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疎遠になった人たちを諦められる?
最近ちらちらと頭に浮かぶのは、疎遠になった人たちのことだ。
30年生きていれば疎遠になってしまった人の数が多くなってくる。
普通、という言葉をあまり使いたくはないのだけれど、普通は潔く思い出として記憶の中の人として諦めて、頭をすっきりさせているのだろうか。
みんなそういう折り合いをつけて生きているのだろうか。
私はどれだけその人と疎遠になってから時間が経っても、さっぱりすっきりできない。
ちらちらちらちら、頭をかすめる。
それは私が異常なまでに物事に価値や意義を見い出さそうとしているからなのかもしれない。
疎遠になった人と過ごした時間は、あれは、一体なんだったのだろう?
なんの意味があったのか?
あの時間は嘘だったのか?
とか、なんだか色々ごちゃごちゃ考えてしまう。
過去の失敗があるから今がある、みたいなことがよく言われるけれど、失敗(=関係破綻・消滅)は必要だったのか?
私は過去の失敗なんてクソ食らえと思っているタイプ。
それは人間関係だけにとどまらず。
過去の失敗のおかげで〜〜みたいなのもムカつく。
だから疎遠になった人たちとの時間や楽しかった関係性のことを思うと、悲しく虚しくやりきれない気持ちになる。
消えていった人たちが今どう過ごしているのか知ることもできないのがまた虚しくさせる。
人間関係って刹那的で、とても儚くて、虚しい。
どうか、疎遠になった人たちにはそれなりに幸せに生きてほしい。
もう何も知ることはできないけれど。
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