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②韓国初日の夜

夕方、夜の始まりの韓国に到着した。

30kgギリギリまで荷物を詰め込んだ古い布製スーツケースと、機内持ち込みで許可されている10kgの小型スーツケース、そして背中を覆うほどのリュックサックにも溢れるほどの荷物を詰め込んできたため、一人で持ち運べる重さの限界が近かった。

空港でVISAの確認や健康状態の申告を経て、ひとまずタクシーに乗ってホテルに向かう。韓国語は日本在住の韓国人の先生とマンツーマンの授業で2年半ほど勉強してきたが、実際に使ってみたことはほぼない。空港前に待機しているタクシーに乗り込み、やや緊張しながら「●●호텔로 가 주세요(●●ホテルまでお願いします)」と伝える。最初くらいは、と市内で何番目かに大きそうなホテルを予約したのもあってか、運転手は行先をナビに入れるとすんなり出発してくれた。ほっと一息ついて汗をぬぐう。

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私が1年間住む場所に選んだのはソウルではなく、慶尚道という南東に位置する地方の一都市だ。タイの会社を辞めた後、その足で3都市を見て回った。その時、この都市の雰囲気と人の温かさに心惹かれたのだが、来てからは韓国人に「なぜここに?」と必ず聞かれる。「何もない場所」というイメージのようだ。

ここを初めて訪れた時、いくつか印象的だったことがあった。

一つは大学の雰囲気だ。

私は語学堂という大学の付属機関で韓国語を勉強する。韓国では民間が運営する語学学校と、ソウル大学を初めとするそれぞれの大学が運営する語学堂という語学学校がある。

民間の語学学校は、日本でもよく見かけるような雑居ビルのワンフロアにあることが多く、最短1週間から学ぶことができる。K-Popに憧れてくる若者も多いため、ダンスやボーカルのレッスン付きのパッケージがあるところもあるらしい。

一方で、語学堂は1年が4学期から構成され、ほとんどの学生は韓国の大学や大学院への入学準備として通うようだ。「안녕하세요(アンニョンハセヨ)」から始まる1級から論文レベルまで読む6級まで制度化されていて、中間・期末テストの成績、そして出席率などで進級が決まる。かなり体系立てられているのだ。ハングルが一文字も読めなくても、1年半根詰めて勉強すれば論文レベルまで読むこともできるようになっている。

カリキュラムがいい語学堂を選ぼうと、5つの大学の語学堂を見学した。だが正直、大学ごとに学ぶ内容に大差はないようだった。

それよりも驚いたのが、キャンパスの広大さだった。山岳国家でもともと住める土地の面積が広くない韓国だが、やはり教育を重視する価値観のせいなのだろうか?どの大学も正門の前に立つと思わず「わぁ」と声がもれた。開けた視界に、大学のシンボルを表す巨大なモニュメントが弧を描くように正門を形作っている。その正門をくぐると真っすぐに並木道が広がり、韓国式の東屋やベンチが点々とする庭、噴水のある池、運動場などがきれいに整備されているのだ。赤く染まったメタセコイアからこぼれる秋の日差しを浴びながら歩いてるとその美しさに何度もため息がもれた。

街の雰囲気も気に入った。

私は東京育ちではあるけれど、都会より地方が好きだ。社会人になってから地方に住んでみて、できればもう東京には戻りたくないと思うようになった。この都市の繁華街は、小さな個人商店が立ち並ぶ通りがいくつにも交差するような作りで、何でもあるけれど大きすぎはしない。少し遠くを見ると、高層ビルの代わりに山が見える。商店街に買い物に出るような気軽さで歩けるのだ。

人も優しかった。

日本と韓国はプラグの差込口の形が違うため、コンビニで携帯の充電器を買う必要があった。2種類ある内、恐らくiPhoneに対応しているだろうと思われる方を買ってレジに行った。すると、箱をしばらく見た後、レジのおばちゃんに「払い戻しできないけど間違ってない?」と聞かれた。正直困った。私は本当に電化製品が分からないのだ。「多分大丈夫と思うんだけど、iPhoneは使えますよね?」とたどたどしい韓国語で尋ねる。おばちゃんも困っていた。おもむろにレジから出ると、店内にいた2人の若者に「학생!(学生の意。韓国では学生らしき人にはこう呼びかける)」と声をかけると、iPhone対応かどうか聞いてくれた。そのうちの一人が太鼓判を押してくれたので買うことができた。

そんな経験が滞在していた数日の間で何回かあったのだ。ちょっとしたトラブルにも見舞われ、見知らぬ韓国人に助けを求めなければいけない場面が何度かあった。相手の本音としてはかなり面倒であったと思う。それでも片言の韓国語に付き合ってくれてた。中には日本人と分かると片言の日本語で話しかけてくれる人もいてどれほど助かったことか。

長くなったが、これが私がこの都市を選んだ理由だった。祖父母にゆかりのあるソウルを選んでもよかったのだが、せっかくならば旅行地でない場所に住んでみたいという天邪鬼な性格も顔を出した。

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東京に戻って留学準備を終えて、3か月ぶりにこの街に戻ってきた。秋晴れの気持ちいい空の下で過ごしたあの時とは異なり、真冬の夜に見る街は知らない顔に見える。「この街を好きになれるだろうか。何かを見つけることができるだろうか」と、ふと不安がよぎる。

ホテルで簡単に荷ほどきをして窓の外を見ると、すっかり夕闇に染まっていた。室内の柔らかいオレンジの明かりと静かな街明かりに心が落ち着く。家族に何事も問題ないことを一言連絡すると、夕飯を食べるために外に出た。さっきは荷物を運ぶのに必死で気づかなかったが、夜の冷えた空気が東京のそれより鋭く刺さる。高いビルも思ったより多い。ホテルは市内から少し離れているため、周りに飲食店が多くはない。

小道の奥に一つ見えた明かりを辿るとクッパ(スープにご飯が入った食べ物)の食堂だった。恐る恐る入ると、厨房からの温かい空気と夫婦で営んでいる店の独特の柔らかい雰囲気に包まれる。私の他に2組いたお客さんたちと同じ空間で、店内に流れるテレビの音をぼーっと耳にしながら熱いスープを口に含むと、ここにいてもいいんだという気がした。


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