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麻雀の本質③ 麻雀にスタイルはない

麻雀の本質① 運と実力
麻雀の本質② 人を動かす


「俺は攻撃型だからこれは押す(or 守備型だから降りる)」
「私は門前派だから鳴かない(or 副露派だから鳴く)」
「〇〇打法ならこの一打しかない」

どれも聞いたことがあるセリフだと思う。
これらは一見、「私はこういうプレイスタイルだから、この選択をするのが合っています」とそれっぽいことを言っているように見える。
しかし実際はただの言い訳である。思考放棄とも言う。

麻雀の正解は型に依存しない。ただその局面でゲーム収支がよりプラスになる選択だけが正解である。


AIが台頭してきた将棋界では、局面ごとの評価値がわかるようになり、最善手や推奨手が明示されるようになった。
AIの視点で、棋士が良い手を指したのかミスをしたのか一目瞭然になったのである。

しかし、将棋は麻雀とは違って、その局面ごとに独立しているとは言い難い。「手筋」という言葉があるように、数手一組のワザを仕掛けるような構造になっているからだ。

つまり、AIによってその一局面での正着がわかっても、それに続く自分の指し手や相手の指し手を深く読まなければ、AIオススメの一手はあまり有効活用できない。

数年前の予想では、AIが幅を利かせるようになると「将棋の実力」という観点から棋士の評価が下がるという意見があった。
これに対する反論が「車やバイクがあっても短距離走の人気は落ちていない」という微妙にズレたものだったのだが、結果的には藤井聡太現七段の登場や、棋士の人間的構想による面白さのおかげもあり、棋士の評価や将棋の人気が落ちることはなかった。

将棋の性質上、選択肢の種類が多いため、最善手と次善手の差が小さくなることや、次善手でも相手にミスさせやすい、あるいは人間的に勝ちやすい局面に持ち込めることも多い。
そういった要因もあって、AIの導き出した正解は必ずしも絶対的なものではない、というのが現代の認識になっている。
つまり「スタイル」というものが失われず、価値としてそこに残すことができている。


麻雀ではどうだろうか?
麻雀には将棋のような「数手一組の手筋」のようなものはほとんど存在しない。
それに加えて、「リーチ判断」「副露判断」「押し引き」など、どうみても独立しまくってる要素がたくさんある。

さらにその正誤判定を強めているのが、これらの判断は「正か誤か」に二分されてしまうことだ。
リーチ優位の場面ではヤミテンやシャンテン戻しが明確なミスになってしまうし、押したほうがいい場面ではオリが明確なミスになってしまう。

具体的に言えば、「こんな安い愚形でリーチしたら、リスペクトがなくなって押されすぎてしまう」などという発言が挙げられる。しかしこういったものはメリットに対してあまりにもデメリットが大きい。
「確かに安いリーチを打ちまくったら客観的に平均打点も良型率も下がるが、その前にいまリーチしてないのがだいぶマイナスですよね」ということだ。
押し返される前提だとしても、役なしダマからベタ降りに移行するより、いまリーチするほうがマシなことが多い。上記の主張は数学的に破綻していると言えよう。

こういった「リーチ」「副露判断」といった独立する要素が増えるとどうなるかというと、AIやソフトによる評価の信憑性・確実性が上がる。つまり「自分はこういうスタイルだから」という言い訳が利かなくなる。


それではこれらを踏まえて、我々はどのように正解を導き出せばいいだろうか?
逆に考えると、そのヒントは「スタイル」という考え方にも埋まっている。

極端な言い方をしてしまうと、

〇攻撃型はただ押しすぎ
〇守備型はただ降りすぎ
〇門前型はただ鳴かなすぎ
〇副露型はただ鳴きすぎ

ということだ。

「どのように考えるべきか?」という答えにたどり着くには、まず「どのように考えてはいけないか?」という逆の視点から探すことが大切である。
自分を〇〇型だと思っている人は、ただその部分が過剰であるだけと意識すれば、より効率的に改善できるようになるだろう。


また、私は『 麻雀の本質① 運と実力 』においてこう説明した。

バッドプレイの性質上、結果が悪かったものや放銃してしまったものについて検討しがちだが、重要なのは「自分が正しいと思っていたものが実は間違っていた」という部分を発見することだ。
これは客観視が必要なので、自分より上手だと思う人に牌譜を見てもらい、的確なアドバイスをしてもらえば良いだろう。

この「自分より上手だと思う人」を探す際も、その人が「スタイル」とか「〇〇打法」という用語を使っていないかどうかが非常に重要になる。

もちろん、麻雀を楽しみたい場合は別だ。
麻雀を楽しむ方法はたくさんあり、それこそ〇〇打法のように枠を決めても良いだろうし、攻め寄りに打ったり門前寄りに打ってもいい。むしろそのように打ったほうがエンタメとしては上だろう。

麻雀の正解とは型やスタイルとはかけ離れたものであり、それゆえに、本当に強くなりたければ、ある意味で楽しさは捨てなければならない。


強くなるために期待値を丁寧に積み上げていくか、楽しむためにスタイルに固執するか、どちらを優先するかは各々で大切に考えていくべきだろう。


このノートがあなたにとって有意義なものであったらとても幸いです。