1000年後の教科書に載るワケ
望めば誰でも情報発信できるという初めての世代でした。わたしたちは特異な時代に生まれた。
後世のにほん国の生徒は(日本が残ってるとして)、15世紀のグーテンベルクとならんで20世紀末に起こったインターネットの普及について歴史で習う。
当時の”市民”がいったいどんなことを書いていたかも読まされる。
ああ、私だって書いていいんだっ!喜びがひしひし伝わって来るぅ・・・なんて思ってもらえるような事例が教科書画面に映る。
三島由紀夫や村上春樹といった”有名商品”ではない。なんと!あなたのブログが教科書画面に出てるじゃないか!
おお、、誉れ高きあなたよ!! パチパチパチ。👏
あなたは天使たちがぶんぶん飛んでる中で、にやっとする。
いったい、1000年先の文科省?が、なぜあなたを選んだのか。
簡単です。それはあなたが普遍に触れていたから。
今のわたしたちが源氏物語で男女の切なさに共感するように、春はあけぼのにキリリにほんの清々しさを見るように、1000年経っても変わらないモノ、ありきたりな日常に描いてた。
そこでは、やっぱり醜いのやら優しいのやらの混合物の世界で人たちが葛藤してた。
ああ、、にんげんってぜんぜん変わらないんだな・・と生徒たちは残念に思う。
けれど、制約いっぱいある中で勇気を振り起して生きようとする姿をあなたに認める。
おお、、あんなに古代のにんげんなのに。。(悪かったな!とあなた)
変わらぬ人間性にうんざりもするけど、健気に生きようとするあなたのブログにホロリ、勇気をもらう。。
あの頃よりさらに100年も寿命が延びたけど、この意識が完全消去されるという恐怖はかわらない。
エゴは消えず、欲と恐れの輪をハツカネズミのように回し続けてる。
どこに救いがあったんだろう?、恐ろしくなかったの?生徒たちはそこを先祖に聞いてみたい。
ああ、もちろん、先祖たちも怖かったんですよ。でも、あなたは、笑い仲間を信じ助けてた。
パンデミックがひどかろうが、年金やばかろうが、北の白熊大統領が戦争はじめようが、牛丼あがろうが。
にんげんとしてのプライドをあなたは垣間見せていた。
事例があたりまえの日常から選ばれた理由は簡単なのですよ。
ほら、God is in the details. いつも神は細部に宿るのですから。
わたしたちが残せるものとは、涙を拭いてまた生きようとする誠実なあなたの姿だと思うんです。
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