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メリー・クリスマスって孤独だと想うのなら


1.オールジャパンの歓声の中で


強烈ですね、マライア・キャリーのクリスマス。

ぐわっと胸をマライアにつかまれる。おじさんでさえ、これが街に流れて来るとワクワクする。もう逆らえない。

https://www.youtube.com/watch?v=aAkMkVFwAoo

まるで野球やサッカーのワールドカップ決勝の最後の場面のようです。

勝とう!やったるでぇー!!みたいなハイ、ハイ、テンション。おお、、あまりに素敵だ。

いったい誰が産まれたんだっけ?そんな疑念は遠くとおく銀河の果てまで吹っ飛んでる。


メリー・クリスマスって、年とともに寂しくなり、嫌いだという青年がいました。

家族に囲まれ楽しかった小さな頃には戻れないし、まわりのように恋人なんかいない。オレにはいない!

街の喧騒にひとりポツンと浮き上がってしまい、ひしひしと孤独に身を食されるなんてやり切れないんだっ。

オレが悪いのか?オレだけがダメなんだろうか??

ああ、、いっそのことクリスマスなんて無ければいいのに!

じゃあ、きみも恋人作ればいいじゃんって言われても、精神が子どものままなんだと青年はいう。

結婚はほんとに良いものかな、しあわせって何だろうとか面倒くさいことばかり考えてしまう。

青い自分なんだ・・。

世の多くの人たちのように常識に乗っかって、恋だ、結婚だ、子どもだとすんなり進めない。

イルミネーションを背景にした楽しそうなカップルを羨んでいる、人並ではないじぶん。。

青年はこの年末を、おもいっきりバイトで埋めた。


日本代表チームが苦戦の末、決勝戦でいよいよ勝とうとしている瞬間なのです。

みながその歓喜、随喜、咆哮に満たされた時空にいるのに、自分だけひとりポツンとしてるなんて・・。

これって、わたしだけでなく、たくさんの人が経験した想いでしょう。

でも、満足、満ち足ることは、他者と比べても実現しない。

実は、他者を妬んだり羨ましがったりする時、とっても重要なことが起こっている。

他者を羨み、おのれを憐れむ方が簡単だけど、向けるべき方角が違ってる。

嫉妬の陰に、ずっと隠されきた自分の願いがあるのに気づくチャンスでもあります。

ほんとうにしたいことがあるのに、ずっと自分がそれを禁じフタをし続けているということがある。

内なる喜びを実現するには、理解と勇気がいる。



2.わたしの悔い


知っている人が昇進すると、いつも気持ちがおもしろくありませんでした。

明らかに、ここに隠されていたのは、「自分の方が出来る男だ。自分こそ、そのポジションが相応しい」ということです。

ですが、負けず嫌いでうわべの正義を重んじるわたしとしては、その感情をじぶんに認められなかった。

認めてしまったら「負け」なんだもの。そんな卑しい「妬み」なんていう感情は、本来内にあってはならないことだし。

「ふん」と視野の端っこに押しやって、同僚の昇進もじぶんの妬みも無かったことにする・・。

時々、また妬みが湧きあがるけど、そんな卑しい気持ちなんかあってはならないことだから、また「ふんっ」て押しやる。


テレビで有名人が豪邸に住んでいる番組をみると、妬みが起こりました。

ほんとは、じぶんこそが金持ちに成れるはずで、世間にじぶんが一角の人物であると言いたい。

それは、友だちが素敵な恋人といたり、無名の人があっというまに有名作家になって行く姿をみても起こった。

で、わたしは毎回、「ふんっ」て負けまいとしてきた。

でも、妬みはほんとは違うメッセージをしていた。


あるとき、部長に昇進した同僚がわたしに嘆きました。

会社は無能であれば、すぐに降格するルールに変更した頃のこと。わたしはもうすぐ停年というタイミングでした。

彼の上司はきびしい、理不尽な役員でした。悪いやつ、なので専務まで行きました。

その上昇を担保するために、役員は同僚にもプレッシャーをかけていた。

でも、同僚もがんこで、どこか鈍感なんです。ついに、彼は役員に切られた。


「どんな気持ち?」と聞くと、「悔しい」という。

降格させられた彼は恨みを言い出したのですが、わたしはいいました。

「とにかく良い経験ができたんだよ。させてもらったんだよ。わたしも含めてたいはんの人は部長という経験もできずに終わるんだから」と。

そう言ったら、彼は黙った。


萎れた彼を見て、じぶんが昇進を望んでいたわけではないことを知りました。

仮にじぶんが社長になっても、株主の顔色を器用にうかがわないといけないのです。

そんなの楽しくない。そんなのバカくさい。

わたしは負けまいとしていたのですが、ずっと何のために負けてはいけないのかとは問わなかったのでした。


定年後、5年間の再雇用を選びました。

先日も書きましたが、そんな腰掛のおじいさん、存在価値も無いのです。

誰も競ってはくれないことは明らかでした。

で、わたしはチームでもっとも困っている同僚をサポートすることにしたのです。マネージャーも了解してくれた。


ほんとに嬉しかった5年間でした。

だんだんと彼との関係が出来て行く。彼を助けるようにと、考え実行する。

必要があるとおもえば、彼を叱るし、上司に提案もしました。

彼が喜んでくれるから会社に行けた5年間でした。会いたかった。

働いて来て、誰かが喜んでくれるという満足をはじめて経験した。

わたしはじぶんのためにしたことでは、喜べなかった。そう、わたしは喜びのために生きていました。


わたしが悔いているのは、最後のシーズンは別として、ずっとじぶんの願いを聞き入れなかったことです。

問うて、じゃあ、じぶんはこうして行こうと決め、務めれば良かった。

なのに「ふんっ」ばかり。これって敗者の戦略なのです。

本当に願うことならば、それを実現させるしかないのは明らかです。

いや、わたしは羨み、妬む割に、それらを真剣には望んではいなかったのです。

時の運だとか、彼は取り入るのがうまいとか、なんだかんだと理屈を言っては、わたし自身から逃げていた。

世間のいう、ちやほや言う、外部の権威にすがらずに、あるいは逃げずに「ほんとの声」を聴けたら良かったのに。。。。



3.あなたにメリー・クリスマスを


今年も無事にクリスマスが来ました。ああ、街はにぎやかです。

退職したわたしには、もう恋人もお金も昇進も、冒険も不要なのです。

でも、ほんとうの声を聞くということはいくつになっても大切だと思います。

なぜ怒るのか、なぜ不安なのか。

感情は訳の分からない理不尽な機能ではないのです。感情はかなり正確でただしいです。

激しい情動を伴いますが、かならずメッセージを届けてくれる相棒です。


なぜ妬むのか?

なぜ、じぶんは敬われ、立派であらねばならないのでしょう?

なぜ、恋人が欲しいとおもうのか、というより、わたしはいったい恋人と何をしたいのでしょう?

なぜ、孤独だと感じ、慰められたいのでしょう?孤独は逃げれるもの?

掘れば、さらに「なぜ」という疑問が出てきます。無限に問い続け、答えはありません。

でも、問う中で、ほんとにじぶんが願っていることにはたと気が付きます。

であれば、じゃあ、わたしが出来るこれをしてみようと。

常識や規範や親の教えなんか無視して、ほんとに作家になりたいのなら、なればいいのです。

お金が欲しいのなら、ほんとに儲かる道を見つけるでしょう。

実は、出世するよりも、お金持ちになるよりも、ほんとの声を聞き出すことの方が難しい。


マライアの生を謳歌する絶大パワーに抗するには、理解と実行がいる。

ふんと世間に背を向けることもできるけど、なぜそんなふうに自分が思ってしまうのかを掘るという道もある。

そこを歩くと、孤独や寂しさのさらに下に、マライア以上にあなたが熱くあつく願っている想いをあなたは知るかもしれない。

その子は、ずっとそこであなたに顔を向けられ声を掛けられるのを長くながく待っていた。

その声が聞こえない?

ええ、喉を通る際、すこし変調されるので、あなたはうっかり妬みや恐れの感情に変換してしまう。

いいえ、その声こそ、あなたの一番の恋人かもしれない。

あなたを次に運んでくれる、解放のエネルギーかもしれない。


青年が青いのではないのです。

戸惑うと言える彼こそがとても素敵です。

あなたに、メリー・クリスマスを。

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