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①20××年2月20日、始まりの日

20××年2月20日、韓国へ向け旅立った。
東京の自宅の玄関で見送りに立つ祖母の姿を思い出し、胸が痛くなる。2年半前に私がタイの会社に転職した時には空港まで見送りに来られたのに、今は足腰が弱り見送りに行けなくなった。代わりに私の姿が見えなくなるまで玄関に立ち続ける小さくなった祖母。でも私は振り返ることができない。もう一度振り返ればよかったのに。ありがとうってちゃんと伝えればよかったのに。小さな後悔が空港に到着してもしつこく追いかけてくる。後悔を振り切るように、「着いたよ。行ってくるね」とLINEでメッセージを送る。まだ寒さの厳しい時期、韓国は東京と比べてどれほど寒いのだろうかと少し不安になる。

今日から1年間、韓国で語学留学をする。昨年の秋まではタイのバンコクにある会社で働いていた。その会社を退職し、これまでの貯金を元手に8年ぶりに学生に戻る。新卒で就職した東京の会社を辞めてタイの会社に転職した時に続けて、「なんでまた」とあちこちで言われた。でも、人生で必ず通過しなければいけない地点だと自分では思っていた。いつかこういう決断をすると思っていたし、ようやくこの時が来たという喜びと小さな恐れがある。

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私の祖父母は朝鮮半島出身の韓国人だった。
「だった」というのは私が生まれる遥か昔に帰化しているからだ。この事実を知ったのは小学生の終わりだった。知った瞬間、「嬉しい」と思った。日本人しか周りにいない小さな小学校に通っていた自分が、外国にルーツがあるという事実によって小説の主人公になったような特別感と興奮を覚えた。

しかし、それは次の瞬間には恐れに変わった。祖母からきつく叱られたのだ。「あんたたちは知らなくていいこと。誰にも言ってはダメ」。それが祖父母なりの家族を守る唯一の、そして生きための必死の手段だったことは、ずっと後になって理解する。しかし、たった一言で過去に触れる事を拒絶された幼い私の中では、韓国にルーツがあるという事実が、喜びから一転、何か怖いものに変わってしまった。

でも隠されれば隠されるほど、知りたくて知りたくてたまらなくなった。隠される理由には、どうやら日本社会における差別が関係するらしい、と気づいてからは本を読んで自分なりに理解しようとした。随分前に亡くなってしまった祖父に聞けない分、祖母にしつこく頼み込んだ。韓国語の勉強も始めた。何度も何度も断られ続け、でも、ある日話し出してくれた過去を少しずつ書き溜めた私たち家族の話はノート2冊分に渡る。それでも足りなくて、もっと確かな何かを得たくて、私は今日韓国に行く。

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祖父母を思い出すたびに2人の澄んだ瞳を思い出す。

「●●ちゃん」

私に呼びかける2人の瞳はいつも澄んでいて真っすぐだった。時に、はっとして目をそむけてしまうほど。それは2人が生きてきた姿勢そのものなのだと思う。何一つ恥じることをせず、ただ子供たちと孫たちのために、よりよい環境を求めて真面目にひたむきに生きてきた2人の人生。

祖父母は韓国のどんな時代に生きて、どんな景色を見て、どんな気持ちを味わって、そしてどんな思いで母国を離れたんだろう。その瞳の向こうにあった景色を私は知りたい。

60年前、30歳の時、まだ1歳だった母を抱きしめ、先に渡航した祖父を追って日本に来た祖母。当時の韓国は、朴正煕元大統領による軍事独裁政権で、これからこの国がどうなるのか未来も希望も持てなかったという。もう二度と韓国の地も踏まず、家族にも会わず、韓国にルーツがあることもを隠して日本人として生きていく決意を固めて母国を離れたのだ。その60年後、30歳になった私は一人で韓国に向かう。

明日は祖母の91歳の誕生日だ。


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