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新しい街に来て


1.信号がどんな色でも渡ります  久保田 紺


神戸と大阪の間に住むことになり、わたしに電車がいっぱい。

海側と六甲山の間を、阪神、JR、阪急と3本も並行して走ってる。

1本あれば十分な狭い地域に3本も走っているのが先ずは不思議でした。

電車に乗ると、神奈川や東京と違って、人たちがギスギスしていない。競いもしないし焦っていません。

きっと関西の人は、電車が好きなんだろうと思う。


越して半年ほど経ち、どんな街たちなのかを知りたい。

電車に乗って1つの駅に降りたら、そこから線路伝いを歩く。

数キロをかのじょと歩く。

スーパーや薬局があって、マンションや市の施設・・・

神社があったり、お酒の蔵があったりもする。

並んで歩き、歩いては話している。

ここのスーパーは安そうだとか、こんな大きなマンションってどんな人が住むんだろうかとか。

どの駅で降りてもきほん、同じような街の作りなのですが、ふたりでプラプラ歩くのが嬉しい。

楽しいと書くべきところだけど、それより嬉しいとじぶんが書いている。

かのじょもお年を召して来て、こんなふうに一緒に歩けることが永遠ではないからでしょう。

相変わらず背が小さい。そして、ずいぶんと白髪が増えています。


神戸と大阪の間のどこかの駅に降りては、しばらく歩くというのを繰り返している。

わたしの脳は地図を描くのがへたなので、足を使って覚えさせたいのです。

とにかく歩けば、何も考えなくていいし、それに健康に良いはずだと思ってる。

そんなことはありません。

歩き過ぎると、翌日はダウンしています。

今日も歩きに行こう?というと、うんと言う。


さいきんのわたしが危ない。

信号が赤になったのを目が認めているのに、横のかのじょに話すのに気を奪われ足はそのまま渡ろうとしてしまう。

昨日も、車に引かれそうに。

まぁ、アブナイ!とかのじょはどきどきする。


神奈川ととても違うのは、このあたりのクルマがとても紳士であるということ。

こちらが横断し切るまでクルマはじっと待ってくれる。

急いで交差点に突っ込んで来ない。

オラオラっ、そこどけ!という人が少ない。

申し訳ございませんと言いたいほどに、横断歩道を渡るわたしたちを待ってくれる。

昨日が神奈川の道だったなら、わたしはあっさりクルマに引かれていた瞬間でした。

急に飛び出したわたしにそっとクルマは止まった。

「バカヤロー」の声も無かった。


ああ、、でも、こんなふうにして、人のじんせいというのはあっさり幕が引かれてしまうのかとも思う。

わたしの父系は、3代続けて交通事故で亡くなっていて、母に言わせるとお前は4代目かもしれないという。

そんな怖いことをわたしの母はさらり言う。

そんなばかなとわたしは思うけれど、年をとってイカレる脳の部位というか機能が同じというのも十分ありえるのです。

それが遺伝していて、ついフラフラとわたしも足が進んじゃうのかもしれない。

紳士な関西に越して来て良かった。


とにかく、脳の劣化がなにせいちばん困る。

さいきんは、手に持ったものをよく落としている。

口と目と足と手がばらばらになって来たようで、なんだかなぁ~とひとり困っている。

ということで、さいきんのわたしも、信号がどんな色でも渡ります。



2. 非常口の緑の人と森へゆく  なかはられいこ


神奈川、東京で30年以上働きました。

ほんと、会社ってなんでああも嫌なんだろう。

もう朝から嫌なんです。

朝の駅に行くと電車に乗るサラリーマンたちで溢れていて、みんな同じ顔に見えました。

じぶんが憂鬱だから、他人もそんなふうに見えたのか。

すくなくとも目を輝かせ生き生きした人は駅にはいませんでした。

フラフラとあの非常口の緑の人に憑いて行きたいなんて思う者も、朝の駅にはいないのです。

争って競っていたじぶんは、間違いなく灰色サラリーマンに見えていたでしょう。


ずーっと長いこと待ちに待っていた日でした。夏に停年で退職した。

さぞこころが晴れ晴れとするんだろう、いや、半月もしたらすることなくて鬱々し出す?

どちらかなんだろうと思っていたのに、どちらでも無かったです。

働きたいとも思わない。

考えてみれば、当然です。

停年という儀式でお許しを得たわたしでした。

もう「理不尽な」会社という組織では働きたくないのです。もう、戻りたいなんて思わない。

でも、晴れ晴れもしなかった。

会社で働かなくなったら、人は解放されるわけではなかったのです。



3.にんげんでいる力加減がわからない  岩田多佳子


年とともに時間の過ぎ方が早まり、さいきんのわたしは加速度をぐんっと上げたようです。

労働がなくなってさぞ暇かと思ったのだけど、そもそもあっという間に1日が過ぎてしまう。

朝起きて食べて、昼食べて寝て、夕飯食べてお風呂に入る。しばらくしたら、寝る・・の繰り返しであっという間に日々が過ぎて行くのです。

日中、初めての関西を探索もします。本も読みます。ブログも書くけれども、とにかく1日が短い感覚です。

30代の頃の1日の1/3ぐらいです。

朝起きるともう寝る時間が来る・・・みたいな。

にんげんって、みんなそうなんですかね?

年とともに時間が加速して行くのはなぜなんだろう?

人間加減がよく分からないままのわたしは、ずっと不思議でした。


さいきんのわたしのわたし自身に対する説明はこんなです。

産まれて10年しか経っていない人は(10歳では)、10年分の記憶しかない。

ほぼ10年分の個々を覚えている。

ああ、桜きれい、暑い、セミが鳴いてた。。個々が濃い記憶でした。

脳の記憶部屋は無限では無いでしょう。たぶん、容量が決まってる。と思う。

30歳なら、30年分の出来事があるし、60歳、90歳なら、60年分、90年分のそれが貯蔵される。

容量が決まってるのなら、年を取るほど、1つの出来事は薄く蓄積せざるをえないしょう。

ということで、昨日の夕飯、何食べた?なんてことはうっすらとしか残せない。

うっすらの月火水木金がぺらぺらに残るだけとなる。

1週間の個々の出来事がどんどんうすっぺらになって、主観としては早く過ぎると感じて行くのかとおもうのです。

経験済みのことが増えて感動しなくなると言われているけれど、鮮明な記憶を残こせない。

こんなふうにエンドまで急速に行ってしまうのかな、それならそれで良いなとも思う。


いや、鮮明に覚えていることもあります。

あるとき、出張で四日市の工場まで行き交渉した。

疲れ果て、予約しておいたホテルに夜遅くにたどり着く。

エレベータでのぼり、部屋の番号を探す。

静かな廊下の向こうに、非常口だという緑の人を認める。

部屋に入って風呂に入り、寝ようとしても興奮しているのか寝付けない。

ふと、あの非常口だという緑の人のことがよぎる。

急にその人が大きく成り、手招きして来る。

さぁ、行こう。森へ行こう。

そこは、ゆっくり時が流れるという。

わたしも行っていいのかな・・・・

行って良いのか悪いのか。

にんげんでいる力加減がわかりませんでした。



4.さよならが言えない鳥を飼っている  大和田八千代


停年し、わぁーい、オレだけ助かったなんていう気分にはなれない。

多くの仲間が依然としてそこで働いて居る。

どんなに遠く離れても、いくら切り捨てても感じてしまう。

たぶん、わたしたちはじぶんが思っている以上にみなに繋がっている。

わたしだけ、ふらふらと非常口の緑の人に自由に憑いて行くわけにはいかない気がするのです。

わたしは、じぶんがまじめだなぁっと思う。

いいや、きっと何十年も働いてしまい、集団という雲を刷り込まれてしまっている。


住所を教えてと同僚の何人かから言われたけど、誰にも教えずに、神奈川から関西に引っ越したのです。

同じ時空にいるから、同じ課題意識を共有できる。

だから、仕事上の付き合いは、退職してしまえば共有や共感は無理になるのです。

誰も知り合いの居ない関西で、新しく生活を始めたかった。

もう10歳には戻れないけれど、染みついた”常識”を振り捨てれば、新鮮かもしれないと思ったのです。

けれど、ますます日々があっと言う間に過ぎて行くところを見ると、脳はリセットできなかった。


すべての記憶、積み上がった記憶を落とすなんてやっぱりできないのでしょう。

わたしは、サラリーマンを卒業しても、やっぱり、同僚のSやNのことをふと思ってしまう。

理不尽な上司たちに今日もどつかれているんだろうなぁと想う。

きっと、早く停年の日が来ないかなと絶望色の朝の電車に揺られているんじゃないかと想ってしまう。

なぜ、みんなが悩まないといけないんだろう?と青くさい気分になる。


わたしもさよならが言えない鳥を飼っているからだと思うのです。

鳥と、鳥かごと、わたし。

鳥かごを介して、鳥とわたしは入れ子になっている。

SやNは今鳥になっているんだけど、鳥を見ているわたしはかれらでもあるような気がする。

長く、あまりにながくサラリーマンをし過ぎたんだなと気が付く。

途中で、あの非常口だという緑の人に何故ついて行かなかったんだろう?

赤信号も渡るなんてしなかった。

そんなことは、まじめな人間がすべきで無いのです。

家族も路頭に迷ってしまうから、絶対にあってはならないことでした。

でも、なぜ緑の人について行かなかったんだろう?とやっぱり思うのです。


退職すれば、きっぱり会社人間と切れるというわけではなかった。

今は入る箱は違うけれど、そこに入るにんげんは同じままでした。

仕事を辞める、環境を変えるというのは、また新たな箱に移るだけなのです。

中身は変わらない。

だから、どんな環境にいても、きっと大切なことがある。

いくら年を取っても変わらず大切なことがある。

嫁さんはたいせつにしないといけない。

大切なことは目には見えないのさ、と星の王子様は言うのです。

かのじょと沿線の道を歩きながら、きっとわたしは今、それを探しているんだと思うのです。


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