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一瞬にして書いている


いや、そんなこと無いわけです。

わたし、文が長いので1時間以上かかる。

けれど、やっぱり、一瞬にして書いているほろほろ。



1.長い1日が始まる夜明け前


ずいぶん昔、お医者さんが言ってた。

朝起きて動いて、夕方になる。と、脳はほぼビール瓶1本飲んだぐらいになる。

さらに夜の10時頃に成ると、2本ほど飲んだと同じくらいになると。

脳が疲れ処理能力がだんだんと低下する様をその人は言っていた。

これは、自分に文章を書かせると分かります。

朝はフレッシュなんでしょう、結構書ける。

夕方となると、あんまり鋭いキレを見せなくなる。

夜に成ると、書こうとしてもかなり頭がもたつく・・。

という実感が確かにわたしにもあります。


村上春樹さまは、3時とか4時に起き出して書くそうです。

みんながまだ、ぐっすり寝ている時間帯。

彼が慕う小澤征爾が、「僕がいちばん好きな時刻は夜明け前の数時間だ」と生前言っていた。

「みんながまだ寝静まっているときに、一人で譜面を読み込むんだ。

集中して、他のどんなことにも気を逸らせることなく、ずっと深いところまで」。

で、村上さまは、その未だ夜が明けない時、小澤さんのことを想うと追想した。

「並べて語るのもおこがましいのだが、

実を言えば僕も小説を書くとき、いつも夜明け前に起きて机に向かうようにしている。

静けさの中で原稿をコツコツと書き進めながら、

『今頃は征爾さんも、もう目覚めて、集中して譜面を読み込んでいるかな』とよく考えた。

そして『僕もがんばらなくては』と気持ちを引き締めたものだ」と。

春樹さんは征爾さんを「夜明け前の同僚」と呼びました。

その「同僚」が今はもうこの世にいないことを、心から哀しく思うとも。


征爾さんも春樹さんも夜明け前が大好き。

ずっと深いところまで降りて行く。

みんな、ひどく「孤独」だということが分かる。

創造するって、仲良しとチヤチヤ言い合ってると出来るものではない。

誰が褒めてくれたって、なんの慰めにもならない。

誰と比較しても始まらない・・。

創造者たちは、歴代ぜんいん、孤独だったでしょう。

それに耐え、自己のずっと深いところまで降りて行って見つめたでしょう。

それは誰も理解できない所。誰も助けてはくれない。

ときどき、わたしは書くことが空しくなります。

誰かに頼りたくなる。励まして欲しくなる。

でも、いつも、密かに夜明け前にコツコツ書く、村上さまの背中をわたしは思うのです。


夜明け前の自分のやりたいことに没頭できる時間が大好きだということでもありますが、

要は静かに集中できるとともに、もっとも脳が動く時間帯なわけです。

起きたばかりで、まだビールを1滴も飲んでない。

フォローしている方の中にも意外と朝にUpされる方が多い気がする。

朝は、あけぼの。



2.組み上がる時


ふだんは、デスクトップに数個のテキストが並んでます。

想いが起こって書いたのだけれど、気に入らずどれも途中で放置している。

何が気に入らないのか、じぶんでは分からない。

ある朝に、はっとして、どれかの続きを書き始めることがあります。

ジグソーのピースがぴたりとはまった感じがやって来るのです。

あっと思って、放置していた1つのテキストをまたいそいそと書きだす。

そんな時、一瞬にして書き終わります。ほとんど、推敲が要らない。

文章に、迷いや悔いがないのです。

Upした後も、せいせいしている。誰が見てくれようがくれまいが、やることやったという感じになる。


きっと、10日前後の熟成(放置)期間の間、わたしの脳は何か作業をしている。

そして、起きたてでフレッシュな朝に、ぴかっと光がオツムに差し込む。

さぁ、書きましょうと。

わたしは、もちろん嬉しくて、ハイハイと素直に光について行く。

わたしの中には何人かがお住まいのようです。

こういうことは、夕方や深夜には起きません。


ちなみにわたしはお酒は飲みません。

飲むと頭が考えられなくなるからです。

みんなは、脳を緩めたくて飲むのでしょうが、わたしは、ずっと考えていたい。

お酒に身を委ねたくは無い。

たぶん、楽しむということが、苦手なのです。

そういう硬い男は、明け方に起き出して、せっせと書けばいいのです。きっと。



3.Goが出るまで何をやっているのか


ぴかっと光がオツムに差し込む時、すべての条件が整います。

① じぶんが書きたいという想いがクリアになっている

② それを書き現わすためのすべてのピースが揃ってる

③ あなたに向けて書く構成だ

放置するのは、①が未だ曖昧なのです。

書き出しても、①が曖昧だと②のピースが揃いません。

なので、すごく欲求不満になります。続きが書けなくなる。

で、熟成期間にこの①がクリアになるのでしょう。


ぴかっと光がオツムに差し込む時、わたしには③がはっきりとメッセージされてきます。

読むのはあなたですから、あなたが受け取るためのポイントがあるわけです。

①②がハッキリして来ても、実は③が分からない。

最終的に、わたしが「あっ」と思うのは、あなたとの橋が架かったと確信する時です。


人は、想いのままにつらつら書くことが多いのですが、それはまだ、自分のための作業です。

春樹さまは、『今頃は征爾さんも、もう目覚めて、集中して譜面を読み込んでいるかな』とよく考えたという。

ふたりは、自分の中を整理しながら、読み手なり聴衆と繋がるポイントを探していたのだと思う。

どんどん自己の内面を降りて行きながら、今度は相手に向かって浮上していったんじゃないか。


文章を書く上で、③が全ての決め手になっていると最近、感じています。

でも、その前に①②の準備が完了していないといけない。

それは、熟成期間がなんとかしてくれる。

で、ピカっと光射して来た時、文章の話し方ががらり変わります。

③のあなたにどう語り掛けたら良いのかが指定される。

確信に近いです。

なので、ハイハイとわたしは指示に従って表現を変えてしまいます。

とても、短い時間であなたに向けた話法にチェンジされます。


ああ、、じぶんは一瞬にして書いているのだなという、気づきが来たのが嬉しかった。で、書きました。

へへ、長文志向のわたしの、なんてことない話ですほろほろ。



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