その問屋がいまお世話になっているJRCというところなんですが、このときはミニコミはミニコミのまま、ISBNをあとから取ったりせず、JRCとも取引せずでした。なんでミニコミを作ったりしていたかというと、やっぱり自分で作りたい本を既存の出版社から刊行するということが難しくなっていたんです。自分で作るからといって作りたいことがすべてできるわけではないんだけど、企画によっては既存のところで作るよりはこれひとりで出版社作ってそこで作ったほうが話早いんじゃないかと思ったりもしていました。「ひとり出版社」なんて言われる出版社がポツポツと出てきた頃です(ひとり出版社という言葉は好きではないんですが、ここでは便宜的に使います)。

2013年、いまからもう8年近く前になりますが、カメラマンでインドのチェンナイにも住んでいたことのある井生明さんと、インド料理ユニットのマサラ―ラーから、南インドに関する書籍を出版したいと相談をされました。彼らとはカレーやインド絡みでその前から知り合いであったし、単純にぼくが南インドについての書籍はあれば読みたいと思っていたし、最初は既存の出版社に南インドについての書籍を出したいと企画の相談をぼくのほうでもしてみましたが、いまほどの南インドの知名度もない2013年には(いまもそこまであるわけではないですが)早すぎたのか、どこも微妙な反応でした。ぼくがひとりで出版社をやってみようと思っていたこともあり、もう一度彼らと話して「ぼくがひとりで出版社を作ってやるのでもいいなら、責任持って作ること、ただし刷り部数とギャランティはこれぐらいになる」っていう話だけはしたところ了解は得たので、ひとりで出版社を立ち上げようということになり、本の制作が始まりました。


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