麻雀の本質① 運と実力
麻雀の本質とは何か?
ここでは細かい牌理や状況判断などについて語るつもりはない。
そういったミクロ視点の技術は、すでにたくさんのプロやアマチュアの方々の多大な努力によって書き記されている。
私はもっとマクロな視点の考え方を伝えたい。
短期の結果に一喜一憂する方々が多いが、そんな必要はないという理由を説明していきたいと思う。
決して、細かい点棒状況や画像を用意するのが面倒くさいからではない。
麻雀は運7割・実力3割の欠陥ランダムゴミカスクソゲと言われているが、半分正解・半分不正解だと私は思っている。
結論から言ってしまうと、ある程度の面子レベルになれば、ほぼ全ての勝利は運のおかげであるし、ほぼ全ての敗北も運のせいである。
それだけ麻雀の分散は大きい。
たとえば運が良いときは、配牌を開いてみると赤赤ドラの一向聴で、すぐリーチしてすぐツモッてハネセンゴ、みたいなマントヒヒでも一方的に勝てることがそこそこ頻繁に起こってしまう。
しかし、こういった幸運は平等に与えられるものであって、幸運な手が入ることに関してヒトかマントヒヒかの違いはない。
もし、誰でも和了れる高打点の手が来たときに、先切りして受け入れを減らし和了を逃したらマントヒヒ未満と言ってもいいだろう。
訪れた幸運を当たり前につかみ取って点棒を稼ぐこのプレイヤーを、私はその半荘の「爆運太郎」と名付けている。
このネーミングは決して馬鹿にしているわけではなく、ポーカーでいうところの「チップリーダー」と同義である。点棒をたくさん持ってる人という意味だ。
ちなみに昔は「宝くじ当選者」と呼んでいたが、友人から「それは完全に馬鹿にしているよ」と言われたのでヤメた。
良い手が入ったときは、人として当然の選択をしていれば当たり前に勝つことができる。
当たり前の勝ち方は、私が読んだ戦術本のうちのいくつかの良書に書かれていたので、そちらを参考にしていただきたい。
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◯鬼打ち天鳳位の麻雀メカニズム (マイナビ麻雀BOOKS) お知らせ
いまならKindleで762円で購入できるらしい。
ちなみに私は発売日に新宿の紀伊國屋書店で定価で購入したが、はっきり言って1600円でもまったく高くない。
◯フリー麻雀でもネット麻雀でも使える 現代麻雀最新セオリー 雀ゴロK
こちらも発売された当初に書店で購入した。
感想は「世間の水準が上がっちゃうから余計なこと書くなよ〜」である。
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前述した爆運太郎が誕生した局面で実力が求められるのは、当然、リーチを受けた側(運が悪い側)である。
被リーチ者はリーチがかかった時点で聴牌していなければ、期待値がそこそこマイナスになる。
相手の超法規的スピード違反に耐え、マイナスの期待値をできるだけ小さくすることがプレイヤーの腕に求められるが、たいていのケースでは「マイナスを抑えることしかできない」という認識が大事だ。
「あのときこうしていればラスではなくトップになれた」という現象は、少牌多牌チョンボ見逃しなどのS級ミスをしない限りはほぼ起こらない。
ここで「あのときこうしていれば」とか「普段と違うことをすれば良かったな」などと考え始めると負のサイクルになってしまう。
麻雀は選択と抽選の繰り返しによってより良い結果を目指すゲームであり、結果を選択に反映させてはいけないのだ。
大事なのは反省の方法にある。
非常に大雑把なたとえになるが、そのフィールドにおける勝ち組のラス率が20%で、負け組のラス率が26%だとすると、100ゲームあたり20回分のラスは両者とも同様に負ける。
では、この6%と他の20%を区別するにはどうしたらいいか?
これはポーカーのハンド考察からの引用になるが、負けたケースを3つに分別して考えるとよい。
1. Bad play(バッドプレイ)
これは要検討。
意味はそのままで、自分のプレイングが間違っていたことが原因で負けたもの。
麻雀で置き換えると、平和のテンパイ時に344sと持っているとき、先制リーチの危険牌である4sを切って両面にするか、現物である3sを切ってシャボにするか。ここで3sを切ってリーチして負けたようなケースではバッドプレイに分類される。
日常生活で例えると、不注意でイヤホンを断線させてしまったり、水の入ったコップを落としたり、財布を落としたり等である。ちなみに私は財布やスマホを落としたことは人生で一度もない。
2. Bad luck(バッドラック)
これは検討不要。
意味はそのままで、自分も相手も最善手を選択し、その結果負けてしまったもの。
麻雀で例えると、自分が先制3面張で当然のリーチを打ち、追っかけリーチとめくり合いになってこちらが放銃してしまったようなケース。
あるいは、先制リーチに対してこちらは副露満貫の両面テンパイという状況で、一発目に持ってきた危険牌を当然押して放銃してしまったケースなど。
相手も自分も当然の選択をした結果、運悪く負けてしまったものがバッドラックに分類される。
日常生活で例えると、スマホやHDDなどの電子機器が寿命で壊れてしまったり、鶏肉にあたってしまったり、牡蠣にあたってしまったり等だ。余談だが私は鶏肉に3回、牡蠣に5回あたっている。
3. Bad beat(バッドビート)
これも検討不要。
こちらは単語そのものがポーカーの専門用語になっている。
意味は、こちらが圧倒的有利な立場のときに、相手があり得ないようなプレイングをして、あり得ないことが重なってこちらが負けてしまった、というものだ。
麻雀で例えると、こちらが3面張のW立直を打ったところ、パラパラチャーハンのような3向聴からフルゼンツされて追いつかれ、その相手に放銃してしまうケースなど。
いわゆる「通常あり得ないことが起こった」と言われる類のものである。
これも検討不要。
日常生活で例えると、室外機が盗まれたり、外国のオバサンにエクストラマッサージされたり、といったものだ。
読めばわかるように、2のバッドラック、3のバッドビートに関しては反省の必要はない。むしろ反省してはいけない。
正しいプレイをして一時の運で負け、プレイングを変えてしまうのは最悪だ。
真に反省しなくてはいけないのは1のバッドプレイである。バッドプレイは良い結果になることも悪い結果になることもあるため、自分自身の検討では気付きづらいというところが難点だ。
バッドプレイの性質上、結果が悪かったものや、放銃してしまったものについて検討しがちだが、重要なのは「自分が正しいと思っていたものが実は間違っていた」という部分を発見することだ。
これは客観視が必要なので、自分より上手だと思う人に牌譜を見てもらい、的確なアドバイスをしてもらえば良いだろう。
麻雀は一見すると、絵合わせパズルに見えたり積み木に見えたりメンコに見えたりすることがしばしばある。しかし、その絵の向こう側にはさまざまな本質が確かにあり、これを理解することが大切だ。
本質を見抜く力は一般社会でもとても重要になってくる。
本質とは、草木でいえば根っこ、ワインでいったらブルゴーニュ、魚でいったら白甘鯛、ヤンマガでいったら喧嘩稼業、アイドルでいったら乃木坂46のことだ。
ただひたすらに麻雀を打つだけだったり、戦術書を鵜呑みにするだけでは本質を見抜く力は養えない。
自分の頭でたくさん考えて、「これってつまりこういうことだよね」という閃きに出会えれば、少しずつ成長していくことができるだろう。