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学ぶのが楽しい!


いつだって偉大な師匠を見つけることは難しいです。

たいがい人は、教えようとすると上に座り、自分の虚栄心を生徒に投影してしまう。

でも、優秀な生徒は、偉大な師以上にもっと稀だと言われてる。

生徒側から見ると、教える師には2つのタイプがある。



1.結果を示す


わたしは、バイオリンを弾いたことが無いし、パガニーニも2,3曲しか聴いてない。

けれど、腰抜かした。

弾いているのはAugustin Hadelich。2020年にデトロイト交響楽団と共演したもの。

プレイヤーはやけに口が大きくて、猫背。魔界の使い?

いいえ、15歳の時、全身の60%にもおよぶ大やけどを負う不幸な事件に会っている。

20回を越える手術とリハビリを強い精神力で克服し、カムバックした奇跡のヴァイオリニストだそうです。

パガニーニが難しいとは聞くけれど、確かに見ていてそれは分かった。

右手の弓が弦の何本かを同時に揺らすんだもの。

メロディとリズムに惹き込まれて行きます。

響いて来る音たちがちょっと違う。芳醇でダイナミックな音たちです。

彼には、繊細さと華やかさがあるのですね。すんごい。

意外なことに、彼の凄さを通じて、パガニーニがいかに優れた作曲家だったかを知った。


彼は、生徒に結果を示す。生徒は、その高みを目指す。

きっと、彼の生徒になる者たちは、この奇跡のようなレベルを追っかけることになる。

もちろん、彼の演奏に心酔したのだからいいのだけれど、師が偉大であればあるほど生徒は脱落し易いでしょう。

師に出会った時、生徒は未だ未熟なのです。



2.プロセスを示す


近年になくこのバイオリン協奏曲に振るえたのだけれど、実は、もっと震えたものがある。

若い生徒に、プロのジャズ奏者が教えてます。若者によるNYO Jazzが開かれる。

楽しそうでしょ?

青年せんせいは、まっすぐ生徒を見てる。

目がニコニコしながら、うんうんと頷きながら手でリズムをとって行く。


わたしも高校生の時、トロンボーンを吹いていました。

生徒たちは未だ十分には練習できていないでしょう。

生徒たちは、もちろん、世界的なプロに教わるということで緊張している。

カーネギー・ホールでやるようなので、かなり大掛かりな組織運営でしょう。

でも、この先生が、ワン、ツー、スリー、フォーとリズムを取ると、楽しい。

ワン、ツー。ワン、ツー、スリー、フォーと繰り返す。

先生の目は、真剣で、かつ、優しいです。

もちろん、先生は教えるべきポイントに少しも迷いが無い。

こころが開かれ、想いがまっすぐ生徒に伸びている。

生徒たちと練習セッションを奏でる。

ああ、、こんな先生にわたしも習いたかった。


先生は、常にリズムをとり、リラックスしています。でも、無駄は無い。

生徒が吹くと、「ベター」といって励ます。

生徒たちの目が輝いています。

こんな教え方、わたしには出来ない。

楽しそうに先生がするから、生徒もじゃあやってみたいって思うのです。

とにかくチャレンジしようとする。

楽しいからじゃない。せんせいが楽しそうだから、楽しくなる。

先生は、リズムを取ること、つまり、プロセスを教える。



3.マハラジの処方箋


ニサルガダッタ・マハラジの語録をデビッド・ゴッドマンが『I AM THAT』として著した。

20世紀でもっとも著名なスピ系の書籍の1つとなりました。

で、デビッド・ゴッドマンがインタビューワーにこう言っていた。


「マハラジはほとんど稀にしか自分の人生について語りませんでした。

それについて質問することも勧めませんでしたね。

マハラジは自分自身を、アドバイスを求めにきた人々のスピリチュアルな疾患を診断し、治療する一種の医者と考えていたようです。

彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした。

過去の逸話は処方薬の一部ではありませんでした。また彼は他のことや他の人についての話をすることにも興味がないように見えました。」


偉大な覚者だとなると、人たちは秘密を知りたがる。師に何が起こったのか、何をどう学んだのかと。

でも、マハラジは聞かれてもはぐらかしました。

探す者に1つの型を話してしまうと、それを御大層に奉るからです。

いえ、あなたはあなたの内なる世界を旅しないといけない。


「彼の薬とは、彼の存在と力強いことばでした」とありますが、彼が座っているだけで時空が変わったそうです。

抜きんでると、もうオーラからして違う。彼自身が恩寵(おんちょう)として、来た者を励ました。

「力強いことば」というのは、明確な表現を使ったということです。

覚者にしては、口が悪い。でも、いつも自然で謙虚でした。

かえって、それが世界中からインドのボンベイ(ムンバイ)の粗末な彼の家に人たちを吸い寄せた。


実は、マハラジは自分の師について語っています。

「わたしの師は、5つのバージャン(奉仕の気持ちを表す歌)を毎日するように言いました。

彼は亡くなる前に、かれの教示を決して取り消しませんでした。

私はそれらをもうする必要はないのですが、私は自分が死ぬまでし続けるでしょう。

これは師の命令だからです。

私は彼の教示に従い続けます。たとえ、それらのバージャンが無意味だと知っていても。

それは、彼へ感じるわたしの尊敬と感謝ゆえです。」



4.師との出会い


マハラジは、貧しい農場に生まれ、正式な教育を受けることはありませんでした。

18歳の時、父親が他界。

ムンバイを離れ、働きはじめるのですが嫌気がさしてすぐにやめ、雑貨屋を始めます。

たばこや子供服を扱う雑貨屋・洋品店を営んでいて、4人の子供の父親としてつつましやかに暮らした。

中年までまったく普通の単調な人生を送りました。

34才のある日、友人のすすめで師、シュリー・シッダラメシュバール・マハラジに出会います。

師に「私は在る」、ただこれだけを見つめつづけるようにと教えられた。

たったそれだけでした。

マハラジは、素直に、単純に、その教えを実行しつづけた。

途中で師が亡くなります。

師に会っていた期間はわずか3週間ほどだったとわたしは記憶しています。

そして、出会いから3年後、ニサルガダッタの魂は真理でみたされます。

時間を超えた平安のなかに在る真の自分に出会ったと言っています。

その後、店を経営しながら体験を楽しんだ。

後に、彼は家庭と仕事を放棄して、托鉢僧となりインド中の聖地やヒマラヤを歩いて旅します。

やがてその放浪の無意味なことを知り、家に戻ります。



5.教わることと、実行することの間


じぶんだったら、どうなのかなと思います。

わたしはよき生徒にはなれなかったでしょう。

マハラジの代わりにもしわたしが師に会ってたら、きっと、質問攻めにしたと思う。

質問しながら、納得できれば、その師の言うことを信じる。

納得できなければ、保留にする。

大した事無い人だなと思えば、師にはしない。。

どこまでも、わたしはじぶんのエゴの方を優先基準にしています。

わたしがすごい師匠だと思う時、その時のわたしのレベルに相応しい者を師として置く。だから、常にじぶん自身は超えれない。


でも、マハラジは最初に信じたのでした。

師がそう言うのなら、そうなのです。後は言われたように実行するだけです。

なぜ、そんなに単純なのか、誠実なのかというと、

きっと、師を見た瞬間にマハラジはその臨在に触れてしまったのでしょう。

宇宙、神、神秘、、なんていっていいか分かりませんが。

生徒に触れる力量があった。


すくなくとも、師からは暖かい励ましがあったと思います。

なぜなら、マハラジ自身、厳しくも暖かい目を持っていましたから。

ちょうど、先の青年せんせいのように。


単に他者からすごい話を聞いても、人は実行には移らないです。

1つの真なるものに邁進してゆくには、暖かく、真剣で、誠実なパワーの励ましがいる。

そのパワーの放射を放つ者が師となる。

でも、師は普通のおっちゃんで偉そうでも何でも無いのです。

師はプロセスだけ教え、励ます。

創造性とは、こころ自由でないとなりません。型にハマらないためには、楽しさ、嬉しさがないとならない。

進むのは生徒自身です。


存在自体の凄さを受け取れるレベルの生徒、という者が稀に存在して来ました。

両者が相まみえる、というのは奇跡のようです。

じぶん自身のことで無くとも、それを垣間見れるのは、この世に来た甲斐があるというものです。



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