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⑤韓国でスラダンを見たら、歴史が浮かび上がってきた

「スラダンを見にいこう」

朝起きて今日といういちにちが、手つかずのままたっぷりあることを知って、そう思った。

そう決めたら、心が一気に浮き立った。

私はあまりアニメを見たことがない。映画館で同じ映画を2回以上見たこともない。でも、スラダンは日本の映画館で2回見てしまった。なんなら3回目を見たいのを我慢していた。

韓国でも見ることができるんだ。

素直にもう一度見られるという喜びと、韓国語で見るという初めての試みにわくわくし、きょうという日の最高の過ごし方に思えた。

学校が始まるまでは、まだ5日もある。

社会人になると、毎日働くことになかなか忙しくて、ぽっかりと時間が空くことがあまりない。でもきょうは本当にぽっかりと時間が空いている。ここには、まだ知り合いも、約束も、すべきこともなにもない。私の行動しだいでどんな日にでもできる。そんな真っ白な日が久しぶりな気がして、すがすがしさが胸に広がる。

どこの映画館に行くか決めると、いそいそと身支度をはじめた。

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スラダンは韓国でも大ブームだった。

SNS上では、いろいろなパロディーで溢れかえり、そのいくつかを日本で見て友だちとお腹を抱えて笑った。

人づてでは、限定グッズを買うために徹夜で並ぶ人もいたと聞いた。

映画館は、平日の昼間なのでさすがにガラガラだった。クレジットカードをまだ持っていないので、券売機ではなくカウンターでチケットを買う。韓国語吹き替えで見るつもりだ。「字幕なしで」と言おうと思って、「字幕ってなんていうんだろう」と携帯で調べる。자막というのだと知って、カウンターで「字幕なしので」と伝える。

間もなく始まる回がタイミングよくあり、すぐに場内に入れた。

場内が暗くなる。思わず背筋を伸ばす。

映画が始まった。

青々とした海沿いのバスケットコートに響くドリブルの音。

兄に憧れ、1on1で必死に食らいつく小さな少年。

友達と遊びに行ってしまう兄に、本心でない言葉を叫んで大粒の涙をこぼす主人公。

のめりこむように見続けながら、途中で「うん?」と首をかしげる。

いくらストーリー進んでも、耳なじみのある主人公たちの名前が聞こえないのだ。セリフはある程度聞き取れるから、言葉の問題ではない。

ようやく、気付いた。

名前が韓国名に変わっているのだ。

そこで、「あっ」と思い出した。

アパートに入居する日のことだ。

不動産の社員のひとりが、車でアパートまで送ってくれた。日本のアニメが好きだという同い年くらいの男性だった。思わず「スラムダンク見ましたか?」聞いた。

男性は「もちろん見ました」と言うと、「主人公の名前はなんていうんですか?」と聞いてきた。

「桜木花道です」というと、「あ~さくらぎ~」と顔をほころばせて嬉しそうにつぶやいていた。

「スラダンが好きなのに、なんで知らないんだ?」と不思議に思ったけれど、その時は、アパートが気になって、その違和感を放っておいてしまった。

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映画が終わって、調べてみた。

韓国には、日本の大衆文化の流入を制限する規制が長らくあったみたいだ。

規制の解放は段階的に行われ、第一次解放はなんと金大中政権時の、1998年。わずか15年前。めちゃくちゃ最近である。

制限されていたのは、漫画、映画、音楽、アニメなどの大衆文化。

じゃあその時まで、韓国に日本のこれらの文化が全然入っていなかったかというとそんなことはない。

スラムダンクの連載が始まったのは1990年。規制があった時代だ。それでも、スラダンが熱狂的に韓国で愛されているのは、日本と同じく、90年代に目を輝かせて心を躍らせて漫画を読んでいた子どもたちがいるからだ。

でもそれは、韓国名に置き換わって。

桜木花道は、강백호(カン・ベクホ)、流川楓は、서태웅(ソ・テウン)、宮城亮太は、송태섭(ソン・テソプ)として、愛されてきたのだ。

規制の理由は、自国文化の保護のため。そして、日本の植民地時代の記憶に対する国民感情への配慮だ。

第一次解放の時、世論調査では国民の63%が反対したらしい。戦後50年を過ぎてもなお、主権も姓名も、自国の文化も奪われ、「日本」を強制された記憶のなまなましさを感じとることができる。

こうした歴史を調べながら、思わず「うわぁ」と、声がこぼれる。

韓国を知ることをやめられないのは、こうしたことが大きな理由だ。

隣の国なのに、知らないことがあまりにも多いのだ。

ひとつひとつの事実を知るたびに、「知らなかった」という胸に迫る驚き。

そして、これまでの無関心と無知に対する、刺すような恥ずかしさ。

その2つの感情が、もっと知りたい、知らなければ、と私を駆り立てる。

私たちは、もっと隣の国に興味を持っていいのではないかなと思う。

K-POP、韓流ドラマ、韓国コスメを超えて、そのもう一歩先まで。

裏側を覗き込んでみると、日本の統治時代の痛みがみえてくるのだから。

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