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醜いものだけど、また、希望でもあるのです ― 自分が隠していたものの価値


やばい話題ってありますよね。

1か月書いて来て、今日はいよいよじぶんが隠していた恥部をあなたに書かないといけない日。

ああ、、嫌っ!やっぱり辞めようか。。

じぶんの嫉妬について、わたしたちはほとんど明かしません。

聞く方もすごく居心地悪い。できれば、聞きたくもない。でしょ?

でも、作家のジュリア・キャメロンはさらした。わたしは嫉妬に身を焦がすわ、と。

嫌な気持ちをただ人にぶつけたかったわけじゃなかったのです。

晒すことは、じぶんをありのままに受け取るステップに直結すると言う。

それは、こころの解放と創造性へと促すと。

ブログ書きの末端にいるわたしとしても、これは無視するわけにはいかない話しなのです。

でも、、嫌っ。

いいえ、わたしもここに書かねばならないでしょう。

感情はワケの分からないものではなくて、行くべき道を指し示すコンパスなんだとしたら。



1.ジュリアの地図

「嫉妬は人間の正常な感情だという話をわたしは何度も聞いたことがあるわ。

でも、それを聞くたびに、”たぶん、それはあなたの嫉妬ね、わたしのじゃない”とつい思ってしまう。」

強烈です。

彼女の嫉妬は、頭の中でわめき、胸を締め付け、胃をきりきりさせるものだという。

もちろん、彼女は、ずっと嫉妬というものを自分の最大の弱点とみなしてきた。

”へこたれない友人”と見なせるようになったのは、つい最近のことだそうです。


わたしにも妬(ねた)み、嫉(そね)み、嫉妬という気持ちが起こって来ました。

同僚が昇進するなんていうときには、わたしはがぜん”面白くない”。

なんでじぶんは昇進できないで彼が昇るんだ!と怒り、納得ゆかないっ!

もちろん、そんなじぶんの気持ちに気づくたびに、そんな醜い子を起こさないようにとわたしはがんばってきた。

他者評価を気にしているって、かなり情けないヤツですから。

正直に言えば、嫉妬を認めることをじぶんにずっと許さなかった。

そんなふうにじぶんの卑しい感情を見ないフリし避けて来たものだから、

ジュリアほどには「頭の中でわめき、胸を締め付け、胃をきりきりさせ」はしなかっただけなのでしょう。


彼女は、嫉妬もまた別な1つの地図なのですと、続けています。

わたしたちが持っている嫉妬の地図は、人それぞれ異なっていて、時に自分がとんでもない嫉妬に捕らわれてると気が付いて驚く人もいるでしょうと。(はい)

たとえば、彼女は小説家の成功に腸(はらわた)の煮えくり返る思いをしたことはない。

けど、女性の脚本家の運不運には異常な関心をもっているわ、という。

自分で最初の劇作を書くまで、ジュリアは彼女たちのもっとも手厳しい批評家でした。

(彼女は若かった頃、「ワシントン・ポスト」「ニューヨーク・タイムズ」「ローリング・ストーン」「ヴォーグ」といった、いろんな媒体に批評を寄稿していて、”かなり辛辣な批評家”として知られていました。)

ところが、自分で作品を書くようになると、自分の嫉妬は消え去り、仲間意識が取って代わった。。


そこで、彼女はなぜずっと自分が女性の脚本家に厳しかったのかに気が付いた。

自分の嫉妬は、本当は自分がやりたいのに1歩を踏み出す勇気がなくて、

でもやってみようとするときに感じる恐怖を覆い隠すための”仮面”だったのだと、その地図が言ったというのです。

実際に脚本を書かなければ、他人に傷つけられることもないわけです。

書かなければ、自分に才能が無いことも知られずに済む。

ということで、自分が欲しいものが手に入れられないんじゃないだろうかと恐れ、

自分が怖くて手を伸ばせないものを他人が易々と手に入れていることへ苛立つ。。

行為しなければ、そういった感情を覆い隠して置く代償を払いながらも、自分は負け犬にはならなくて済むわけです。


ある時、ジュリアは、他者に批判の矛先を向けるのではなくて、おのれにほんとうにやりたかったことさせてあげてと彼女の地図が叫んだ。

その声をジュリアは確かに聞いた。

そうだわっ、ほんとはわたしは自分が脚本を書きたいのよっ!、誰よりも書きたいの!ってようやく認めた。



2.わたしの嫉妬

わたしは、同僚の昇進に動揺するとあなたに言うことにはすごく抵抗があります。(もう書いちゃいましたが)

妬み、嫉みは人間として最低だという価値観がじぶんを貫いている。

それは恥ずかしいことで、あってはならないことだと、こころの入り口の門にばっちり書かれてる。

だから、じぶんにその卑しさがあるとはぜったい認めたくない。

そんな暗部をあなたに見せるなんてとっても考えられない、沽券に係わる。

でも、いったん、それを自己防御だったのだと認めてしまえば、話はガラリ変わってしまいます。

新たなわたしを歩み始めれる。(と、わたしも言いたい)


ジュリアは評論家に逃げていた”辛辣な”じぶんを捨て、実際に書いてみた。

作家と成って売れ始めた。でも、この地図の凄さが貫徹した。

教師、劇作家、映画監督、ジャーナリストと次々と”やりたかったこと”を現実化させて行きました。

もし、やってみてどうしようもない3流だと判明しても、

そんなことより、じぶんでじぶんに禁じてた状態を超えれたんだから、そりゃもう悔いはないのです。(実際にやってみた人しか、こうは言えませんが)


彼女の話は、自分で自分を閉じ込めていた鳥かごの1つをはっきりと壊せるかという物理的な話です。

恥ずかしいとか、怖いとかいう主観の話ではないのです。

また、創造とは、自由にこころ遊ばせる行為です。有名に成るのが目的ではないのです。

誰だって望めば作家になれるとジュリアは強調するのですが、

自分がずっとやりたかったのに隠して来たことをするチャンスなのだと言いたいのです。


告白すると、、わたしはテレビのコメンテータに異常に関心を持ちます。

正確に言うと、我慢ならなくなり、批判と闘争心を向けます。

黙ってテレビを見ていたためしはないのです。

ろくでもないコメントだっ、アホか、とかとか、口から批判がボロボロと出て来る。

いや、これって嫉妬なんですね。

ほんとは、わたしこそがそこに立ってお説を説いてみたいのです。(わたしこそ、ふさわしい!)

テレビという衆目の中心にいて、一角の人物だと崇め奉られたい?(あまり認めたくは無いけど、たぶん、そう)

間違いなく、わたしは嫌なやつ。(いや、嫌なやつなんです)

だって、人のせいにしてほんとのじぶんを誤魔化してる卑怯者なんだもの。(今こうじぶん自身を書かざるを得ないのがとっても残念)

ああ、、ジュリアの話を自分に反射してみるまで、ずっとわたしはこれを嫉妬だとは思っていなかったのです。


実は、わたしが嫉妬を起こす対象はすごく限られてます。

出世ということで言えば、女性の同僚がどんどん出世してもなんとも思わない。

若い男性にも何とも思わない。±5年ほどの同年齢の男性に限ります。

コメンテーターということで言えば、哲学者や坊さんや総理大臣がテレビでお説を説いてもなんとも反応しません。

大金持ちに成った人や、〇〇賞を取った学者や小説家の話にも嫉妬アンテナはぜんぜん立たない。

評論家のようなコメントする職業の人に、はらわた煮える。

なんで、よりによって、コメンテーターなんだろう?



3.あと少しのところにいるライバル

かのじょは知的障害者のための施設で働いていましたが、ときに同僚から妨害(やっかみ)を受けました。

障害者にとても好かれるかのじょが面白くないんでしょう。女性たちは隠微な嫉妬を繰り返した。

かのじょは、障害者たちをありのままに受け入れるので、障害者たちから無条件に好かれたのでしょう。

いえ、同僚の女性たちも根っからの悪人ではないのです。

ほんとは世話する障害者たちに心から自分も好かれたかったでしょう。

わたしたちが嫉妬するのは、自分の能力のあと少しのところにいるライバルに向けられる。

そこが一番自分のやりたいところ!というわけです。

ぜんぜん離れた所にいる人は対象にはなりません。

嫉妬心という地図が指し示すのは、ほんとは自分こそがそこに居たいところなのです。


でも、わたしのようにテレビに出るチャンスは無いし、

かのじょの同僚たちのように障害者をほんとに受容するなんて人格にはおいそれとは変われないのが実情です。

あと少し、あと2歩、いやあと3歩のところにある。。。

なかなかたどり着けそうでたどり着けないところ。

ということで、無理だとあっさり諦め、人は嫉妬したまま生涯くすぶることになる。


念のため、かのじょに聞いてみました。(かのじょの名誉のために付け加えると、人に好かれたいと願うようなひとではありません)

「なぜあなたは好かれるのかしら」とかのじょに聞いてきた同僚は、今までひとりもいなかったそうです。

わたしもコメンテーターになるにはどうしたらいいのかを考えたことはありません。

わたしもみんなも、せっせと嫉妬の薪を燃やしてただけでした。

ジュリアは、「嫉妬が私たちに告げる最大のウソは、嫉妬する以外に方法が無いというものだ」と言います。

行動こそが自由へのカギを握っているのに、嫉妬は私たちの「行動する意思」を奪ってしまうと。


だから、わたしのように、じぶんの中に起こる嫉妬心をヤバイと隠すのではなく、

それが方位を指し示す地図へと変わるには、まず、卑しいこころ自体を認めることから始まることになります。

そして、地図を頼りに行動へと変えてしまうということです。

たとえば、憧れの詩人や画家を嫉妬対象に狭めず、自身が願っていることに踏み出せば、誰もが詩人や画家になれることが明らかになるわ、とジュリアは経験上言う。

やってみなはれ、と。

わたしはそうやって来たわ、と。

おお、、わたしもコメンテーターへの1歩を踏み出すのか・・・ でも、なぜ、それ??



4.嫉妬の地図のエクササイズ

嫉妬の地図は3段になっているとジュリアは説明してくれています。

最初の段にあなたが嫉妬する相手の名を書く。その下にその理由を書く。そして、3段目には、あなたが嫉妬から抜け出すために取れる行動を書く。

できるだけ、具体的に書いてねと、自分の例を書いていた。

・わたしは「妹のリビー」に嫉妬してる。
 だって「いい仕事場」をもってるんだもの。
 だから、わたしは「空いている部屋を修繕するわ」。

・わたしは「友人のエド」に嫉妬してるの。
 だって、「とても面白い犯罪小説を書いたんだもの」。
 だから、わたしは「自分でも小説を書いてみるわ」。

・わたしは、「アン・セクストン」に嫉妬してるわ。
 だって、「とても有名な詩人なんだもの」。
 そう、わたしは「書き留めていた詩を出版してみるの」。

あなたに朗報があります。

どんな大きな変化もじっさいには小さな変化から始まるというゴールデン・ルールがこの世にはあるのです。

嫉妬は猛烈なエネルギーなんだけど、それを自分自身のために使う術を学べば、嫉妬は実りある未来へと向かう燃料の一部になる。

緑は嫉妬の色だけど、また、希望の色でもあるわ、とジュリアは言う。


わたしがコメンテーターにイラつくのも、かのじょの同僚がかのじょを妬むのもそこには大きなエネルギーが隠されている。

確かに大きなエネルギーがこのわたしの掌にある。

しかも、その創造のエネルギーはずっと抑えられ積み上がっている。

もちろん、わたしがコメンテーターになる、あるいは、同僚たちが真に障害者に優しい人になることはないかもしれません。

でも、その地図に隠されたほんとのワケを腑分けしてゆけば、

姿形はとんでもなく違ったものになるでしょうが、新しいじぶんを始めれるとジュリアは期待しています。

嫉妬は醜いものだけど、また、希望でもあるのです、と。



P.S.

ジュリア・キャメロンは、ご存じ?写真をUpしました。

台所の換気扇の下のラックにジュリアの本がいつまでも置いてあって、タバコを吸う際は、わかりにくい文章にも関わらず、繰り返し彼女の本を読んできました。

彼女は人生において、創造することがいかに大事であるかを多くの人々に伝え、精力的に取り組んで来た。

著書『ずっとやりたかったことを、やりなさい』の中で嫉妬について述べていました。

約30年かけて全米で400万部、世界40カ国で翻訳されるロング・ベストセラーとなったものです。

隠しているうちに、わたしたちは自分のほんとの声も聞こえなくなり”硬く”なってしまうのです。

ほんとは、嫉妬や嫌悪、怒りという感情自体が悪いんじゃないのです。その感情の処理の仕方を間違ってたんです。

むしろ、感情はあなたの行くべき道をいつも照らそうとしていました。

ジュリアのこんな言葉があります。

「創造性というのは遊びなのです。しかし、多くの人にとって自分に遊びを許すのは簡単なことではありません。」

「成功しようが失敗しようが人生の本質にはなんら影響を与えません。人生というのは喜びを感じとる能力に比例しているのです。

それは日常の細部に目をやることによってもたらされる贈りものなのです。」

ずっとやりたかったことを、やってみましょう。あなたも作家に、いやコメンテーターになろうと言う。

どうやってなれる?まっ、とにかく小さな1歩、小さな細部をさがさねばならないのですね?

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